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2017年 07月 05日

竜王の武田神社

【竜王の武田神社】
竜王の武田神社_f0191673_14243842.jpg

 竜王下宿の神明神社境内に鎮座する武田神社は、武田信玄公を祀る神社である。
 
 明治維新前は信玄堤附近にあったというが、神社附近の免租屋敷が維新後に有租地になるとともに、徐々に荒廃した社殿も失われ祭儀を行うこともできなくなったことから、明治36年に同地区の信徒総代らによる現在地への社殿建設が進められたという。

 明治30年代に建設された社殿は、近年改修整備されている。

 













【社殿改築に係る浄財寄附領収証】
竜王の武田神社_f0191673_14274622.jpg

 社殿改築に係る寄附金の領収証である。
 改築資金については寄附金のほか、募金の方法として当時の在京名士の揮毫を得て頒布するなどし浄財を集めたという。
























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# by kaz794889 | 2017-07-05 15:20 | 神社 | Comments(0)
2017年 07月 02日

島田村 島田小学校敷地内の忠魂碑

【島田小学校敷地内の忠魂碑】
島田村 島田小学校敷地内の忠魂碑_f0191673_20521654.jpg

 上野原市鶴島の上野原市立島田小学校敷地内の忠魂碑である。
 忠魂碑表面には「忠魂碑」の文字と、その揮毫者である「元帥陸軍大将 正二位 勲一等 功一級 子爵 川村景明書」の文字が、また、背面には「大正十年四月十五日建之 嶋田村」の文字が刻まれている。
 
 島田小学校の創立は明治8年の公立鶴島学校の開校を嚆矢としており、忠魂碑は島田尋常小学校当時の建立である。
 戦前、学校の敷地内に建立されていた忠魂碑は少なくないが、その多くは終戦後に学校敷地外の神社や寺院の境内に移設されたり、一旦は破壊等の上で地中に埋めるなどの措置がなされている。
 種々の理由によるものとは思われるが、学校敷地内に現存する忠魂碑は数少ないものである。









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# by kaz794889 | 2017-07-02 21:07 | 忠魂碑 | Comments(0)
2017年 06月 25日

上野原町 久善寺公園裏山の忠魂碑

【久善寺公園裏山の忠魂碑】
上野原町 久善寺公園裏山の忠魂碑_f0191673_19325075.jpg
 上野原市の久善寺公園裏山の忠魂碑である。
 忠魂碑表面には「忠魂碑」の文字と、その揮毫者である「元帥陸軍大将 子爵 川村景明書」の文字が、また、背面には「大正十年九月 帝国在郷軍人会 上野原町分会」等の文字が刻まれており、忠魂碑の竣工除幕式は、大正10年9月20日に挙行されたという。

















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# by kaz794889 | 2017-06-25 19:47 | 忠魂碑 | Comments(0)
2017年 06月 04日

『地下鉄90年』展

【『地下鉄90年』展のチラシ】
『地下鉄90年』展_f0191673_18595041.jpg

 山梨県立博物館でシンボル展『地下鉄90年 -早川徳次、東京の地下鉄を拓く-』が開催[平成29年5月27日~6月26日]されている。

 この展示会について、同展のチラシには「2017年は、昭和2年(1927年)12月30日に、日本最初の地下鉄である東京地下鉄道上野・浅草間(現在の東京メトロ銀座線)が開業して90周年を迎えます。さまざまな困難を乗り越えてこの医業を実現したのは、山梨出身の早川徳次です。本展では、一介の青年が今日では大都市の交通機関として無くてはならないものとなった地下鉄創業へ挑んだ軌跡を紹介し、その近代交通史上の意義や、早川が追い求めた公益性や人づくりの精神について明らかにしていきます。」と記されている。

 早川徳次(はやかわ のりつぐ)は、東八代郡御代咲村 (現在の笛吹市一宮町東新居)に早川常富の四男として明治14年10月15日に生まれ、山梨県立甲府中学校、早稲田大学を卒業し、南満州鉄道株式会社、鉄道院を経て、大正3年8月に鉄道と港湾関係調査のため、イギリスに向かった。その際、ロンドン視察で出会った地下鉄に魅せられ、大正6年9月の帰国後、地下鉄道実現のため、技術的、経済的な可能性の調査、当局に対する免許獲得の運動、会社の設立と資金の獲得等の総てについて、4年の歳月を費やしを独力で遂行したという。

 早川らにより設立された東京軽便地下鉄道が大正6年7月18日に出願した地下鉄道建設の免許出願に対し、大正8年11月17日に政府が免許を交付され、大正9年3月27日には会社名を東京地下鉄道と改称し、昭和2年12月30日に日本最初の地下鉄道を上野・浅草間に開通させている。
 











【東洋唯一(東京地下鉄道)プラットホームの光景】
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 上野・浅草間 開通当時のプラットホーム光景と当時の地下鉄車両





















【日本最初の(東京地下鉄道)上野停車場、浅草停車場入口】
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 東京地下鉄道の上野及び浅草駅の地上入口
 なお、上野・浅草間には中間駅として「稲荷町駅」及び「田原町駅」が開設されている。



































【早川徳次の墓所】
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 早川徳次の墓所である。
 
 昭和2年の上野・浅草間の開通後、昭和14年1月15日に東京高速鉄道株式会社による虎ノ門・新橋間の開業後、同年9月16日には東京地下鉄道の浅草・新橋間8.0㎞と東京高速鉄道の新橋・渋谷間6.3㎞の相互直通運転が開始されている。
 その後、昭和16年3月に帝都高速度交通営団法が制定され、同年7月4日に帝都高速度交通営団が発足し、東京地下鉄道、東京高速鉄道、東京市及び京浜地下鉄道の所属鉄道・免許線などが営団に引き継がれることとなった。

 営団の発足後、昭和17年11月29日に早川徳次は61歳で没している。









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# by kaz794889 | 2017-06-04 18:49 | Comments(0)
2017年 05月 28日

旭村 大公寺の忠魂碑

【大公寺境内の忠魂碑】
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 韮崎市の大公寺境内の忠魂碑である。
 忠魂碑表面には「忠魂碑」の文字と、その揮毫者である「元帥陸軍大将子爵 川村景明 書」の文字。
 また、背面には「大正十三年三月十日 帝国在郷軍人会 旭村分会建之」と建設年等が刻まれている。

 この忠魂碑は、終戦後、大公寺境内の現在地に移されたものであり、当初は、旭村宮下の甘利尋常小学校(現在の韮崎市立甘利小学校は昭和58年4月1日に三校統合により現在地[韮崎市大草町上條東割]に創立)の校地内に建立されていたという。










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# by kaz794889 | 2017-05-28 14:19 | 忠魂碑 | Comments(0)