峡陽文庫

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2008年 10月 23日

甲府城の景観

【壕に架かる橋】
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 ここは、甲府市社会教育センターから北側の甲府城を見た景観です。
 今では、石垣は見えるものの何の変哲もない石垣沿いの道路ですが、昭和に入って石垣や壕が潰され、残された現在の範囲での甲府城跡となる以前は、左側に写る駐車スペースの先まで壕が残されており、北側に続く道路のための橋が架かっていました。
  壕はその橋の先まで続いており、現在、この道路の右側に北側に向かって建ち並ぶ建物の場所には壕の跡が続いていました。

━(甲府名勝)舞鶴城公園及機山館━
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  前述した明治40年代の景観です。
  左側まで壕が続き、その上に橋が架かっており、その先には更に壕の跡が残っています。
  左側の建物が明治39年に竣工した機山館です。同年に開催された一府九県連合共進会
に 併せて、公会堂として建設され、その名称は武田信玄の号である「晴信入道機山」に因んで
います。機山館については日を改めて紹介させていただきます。

━甲斐甲府市の全景━
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 甲府城内の石垣側から南側、壕と甲府市社会教育センター方向の景観です。
 壕の左側に架かるのが前述した橋です。また、右側の橋は同じ位置に新しい橋が現在も架かる遊亀橋。壕沿いの瓦葺で横長の建物は進徳幼稚園です。その場所に甲府市社会教育センターが建てられています。(中央の寺院風の建物は天理教。その右側の洋風建築が甲府教会です。)

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# by kaz794889 | 2008-10-23 23:26 | 甲府城 | Comments(1)
2008年 10月 22日

絵葉書で見る山梨 9

【(甲府名所)駅前通り】
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 正面は甲府駅です。昭和初期頃の景観と考えられます。
 明治36年に中央線甲府駅が開設された際、従来からの道(左側の道)に加えて甲府駅正面に真っ直ぐに突き当たる右側の道が新たに作られたため、正面の建物を頂点として左右に道が広がる、いわゆる駅前三角地帯が生まれました。
  駅前三角地帯に建っていた建物は昭和20年の甲府空襲で焼失し、終戦後、その場所には飲食店街が生まれましたが、甲府市の戦災復興都市計画により昭和24年頃に強制撤去され、現在の駅前広場の一角となっています。
  なお、正面向きの建物は甲府橘町郵便局ですが、甲府空襲で全焼したため終戦後廃局となりました。局舎の後方には土産物店、食堂、西柳屋(旅館)などが建てられていたようです。

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# by kaz794889 | 2008-10-22 22:22 | 絵葉書で見る山梨 | Comments(1)
2008年 10月 21日

絵葉書で見る山梨 8

【愛国婦人会山梨県支部】
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 甲府市桜町2番地(現在:丸の内1-10-5)にあった愛国婦人会山梨県支部の庁舎です。
 庁舎は昭和16年7月12日に竣工し、穴切町170番地にあった日本赤十字社山梨県支部の社屋内からこの独立新庁舎に移転しました。
  当時の婦人団体には、政財界や有産階級の婦人らが主導する愛国婦人会、軍部が主導権を有し各市町村が全面支援した大日本国防婦人会また大日本連合婦人会がありましたが、昭和16年6月13日の閣議において婦人体制整備確立のため関係婦人団体を一元的に統合して新婦人団体を結成するなどの報告があり、この三つの婦人団体が統合され昭和17年2月2日に大日本婦人会が発足し、同年4月16日に大日本婦人会山梨県支部の発会式を開きこの庁舎に同山梨県支部が置かれました。

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# by kaz794889 | 2008-10-21 21:37 | 絵葉書で見る山梨 | Comments(0)
2008年 10月 20日

NHK甲府放送局

【甲府放送局開局記念】
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 大正14年7月12日、東京芝の愛宕山からラジオの本放送が開始されました。
 東京からのラジオ放送は甲府においても聴くことができたようですが、特異
な山岳地勢から雑音が多く、放送の中断や聴きにくさといった放送事情があ
ったため、こうした現状に対する市民の要望からNHK甲府放送局の誘致運
動が始まり、昭和12年12月21日に全国で33番目のNHK放送局として開
局しました。
  当日の山梨日日新聞一面は「待望十三年 祝 甲府放送局開局」の大見
出しで開局を伝えています。

  当時の甲府放送局要覧には次の記録があります。
   「位置」  甲府市飯田町字藤東791
   「敷地面積」 約1400坪
  「建築面積」 約94坪
   「構造様式」 鉄筋コンクリート造平屋建、現代実用建築様式
   「鉄塔」    自立式高62.5m、間隔90m
   「工程」    起工昭和12年5月12日、竣工同年10月31日

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非情に小さくて分かり難いですが、真ん中の建物が放送局の建物であり、その両脇に建つ鉄塔が、前述の要覧にある鉄塔です。


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  円に囲まれた写真が放送機室、その下が演奏室です。


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  現在の甲府放送局は昭和12年開局当時の場所にありますが、何年か先には甲府駅北口の旧国鉄甲府機関区のあった一帯、甲府中央消防署の隣接地に新築移転が予定されています。
  写真は、その新築移転予定地です。

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# by kaz794889 | 2008-10-20 23:36 | 絵葉書 | Comments(2)
2008年 10月 19日

武田神社の征清紀念碑

【征清紀念碑のこと】
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 木立の中で確認し難いと思いますが、これは、武田神社内の藤村記念館(現在移築工事中)の前にひっそりと建っている「征清紀念碑」です。
 石の台座に鉾形の銅碑ですが、その鉾形部分に「征清紀念碑」の文字が、またその下には「陸軍大将大勲位功二級彰仁親王篆 明治廿九年二月山梨奉公義会建之」と刻まれています。
  同碑の裏面を確認する限り、日清戦争において山梨県から二千余人が従軍し、死者百有余人という壮烈な戦いであったことから、山梨奉公義会(会長は当時の山梨県知事 田沼 健)の会員によりこの碑を建立したとの内容が記されてています。
  またこの碑の隣には明治31年に建立された「征清役従軍死者忠魂碑」と記された石碑があり、そこには日清戦争での戦病傷死者143名の氏名が刻まれています。

【(甲府名勝)征清紀念碑】   
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 前述した武田神社境内に建つ「征清紀念碑」の明治末頃の状況です。
 碑の周囲の石組みや門柱など現状とは相当に景観が変わっています。

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# by kaz794889 | 2008-10-19 22:12 | 絵葉書 | Comments(3)