2015年 03月 21日
【山梨日日新聞 平成27年3月18日付紙面】 ![]() 【中央本線 大月駅本屋】 ![]() 丸太造りの山小屋風駅舎であり、関東の駅百選にも選ばれている。 写真は風見鶏復元以前の大月駅本屋である。 【中央線大月駅前 桂川館ホテル発行絵葉書】 ![]() 写真の絵葉書は、大月駅前で営業していた桂川館ホテルが昭和初期に発行した絵葉書である。 左下に写る建物が大月駅であり、「大月駅より見たる岩殿山」との説明が付されている。 【大月駅本屋】 ![]() 現在は失われているが、駅本屋の屋根上に数段高く土台が築かれており、その上に東西南北を示す方角表示が建てられている。 新聞報道によると、「風見鶏は、50年ほど前まで同駅の駅舎にあり、地域の象徴として親しまれていた。なくなった経緯は不明だが、住民から風見鶏を復活させてほしいとの要望を受け復元した。」、「新たに設置した風見鶏は、東西南北を示しているほか、富士山と鳥居の飾りが付いた矢の先が富士山の方角を示している。同社が持っていた昔の風見鶏の写真をもとに復原した。」とある。 昭和初期の写真では、東西南北を示す方角塔はあるものの、飾りの付いた矢はなく、風見鶏という体も備えていないが、50年程前まで駅本屋の屋根上に風見鶏があったということから、復元された風見鶏は、終戦後に設置されたものと推測される。 ![]() ▲
by kaz794889
| 2015-03-21 16:51
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2015年 02月 07日
【日野春駅本屋】 ![]() 山梨県内における中央本線の駅の多くが改築されている中、現在も往事の姿を留めている駅舎の一つである。 【日野春駅本屋の東側面】 ![]() 【昭和10年8月11日の日野春駅スタンプ】 ![]() 昭和9年7月発行の『線別旅行案内 中央線』には、日野春駅付近の名所として「山高の神代櫻 駅の西南3粁(㎞)、新富村実相寺境内にあり、幹の基部から多数の支根を出したものが癒着して複軸を形成して居る。(略)樹齢千八百年に及び日本最古の桜樹といはれてゐる。指定の天然記念物である。」と記されている。 【山高の神代櫻】 ![]() 写真は昭和初期頃の神代櫻である。 ![]() ▲
by kaz794889
| 2015-02-07 23:20
| 鉄道
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2014年 06月 14日
【甲府電車軌道株式会社 線路略図】 ![]() 大正13年9月に発足した甲府電車軌道株式会社は、前年に買収した山梨軽便鉄道の軌道譲渡申請が正式に認可された大正14年1月から、正式に同鉄道が有していた馬車鉄道線を承継するとともに、動力源の馬から電力に転換する動力変更と電車軌道敷設の認可申請を目指すこととなった。 その結果、大正15年8月に甲府、鰍沢間の軌道敷設の免許交付を受けるとともに、昭和2年4月3日の臨時株主総会において、馬車鉄道の内、甲府・鰍沢線は同年5月末を以て廃止、甲府・石和線は電車開通までの営業継続を決めている。 【第一期事業 鰍沢線】 ![]() 甲府駅前を起点として玉幡、今諏訪、倉庫町、小笠原を経て鰍沢に達する路線であり、前述の臨時株主総会において、工事着工は用地買収完了を待って着手し、遅くとも富士身延鉄道(現在のJR身延線)の全通予定時期である昭和3年3~4月の完工・開通の方向付けがなされたが、同線の甲府市内区間として計画した甲府駅前から柳町、相生町、寿町を経て荒川橋に至る間は道幅が狭く、カーブ地点に難点があるため、コース変更が必要となること。また、釜無川に架かる開国橋の架橋に施工技術上の問題点があるなどしたため、最終的に施工認可がなされたのは昭和3年7月24日であり、申請を行った大正15年10月から概ね2か年の期間を要している。 なお、同線の建設にあたっての軌道敷設契約は昭和3年10月に。また、昭和4年1月16日に貢川駅建設予定地において鍬入れ式がなされ、「甲府駅前」と「甲斐青柳」間の全通は昭和7年12月27日である。 【第一期事業 石和線及び市内線】 ![]() 山梨軽便鉄道の鉄道馬車線を承継した甲府・石和間は、昭和3年7月1日の電鉄開業までを条件に営業休止され、昭和4年4月4日に工事方法変更の認可申請が正式に提出されたが、資金難の問題などにより完成には至らなかった。 ![]() ▲
by kaz794889
| 2014-06-14 13:14
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2014年 06月 08日
【甲府軌道株式会社の株券】 ![]() 甲府市を中心とする運輸交通の主要動脈であった山梨軽便鉄道会社(山梨鉄道馬車会社が鰍沢馬車鉄道会社を買収して明治39年10月に発足)の運転区間(甲府停車場・太田町間、甲府・石和間、甲府・鰍沢間)は、大正初期頃までは利用者も多く相当の繁盛をみせていたが、大正6年6月に甲府市泉町に本社を置く山梨自動車運輸株式会社が創立するなど、山梨県内における定期乗合自動車の出現、路線拡大とともに、鉄道馬車は衰退していった。 こうした社会状況の変化から山梨軽便鉄道株式会社の営業も不振となり、同社は大正12年4月6日に臨時株主を開催し、甲府電車軌道株式会社への合同を決議し事業の全部を譲渡している。 【「第八回営業報告書」】 ![]() 甲府電車軌道株式会社は大正12年11月に資本金50万円を以て創立し、山梨軽便鉄道会社の保有する各方面の免許権を継承するとともに、これを基盤とした「甲府・倉庫町・鰍沢」間13哩の新線敷設の免許を得て電車軌道建設を目指していた。 【甲府市地籍図】 ![]() 甲府電車軌道株式会社の本社は、山梨軽便鉄道会社の本社があった甲府市太田町82番地に置かれていた。 ![]() ▲
by kaz794889
| 2014-06-08 16:31
| 鉄道
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2014年 04月 19日
【中央本線 甲府駅北口】 ![]() 鉄道官舎や山梨県庁官舎などが目立った甲府駅北側に、甲府駅北口が開設されたのは昭和25年11月であり、その後、昭和61年の山梨国体開催に合わせて甲府駅が橋上駅舎となり、駅ビル、南北自由通路が設置されるまで、ホームから駅北口への連絡は、構内に設置されていた跨線橋により、つながっていた。 列車利用者は南北いずれかの出口を利用することができても、利用者以外の者は入場券による以外には、中央本線を跨いだ南北の利用については、駅の東側にある舞鶴橋(道路としての跨線橋)の利用によるほかなかったのである。 山梨国体に合わせた南北自由通路が建設され20数年が経過した数年前、甲府駅北口の再開発が甲府市を中心に進められ、現在は新たにペデストリアンデッキにより駅と街がつながるなど、写真のとおり駅北口が整備されている。 【甲府停車場ノ景】 ![]() 甲府駅が開設されたのは明治36年6月である。 「甲府停車場ノ景」とされた写真の絵葉書に明治39年開催の山梨県主催一府九県連合共進会の記念スタンプが押印されていることから、この写真は駅開設から3年後の甲府停車場北側の景観である。 【明治39年10月頃の甲府市街図】 ![]() 明治39年10月に山梨時報社から発刊された『甲州案内』に挿入された甲府市街図である。 甲府駅は旧甲府城内の清水曲輪及び花畑曲輪を取り壊して開設されたものである。 そのため、この地図上においては、舞鶴城(甲府城)の北側上部が中央本線により南北に分断されており、まだこの頃は現在復元された甲府城大手門附近の石垣や堀が残されていたことが確認できるものである。 地図に青の表示をしたのが、甲府駅の中心である駅舎が置かれた位置であり、赤丸の表示がある位置附近から、撮影されたものと考えられる。 【絵葉書の風景】 ![]() 写真に写る建物は写真の赤字表示のとおりであり、手前左に松が写る場所は甲府城の遺構である。興亜城の遺稿である ![]() ▲
by kaz794889
| 2014-04-19 20:44
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2013年 04月 14日
【現在の中央本線 穴山駅】 ![]() 大正2年8月1日に開業した中央本線穴山駅は本年開業100年を迎える。 本日(4月14日)穴山駅の韮崎駅寄りに隣接する「穴山さくら公園」では、開業100周年を記念するイベントが開催されるということである。 【「開駅四十年を顧みて」】 ![]() 『開駅四十年を顧みて』は謄写版12ページの冊子として、穴山村役場に事務所を置き、同村長を会長に、同村議会議長、穴山駅長、穴山郵便局長を副会長とした穴山村観光協会により昭和28年8月に発行されたものである。 同冊子の「調査に当たりて」には「其の年齢四十年を数える穴山駅開業当時の資料を蒐集に当り、当時の村当局者及び鉄道職員等の多くは死亡し、或は四散してしまい尚かつ終戦当時一切の書類を焼却してしまったので調査は非常に困難で唯一の頼りは長坂彰翁の遺稿のみでありました。その他は古老たち見聞、或は口づたえ等によって往時を偲び整理したもので」と記されている。 開業時の駅舎は、無人化後に韮崎市役所の出張所等となった後に取り壊され、現在はログハウス風の駅舎に建て替えられている。 穴山駅の概要については、峡陽文庫(平成24年3月11日)に「中央本線穴山駅」として掲載している。 ![]() ▲
by kaz794889
| 2013-04-14 14:12
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2012年 05月 13日
【昭和10年代の甲府駅頭】 ![]() 昭和10年代の甲府駅頭である。 駅本屋から東側寄りの駅頭風景であり、地面は未舗装である。 【現在の同位置】 ![]() ![]() ▲
by kaz794889
| 2012-05-13 10:43
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2012年 05月 04日
【東京鉄道管理局 甲府保線運輸事務所庁舎】 ![]() 甲府駅前の東側にあった、大正四年当時の東京鉄道局甲府補選運輸事務所庁舎である。 中央本線の八王子、甲府間の工事は、明治29年4月に八王子と勝沼の二か所に建設事務所を設けて着手している。 着工以来7年の歳月を有し明治36年6月に甲府まで中央本線が開通するとともに、八王子の建設事務所を甲府に移し、鉄道作業局甲府出張所と改称、甲府以西の中央本線建設の拠点している。 写真の庁舎はその際に建設された建物である。 中央本線の延伸工事の進捗とともに、明治42年1月には鉄道作業局甲府出張所に代わり、甲府運輸事務所が置かれ、翌43年には甲府保線事務所が設置されている。 【現在の同位置】 ![]() 甲府保線事務所があった場所の現在の様子である。 ![]() ▲
by kaz794889
| 2012-05-04 23:54
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2012年 03月 31日
【(甲府名所) 甲府停車場】 ![]() 甲府駅の開業は明治36年6月であり、写真の駅舎は開業時に建設された本屋である。 駅の車寄せには人力車や馬車が客待ちをしている。 その後、この建物は駅待合室のストーブの失火により、大正13年3月19日に焼失している。 【現在の甲府駅】 ![]() 現在の中央本線甲府駅である。 この駅舎は昭和61年に完成した開業から三代目の建物である。 初代の駅舎が建設されて焼失するまで21年間、大正14年3月10日に完成し甲府空襲にも焼け残った二代目の駅舎が61年間、そして現在の駅舎は今年26年目を迎える。 ![]() ▲
by kaz794889
| 2012-03-31 20:22
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2012年 03月 11日
【穴山駅駅舎】 ![]() 中央本線の韮崎駅から富士見駅間は、日野春駅、小淵沢駅の2駅を中間駅として明治37年12月21日に延伸開業している。 延伸開業された約7年後、韮崎、日野春間、7哩8分(約13㎞)という駅間距離と鉄道開通後の利用者像に伴う沿線住民の熱心な要請から、中間駅建設の必要性が生じ、大正2年8月1日に穴山駅が開設された。 穴山駅の場所は、当時、その大部分が畑地であり窪地であったため、トンネル掘削や掘割を切り取った際の土で埋め立て、それでも不足する分は駅附近の能見城跡の裾の一部を欠いて補ったと言われている。 また、こうした埋め立て地に建設したため、駅舎が沈み、開設から数年後に再び駅舎を建て直している。 現在の駅舎は近年立て直したものであるが、建て直し前の駅舎は、大正7年に建築されたものであり、待合室、事務室、小荷物取扱所など、ほとんど建設当時のまま残されており、山梨県教育委員会が平成9年に発刊した「山梨県近代化遺産総合調査報告書」にも山梨県内の近代化遺産として掲載されている。 【穴山駅のスイッチバック跡】 ![]() 韮崎、日野春間への中間駅設置について、当初は当時の北巨摩郡中田村中條の中原地内が候補地となっていた。 候補地は、山野とはいえ、比較的平坦な場所であり、相対式ホームによる駅の建設が容易な適地であったため、当時の鉄道当局が中田村に話しを持ち込んでいるが、中田村の村議会が鉄道当局の「敷地を寄附せよ」との要望に対し土地が減少することや、駅舎建設工事による風紀の乱れなどを理由に反対している。 穴山駅はスイッチバックによる駅として建設されたが、昭和46年の複線化によりスイッチバックが廃止されている。 【穴山駅前】 ![]() 駅舎の北側が穴山駅の駅前にあたり、写真のトラックの位置附近に取り壊し前の旧駅舎が建てられていた。 穴山駅の開業後、駅前に移り住む者が増加し、当時の穴山村の中心は駅前に移っていったというが、現在は駅前の雰囲気が、その区画に僅かに残るものの、営業店舗等は無くなっている。 【小林翁頌徳碑】 ![]() 穴山駅の開設にあたり、鉄道当局に敷地14,500坪を寄附することとなり、穴山村が土地所有者から買収することとなったものの、高額土地に係る買収費は村も負担することが困難であったが、当時の穴山村長であった小林保蔵の、自らの資産をなげうっても駅建設を成し遂げる決意により穴山駅が開設された。 小林翁頌徳碑は昭和28年8月に、穴山駅開駅40年にあたり建設された頌徳碑であり、穴山駅前に建立されている。 ![]() ▲
by kaz794889
| 2012-03-11 13:14
| 鉄道
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