1 2010年 01月 30日
━市制実施三十年記念 甲府勧業共進会記念絵葉書━ ![]() 甲府市が明治22年の市制施行から三十年を迎えた大正7年、甲府市の産業促進と市制施行三十年を記念し、甲府勧業共進会が10月5日から同月25日までの20日間を会期として、市内4か所を会場として開催された。 絵葉書に写る風景は、【左側】上部は第一会場(舞鶴公園)、下部は第二会場(県会議事堂)、【右側】上部は甲府駅前に特設された歓迎門、中部は第三会場(甲府商業会議所附属物産陳列館)、下部は第4会場(遊亀公園)である。 【第一会場正門】 ![]() 第一会場となった、舞鶴公園(甲府城址)の遊亀橋のたもとに開設された甲府勧業共進会の第一会場正門である。 【第一会場の一部】 ![]() 第一会場である舞鶴公園内の広場に開設された、特設噴水を中心とした売店や軽食堂などの会場風景である。 【第二会場】 ![]() 甲府市錦町(現在:甲府市丸の内1-17-3附近)に明治20年に建設され、第二会場となった県会議事堂(現在の県会議事堂とは異なる初代の建物。)である。 【第三会場】 ![]() 錦町18番地の甲府商業会議所に隣接して大正4年7月に建設された、第三会場となった甲府商業会議所附属物産陳列館である。 【第四会場正門】 ![]() 第四会場となった遊亀公園の正面入口である。 ![]() ▲
by kaz794889
| 2010-01-30 21:08
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2009年 08月 22日
【国産愛用 甲府勧業博覧会 記念絵葉書】 ![]() 昭和4年11月21日、金解禁に関する省令が公布され、翌5年1月11日から金解禁が実施された。 当時は為替相場が低下する傾向の中、円を切り上げる方向での金本位制度復帰となったため、円高による増加が見込まれる輸入を抑え、輸出の増加を図るため日本の産業界全般にわたる合理化が必要となり、政府は商工省の外局として臨時産業合理局を設置し産業合理化を進めていく中、その一環として昭和5年6月3日に国産品愛用運動が政府通牒された。 こうした背景のもと、昭和5年9月22日から10月31日までを開催期間として『国産愛用 甲府勧業博覧会』が、第一会場を舞鶴公園(甲府城址)、第二会場を太田町公園として開催された。 【国産愛用 甲府勧業博覧会の入場券】 ![]() 博覧会の入場料は20銭であった。 ━第一会場 正面━ ![]() 甲府城址の入口である、遊亀橋のたもとに設置された、第一会場の正面入口である。 ━第一会場━ ![]() 甲府城址の鍛冶曲輪(城内の広場)に設置された展示棟である。 ━第一会場 大礼館━ ![]() 昭和3年に行われた、昭和天皇の即位の大礼に関する展示棟である。 ━第一会場 台湾館━ ![]() 当時は日本の統治下にあったことから、国産品愛用の一環として設けられた台湾についての展示棟である。 ━第二会場 正面━ ![]() 太田町公園に開設された国産愛用甲府勧業博覧会の第二会場正面入口である。 左に写る展示棟が機械館、その右の三角形の建物は第二会場の本館である。 ![]() ▲
by kaz794889
| 2009-08-22 21:48
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2009年 06月 28日
大正2年10月28日から11月5日まで、衛生思想を普及・発達させることを目的とした衛生展覧会が私立山梨県衛生会の主催により開催された。 当初の開催期間は11月3日までの7日間を予定していたが、参観の会期延長を望む声から2日延長し11月5日まで開催したものである。 【衛生品展覧会案内】 ![]() 近代医学が発展し治療も整備されていったが、当時の社会における一般の人々の保健衛生に関する知識は、今だ十分とは言い難い状態であり、迷信にとらわれたり、伝染害毒の存在を知らず重患に陥るなど社会・公衆における問題となる事態が往々として存在するなどしており、保健衛生における知識の浸透と、それを以っての予防策は重要課題に位置付けられ、山梨県内の主要町村において家庭衛生講習会が催されるとともに、衛生品展覧会が開催された。 【衛生展覧会場・本館及庭前噴水之図】 ![]() 衛生展覧会は大正2年6月に甲府市深町(現在の甲府市立図書館及び甲府市教育研修所の場所)に新築移転した旧工(たくみ)学校(明治40年4月に琢美小学校と改称)の校舎(現在:甲府市城東一丁目15及び16番地附近)全部を仮用し午前九時から午後四時までを観覧時間として開催された。 写真の噴水は、本館(いわゆる藤村式建築である工学校校舎を使用)と会場正門の間に開催期間中に設置されたものであり「大に風趣を添へたり」と伝えられている。 【現在の会場跡】 ![]() 衛生展覧会が開催された旧工学校跡の現在の様子である。 なお、旧工学校の校舎は大正6年4月28日に徒弟学校令により創設された市立甲府工芸学校(現在の甲府工業高校の前身)としても使われていた。 ━衛生品展覧会記念絵葉書 本館・正門━ ![]() 会場の正門には大緑門を設け衛生展覧会の扁額を掲げ国旗を交差させていた。 ━衛生品展覧会記念絵葉書 保健部の内一室・陳列室の一部及裏門━ ![]() 旧工学校は甲州街道に面して正門が設置され、裏門は山田町通りの甲斐奈神社に面した附近に設置されていた。 ━衛生品展覧会記念絵葉書 売店━ ![]() 売店は会場内の5か所に設けられ、衛生に関係する物品が主に販売されていた。 【衛生品展覧会場平面図】 ![]() 展覧会は保健、墓地及び火葬場、防疫、地方病、生理及び解剖病理、皮膚病及び花柳病、薬品、参考品の8部門を核とした各部門単位による陳列が行われていた。 【私立山梨県衛生会主催 衛生展覧会開解疏】 ![]() 大正3年11月15日に私立山梨県衛生会が衛生展覧会総括のために発行した『衛生展覧会開解疏』である。 10月28日から11月5日までの期間中における観覧者は103,690人に達し、予想以上の盛況を呈していたようである。 また、期間中の余興として甲府市三日町の巴座において、衛生展覧会関係者の起稿による衛生演劇「いのち」が演じられこれも盛況を呈していた。 ![]() ▲
by kaz794889
| 2009-06-28 19:23
| 博覧会
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2009年 03月 15日
甲府勧業博覧会は大正15年9月20日から10月30日の40日間、舞鶴公園を第一会場、遊亀公園を第二会場として開催された。 ━甲府勧業博覧会記念 第一会場正門━ ![]() 甲府柳町春秋社が作成し甲府勧業博覧会協賛会が発行した「甲府勧業博覧会記念」絵葉書4枚組の一枚 である。 ━第一会場 正門━ ![]() 市制30年を記念して大正7年に開催された甲府勧業共進会の開催以来8年が経過し、その後の甲府における産業の発展状況などから、「規模大に失せず、小に過ぎる程度」における博覧会開催を市民一般が熱望することとなったこと。 また、横須賀市において開催された軍艦三笠保存記念博覧会の開催設備等の請負業者が、甲府において博覧会計画があるのであれば、会場建築等の設備に応ずるとの意向があったことなどから、新海栄治を始めとした市内の融資が甲府商工協会を組織し、同会の事業として博覧会の開催となったものである。 ━甲府勧業博覧会 第一会場 京都特設館━ ![]() 大正15年9月22日、舞鶴公園内の機山館において開会式が挙行され、開催後は日を追って予想外の盛況を呈することとなった。 ━甲府勧業博覧会 第二会場 正門━ ![]() 遊亀公園に設けられた第二会場の正門である。この場所は、現在も遊亀通り側に面した、遊亀公園の入口として使用されている。 ━甲府勧業博覧会 第二会場 飛行機━ ![]() 博覧会の盛況に伴い、入場料を始めとした諸種の収入増加により、収支の余剰金が発生したことから、海軍省から飛行機の払下を受け、第二会場である遊亀公園に格納庫を設け一般の参観に供し、軍事思想の普及の一端としたのが、この飛行機である。 ![]() ▲
by kaz794889
| 2009-03-15 11:08
| 博覧会
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2009年 02月 15日
━甲府城内一府九県連合共進会会場之景━ ![]() 明治39年10月1日から11月10日までの41日間に亘って開催された一府九県連合共進会は、舞鶴公園を会場とし、その園内である旧甲府城内に19棟、総建坪1772坪の建物【内訳:第一号館(3棟)、第二号館から四号館(各2棟)、第五号館、六号館(各3棟)、第七号館(1棟)、事務室(1棟)、審査室(1棟)】を陳列館等として建設した。 ━甲府舞鶴公園内一府九県連合共進会場━ ![]() 陳列館等の建物は、当時の陸軍予備病院広尾分院の建物を移築等(明治39年5月に起工)したものである。 また、共進会に参加した府県は、共進会開会前から甲府市内に府県事務所を設け(東京府、栃木県:長禅寺、神奈川県:瑞泉寺、新潟県:信立寺、千葉県:尊体寺、埼玉県:天理教会、長野県:一蓮寺、茨城県:横近習町大神宮、群馬県:百石町柳葉家宅)、数名の職員を派遣して開会に向けた準備を行っていたものである。 ━山梨県主催一府九県連合共進会祝賀記念━ ![]() 共進会開催中における守衛の服装は、この絵葉書に描かれている守衛像のとおり、深紅の上着に白色のズボンを穿き、白毛を附した銀色の冑をかぶっていた。 当時の説明によれば「本邦古代甲冑の衣装を加味したる和洋の調和よろしきに適ひ、実に明治時代服装の一模範たるを失はず」とある。なお、上着を深紅色としたのは、武田24将の一人、山県昌景の赤備えに由来するものである。 ━共進会会場(イルミネーション)━ ![]() 共進会の開催中、晴天の日に限り日没後3時間、模擬天守閣内への一般登覧が可能であった。模擬天守閣、会場正門は電光飾(イルミネーション)が施され、その壮観さに人目を驚かせたといわれる。 【褒賞授与式案内状】 ![]() 一府九県から共進会に出品された、当該府県において採取、産出又は製造した農業、林業、水産業、鉱業、工業品、54,678点について、一等から四等までの優秀な出品物の審査(共進会開会日から10月31日までの間に実施)により選定された出品物に対する褒賞授与式が、11月5日に舞鶴公園内の機山館において、農商務大臣、関係知事等の関係者が出席して挙行された。 【褒賞授与式順序】 ![]() ━褒賞授与証の絵葉書━ ![]() ![]() ▲
by kaz794889
| 2009-02-15 22:57
| 博覧会
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2009年 02月 11日
明治39年10月1日から11月10日までの41日間、山梨県の物産と観光を紹介する等のため、甲府城址である舞鶴公園を会場に一府九県連合共進会が開催された。 ━ 一府九県連合共進会記念絵葉書 1━ ![]() 共進会は東京府、神奈川、新潟、埼玉、群馬、千葉、茨城、栃木、長野、山梨の各県(一府九県)が参加、山梨県が主催して開催された。 共進会協賛会長は当時の山梨県知事である武田千代三郎(写真の人物)が務めた。 一府九県連合共進会の開催にあたり、武田知事は御嶽新道(昇仙峡)、天目山、白須松原などへの史跡名勝探勝旅行の企画や大塚蒼湖、鈴木尚重が描く彩色木版画集『甲山峡水』を発行するなど共進会を契機とした山梨の観光施策を積極的に行った。(山梨県知事から青森県知事への転任後は、十和田湖の観光施策を行ってもいる。) ━ 一府九県連合共進会記念絵葉書 2━ ![]() 甲府城址の遊亀橋の北詰に設置された共進会の正門である。 共進会の入場は午前8時から午後4時まで、入場料は2銭であった。(入場券の発売所は、遊亀橋南詰の東側に設置されていた。) ━ 一府九県連合共進会記念絵葉書 3━ ![]() 第十銀行頭取、佐竹作太郎の寄附により共進会開催中に仮設された模擬天守閣である。 天守閣へは入場料2銭で登覧でき、共進会の開催中23,684人が登覧している。 ![]() ▲
by kaz794889
| 2009-02-11 19:05
| 博覧会
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2009年 02月 01日
昭和3年の富士身延鉄道(現在のJR身延線)全線開通に併せ、この年に山梨電気博覧会が開催された。 当時の史料によれば、『山の国の代表とも称すべき山梨県は、また実に水によりて恵まれる世界絶無の水電国である。その水力を利用し是れを電気化することに於て本県は全国に其比を見ない、この天恵を知りて利用の途を詳らかにせず、いわゆる電気知識に乏しきは遺憾である、その見地から開催となった』ものである。 ━山梨電気博覧会 大アーチ 第一・ニ会場正門━ ![]() 昭和3年4月1日から4月20日までの20日間、山梨電業協会主催、山梨県、甲府市、電気協会関東支部の後援により、舞鶴公園及び遊亀公園を会場に開催された。 会場には当時一般化されていなかった電化製品、ラジオ、蓄音機、冷暖房機器などが展示されていた。 ━山梨電気博覧会第二会場━ ![]() 第二会場は舞鶴公園内に開設された展示場である。 ━山梨電気博覧会第三会場 演芸館・特設館━ ![]() 第三会場は遊亀公園に開設された。 ━山梨電気博覧会第一会場(夜景)━ ![]() 舞鶴公園内の機山館が第一会場とされた。これは機山館のイルミネーションである。 ━山梨電気博覧会第一・ニ会場(夜景)━ ![]() 舞鶴公園の博覧会正門大アーチと機山館のイルミネーションである。 ![]() ▲
by kaz794889
| 2009-02-01 17:42
| 博覧会
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2009年 01月 31日
明治22年の市制施行から50年を記念し、観光都市甲府を全国的にアピールするための甲府市主催、「全日本産業観光甲府大博覧会」の開催が昭和11年頃に計画され準備が進められていった。 当時、全国各地で開催された種々の博覧会は開催都市のイメージアップが図られていることから、 昭和13年3月25日から5月13日までの50日間の予定で開催が決まり、舞鶴公園、遊亀公園や市役所建設予定地として買収した県庁跡地(現在の市役所所在地)などを会場とし、ネオン塔、野外劇場、水晶館、山梨産業館、発明館、日蓮館、航空防衛館、近代科学館などの展示場の建設が計画され、昭和12年に入り宣伝ポスターや建物の手配などの準備が着々と進んでいった。 【甲府市鳥瞰図】 ![]() ![]() この鳥瞰図は、博覧会開催のため当時全国的に活躍していた鳥瞰図絵師、吉田初三郎によるものであり、鳥瞰図の他にも吉田初三郎による甲府市内や山梨県内の四季の風景を描いた絵葉書を発行するなどの準備が進められていた。 昭和12年に入り、開催に向けた準備が一段と進む中、7月7日に盧溝橋事件が発生し日中戦争に突入するなど、国内においても戦時体制となったことから、博覧会開催の一時延期などが論議される中、日中戦争長期化の様相や軍部からの要請などから開催の目途もたたなくなり、昭和12年8月に博覧会の開催は中止となり、「全日本産業観光甲府大博覧会」は幻の博覧会となったのである。 ━全日本産業観光甲府大博覧会(開催ポスター)━ ![]() ━全日本産業観光甲府大博覧会(開催ポスター)━ ![]() 博覧会で使用する展示場の建設にあたっては、昭和12年3月15日から5月31日までの間、名古屋市で開催された「名古屋汎太平洋平和博覧会」における展示場の使用済資材を入手して建築することとし、建築の請負を待つ状態であったなど、諸準備が進んでいた中での開催中止により甲府市には予想外の大欠損が生じたようである。 ![]() ▲
by kaz794889
| 2009-01-31 23:13
| 博覧会
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