2008年 11月 26日
『身延線全通80年』 身延線は、今年全線(富士・甲府間)開通80年を迎えました。 大正2年の富士・大宮間(現在の富士宮)の開業以来、順次延長しながら昭和3年3月30日に富士・甲府間が全線開通しました。 身延線は戦時買収により、昭和16年5月1日に国買収・移管されるまで、「富士身延鉄道株式会社」という私鉄として運営されていました。 ━『沿線名所案内』(富士身延鉄道会社発行)━ 身延線も全線開通以来80年を迎え、山梨県内に残る当時の駅舎は、南甲府、東花輪、鰍沢口、下部温泉、波高島駅など数少なくなりました。 こうした数少ない駅舎の中で、南甲府駅は重厚な駅舎として特に異彩を放っています。 昭和3年3月30日の市川大門駅から甲府駅までの全通と同時に、「甲府 南口駅」として駅舎が完成し、同13年10月1日に駅名が「南甲府」と改称さ れ現在に至っています。 ━現在の南甲府駅━ 現在の南甲府駅の機能や旅客の利用状況、駅周辺の様子などを見た限り、駅舎の規模に違和感が感じられますが、逆にその違和感に甲府市南部の開発拠点として期待を込めて甲府南口駅が開設された、当時の状況が偲ばれます。 ━甲斐 甲府南口駅━ 甲府南口駅舎の開業当時の状況について、昭和評論社(甲府市愛宕町49番地)発行の雑誌『昭和評論』に次のとおり記されています。 ━『昭和評論』 第二巻・第三号(昭和3年4月15日発行)━ 『壮観を誇る甲府南口駅』 富士身延鉄道の中枢駅として全 力を注いで建設した甲府南口駅は 構内延長四十七、即ち 約一哩の 広大を有し鉄筋コンクリート二階建 である、階下は南方待合室、北方は 駅の事務所、二階は運輸所及び公 衆食堂で屋上庭園の設備をなし、ホ ームに出るには地下道付住吉方面 と甲府方面との二方に分れアスハ ルトの道路は踏心地よく、小手荷物 は総てエレベーターに依りて運搬さ れる。発車信号は改札とホームとの 距離の関係で電気の信号に依り、 貴賓室は本県には従来見なかった が、今回始めて設備され尚乗降客 の便宜を計る為め甲府駅と連絡す る自動車を会社自身が運転する等、 甲府駅などは全く顔色なき設備で 至れり尽せりと云ふべく甲府南方 面は是より一大発展を遂ぐるに至 るであらふ。 『昭和評論』に記された地下道は、自由通路として現在も東西の連絡に使用されています。 この地下道の中間附近で一段天井が高くなっている場所が、ホームに続く 階段があった場所と考えられます。また、ホームの中ほどにも、階段口があ ったと思われる場所が現在も認められますが、現在の南甲府駅に、昭和評 論に記された開業当時の様子を偲ぶことは、難しいのではないでしょうか。
by kaz794889
| 2008-11-26 22:19
| 鉄道
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