峡陽文庫

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2008年 10月 26日

機山館と山梨県教育会館

━甲府城の木版画━
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 明治39年11月22日23日の両日、甲府城内で開催された、第二回日本赤十字社山梨支部総会を記念して配布された木版画です。左側の二階建て洋館が機山館です。
 総会開催直前まで、一府九県連合共進会が開催(明治39年10月1日~11月10日)されていたため、その際の一部陳列館や模擬天守閣は、そのままの状態で総会の来賓者に供覧させていました。その際の景観を木版画にしたようです。

【機山館】
━東宮殿下甲府行啓御滞泊所機山館━
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 機山館は市町村及び民間有志の出資する財団の事業として工事が進められ、明治39年9月に甲府城内稲荷曲輪(以前、青少年科学センターのあった場所)に公会堂として完成しました。
 また、明治45年3月に東宮殿下(後の大正天皇)が山梨に行啓された際には、御滞宿所としても使われました。その後、大正6年に建物が山梨県有となり、山梨県公会堂として多くの文化イベント等に使用されてきたようです。

━甲府舞鶴城跡之公園━
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 壕に架かる遊亀橋から北方向の景観です。機山館が甲府城内に建っていた頃はこのような景観だったのでしょう。現在は同じ方向に、近年完成した高層マンションを見ることができます。

━山梨県教育会館━
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━大講堂━
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 昭和6年11月の通常県会において、機山館(木造洋風二階建、建坪約220坪)を公会堂として廃止し、山梨県教育会に教育会館として使用させるために建物を無償譲渡する。
 また、教育会館として建物の使用を止める場合は、山梨県に無償還付する。といった議案が上程され、起立多数で可決されました。
 なお、甲府城内の現在地では教育会館として使用するには不適当であるため、相当の修繕・改造を加え、新たに県庁構内に移築することとし、昭和7年9月に新たに県庁構内(現在:県庁本館の建つ場所)に移築しました。
 これは、移築後の山梨県教育会館とその内部(二階の大講堂)です。
 
【その後の教育会館】
 移築後、数年が経過した昭和13年2月2日未明、風速5m余の強風の中、甲府駅前(甲府市橘町1番地)の2階建共同アパートの一室、炬燵附近から出火し、全焼24戸、半焼3戸、破壊10戸の甲府駅前大火がありました。
 火事も一旦は鎮火し、消防も引き上げ作業を行っていた午前5時頃、教育会館に火が飛び火し屋根裏から燃え上がり、それに気づいた時には既に火勢が早く、機山館を永く記念する教育会館は烏有に帰し全焼しました。

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by kaz794889 | 2008-10-26 20:42 | 史料 | Comments(4)
Commented by ひろ坊 at 2008-10-27 00:21
またまた凄い資料ですね。特に一番上の甲府城の木版画は、はじめて見る。
Commented by 凡苦楽庵 at 2008-10-27 00:39
この教育会館の外観デザインは、現在の南庁舎(旧県立図書館)とどことなく似ていますね。同じ設計者かも知れませんね。
Commented by アライグマ at 2014-09-01 07:11
『若尾地所決算報告書』を読んでいましたら、「機山館」というのが何度となく出てきましたので、気になってググってみましたら、このブログにたどり着きました。感激です。歴史好き万歳!
Commented by at 2023-03-26 18:43
機山工業とはなにか関係があるのですかね??


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