2017年 08月 16日
【明治期の小笠原長清公祠堂と石碑】 ![]() 小笠原長清は応保2年(1162年)3月に、加賀美遠光の二男として生まれ、原小笠原荘(南アルプス市小笠原)を本拠とし、現在の南アルプス市立小笠原小学校附近に館を構えたという。 小笠原長清は父親である加賀美遠光とともに鎌倉幕府の創建に活躍し、文治元年(1185年)に源頼朝の推挙による遠光の信濃守着任に続き、長清が信濃の佐久伴野荘の地頭となったことにより、小笠原氏は信濃へ進出し基盤を築いたという。 その後、承久の乱において東山道大将軍として活躍し、鎌倉幕府の軍勢を率いて上洛した後は京都に生活の基盤を置き、仁治3年(1242年)7月に81歳で没した長清の遺骸は京都清水坂の長清寺観音堂に埋葬されたが、応仁の乱により焼失したため、岐阜県の荘福寺、長野県の開善寺、長清寺の三か所に分骨されたことが伝わっている。また、南アルプス市下宮地の一角には家臣らによる古墓があったとされていた。 明治24年頃、当該地の開墾において土中から石棺が出土したことから、明治34年に近村、甲府、水戸の有志らによる賛助を得て小笠原長清公祠堂及び墓碑(祠堂の右側)が建てられている。 【現在の小笠原長清公祠堂】 ![]() 明治34年に建立された小笠原長清公祠堂は下宮地にあった若宮神社の社殿を移築したものであり、桃山式建築様式の特色ある部分が残っていたという。
現在の祠堂は、その後の老朽化等により平成14年に改修されている。 【小笠原家高祖之塋域碑】 ![]() 同碑は祠堂とともに明治34年に建立されたものであり、石碑の書は長清の後孫にあたる当時の東宮侍従小笠原長育によるものである。 ![]()
by kaz794889
| 2017-08-16 13:40
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Comments(1)
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