2014年 12月 21日
【野口英夫君碑】 「野口英夫君碑」は新聞人、政治家であった野口英夫の顕彰碑であり、名取忠愛、矢島栄助、細田武雄、新海栄太郎、山本伊作、三枝治郎の6名が発起人となり、有志366人の賛同を経て甲府城跡二の丸入口に建碑され、昭和4年9月23日に約300人が出席のもと除幕式が行われている。 この顕彰碑は前述のとおり、当初は甲府城跡内(武徳殿敷地の入口右側附近)に建てられていたが、甲府城跡整備のため平成10年に移設され、現在は甲府市の「丸の内公園」に建てられている。 【「野口英夫君碑」表面】 篆額は内閣総理大臣を務めた清浦奎吾、撰文は徳富猪一郎による碑は、製作から完成まで一年を要したという。 【野口英夫の墓】 野口英夫は安政3年9月3日に徳島県板野郡大山村(現在の上坂町)で藍問屋を営む野口亀太郎の四男として生まれ、幼名は長十郎、8歳で仏門に入り僧名を英鳳とし、22歳で還俗し英夫と名乗ることとなった。 明治6年に東京に出て中村敬宇の同人社に学び、山梨県との縁のきっかけは、明治12年2月21日に山梨日日新聞の前身であり峡中新聞、甲府新聞を改題した甲府日日新聞の主筆として迎えられたことによる。 明治14年1月に甲府日日新聞が山梨日日新聞に解題されると、社主である内藤伝右衛門から一切の権利譲渡を受け、以降は山梨日日新聞の社長となり、その前後には山梨県会議員、甲府市会議員となり正副議長を務めている。 大正11年2月20日に66歳で没している。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。
by kaz794889
| 2014-12-21 18:05
| 石碑
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