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2014年 06月 22日
【大日本赤十字社看護婦加藤富士子之墓】 ![]() 日清戦争においてはじめて日本赤十字社の看護婦が陸海軍の病院に召集されたという。 日露戦争にあたり、大日本赤十字社山梨県支部においても、医師2名、調剤員1名、書記1名、看護婦22名による26名体制の救護班編成の準備を進め、明治37年8月27日に「第三十八救護班」が正式に編成されると、翌日午後2時から山梨県議会議事堂前で壮行会が開催され、その後、広島に向け甲府駅を出発している。 9月1日に広島に到着すると、3日に陸軍病院船大連丸乗り組みの配属命令を受け、翌4日に宇品港を出港し、明治38年2月7日の幸運丸への転乗の命を受けるまで、大連、多度津、高浜の間を16回航海し、その間、3090名の戦傷軍人航送に携わっている。 また、陸軍病院船幸運丸に転乗となった明治38年2月8日から日露戦争終結後である明治39年1月24日の輸送最後の日まで、大連、横浜、多度津、宇品の間を23回航海し、6653名の戦傷軍人航送に携わっている。 なお、「第三十八救護班」の班員中、公務中の病気感染により、医員の磯野久丸医師が明治38年5月4日に、加藤富士子看護婦が明治38年7月28日に広島予備病院における入院加療中に病没している。 大日本赤十字社山梨県支部により編成された「第三十八救護班」は、明治39年1月24日に広島の宇品港において救護班27名の解任式を行った後、28日の午後一時十五分甲府駅着の列車で凱旋している。 当日の駅頭には大日本赤十字社山梨県支部長である武田千代三郎知事をはじめ日赤役員、正社員が日の丸の旗を振って出迎え、午後二時から当時甲府城内にあった甲府中学校講堂において第三十八救護班の解散式が挙行されたという。 【同墓碑の正面】 ![]() 加藤富士子は、明治16年6月に甲府柳町の加藤儀兵衛の次女として生まれ、明治34年に大日本赤十字社の看護婦として、大日本赤十字社山梨県支部が明治33年4月から山梨県病院に委託開所した、日本赤十字社山梨支部準備看護婦養成所の第三期生(5名)の一人として2年間の講習を受けた後に第三十八救護班の班員として陸軍病院船大連丸に乗船している。日本赤十字社本社は、加藤看護婦の死去にあたり、弔祭金600円を贈っている。 なお、「第三十八救護班」の凱旋後である、明治39年1月29日に凱旋時の同班班長である加賀医師ら数人が墓参している。
by kaz794889
| 2014-06-22 12:58
| 山梨 日露戦役を歩く
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