2014年 05月 10日
【「第4週 嵐を呼ぶ編入生」から】 その頃、甲府では、朝市が一つの決断を母親のリンに打ち明けていた。「師範学校を受けて、教師になる」 東京で勉学にいそしむはなに触発され、朝市は本を読むため、教会に通い続けていた。 【山梨県師範学校の二代目校舎】 朝市が母親に打ち明けた場面が、歩兵第49連隊が甲府を衛戍地として甲府に入った明治42年4月以前であるドラマのストーリーからすると、当時の師範学校は山梨県師範学校であり、その場所は甲府市錦町(現在の甲府市中央1丁目11の中央公園の位置)であった。 写真は明治17年9月に竣工し明治43年3月まで使用されていた山梨県師範学校の2代目校舎である。 【山梨県師範学校の初代校舎】 明治9年7月に新築された山梨県師範学校の初代校舎である。 この校舎は明治13年6月の明治天皇山梨御巡幸の際には行在所とされた由緒ある校舎であったが、明治16年1月29日に校舎本館からの失火により本館と左右の附属建物二棟が焼失している。 【徽典館跡碑】 明治8年に山梨県師範学校と改称された同校は、江戸寛政年間に創設された甲府勤番子弟の教育施設である甲府学問所、後の文化2年に命名された徽典館(キテンカン)を嚆矢としており、甲府城追手門の南側から、徽典館跡碑の建つこの場所に明治9年の初代校舎落成とともに移転している。 「徽典館跡碑」はかつて山梨県師範学校のあった中央公園内に、学制百年を記念して昭和48年3月に建碑された記念碑である。 【明治末期の甲府市街図】 山梨県師範学校は校舎狭隘のため、西山梨郡相川村昌永(現在の甲府市武田4丁目)に移転することとなり、明治43年3月に新築移転している。 左記市街図の青色で囲んだ部分が明治43年に新築指定した山梨県師範学校の位置である。 また、赤色で囲んだ部分が移転前の山梨県師範学校の位置である。 山梨県師範学校は昭和24年5月の新制大学設置に伴い、山梨大学学芸学部となり、昭和41年に教育学部、平成10年には教育人間科学部と改称し現在に至っている。 なお、青色で囲んだ新築移転後の山梨県師範学校の位置は、現在山梨大学教育人間科学部となっている。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。
by kaz794889
| 2014-05-10 17:45
| 花子とアンとその時代
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