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2013年 08月 16日

旧山梨県庁舎と旧徳島県庁舎に関わる建築家

【旧山梨県庁舎】
旧山梨県庁舎と旧徳島県庁舎に関わる建築家_f0191673_1543113.jpg  旧山梨県庁舎は昭和2年10月1日起工、同5年3月31日に竣工し、平成21年12月24日には山梨県文化財に指定されており、平成27年3月には「山梨県庁舎別館展示施設整備基本計画」に基づき旧正庁及び旧知事室等を創建時の姿に修復した上、2階東側部分に「山梨近代人物館(仮称)」が開館する予定である。




【旧山梨県庁舎 正面】
旧山梨県庁舎と旧徳島県庁舎に関わる建築家_f0191673_1552236.jpg  旧庁舎は2年6か月の歳月と総工費100万円、清水組等15業者延べ6,500余人により建設された鉄筋コンクリート造一部鉄骨造で地下1階地上3階建ての建物であり、『山梨県近代化遺産総合調査報告書』(山梨県教育委員会編 平成9年3月発行)によれば「設計者については記録が残存していないので不明であるが、東京大学教授佐野利器博士がしばしば建設現場を視察したとの当時の新聞記事から、同博士が設計ら何らかの関与をした可能性が考えられる。」とある。
  佐野利器が山梨県庁舎の設計に関与したことが裏付けられる建物として、その外観が酷似する旧徳島県庁舎が残されている。




【徳島県立文書館の案内パンフレット】
旧山梨県庁舎と旧徳島県庁舎に関わる建築家_f0191673_15433444.jpg  旧徳島県庁舎は徳島市八万町向寺山の文化の森総合公園内にその一部が移築(外観と一階エントラスホールが復元)され徳島県立文書館となっている。
  旧徳島県庁舎の概要と佐野利器の関わりについては、徳島県立文書館の1階エントラスホールに掲げられた銘板に次のとおり記されている(一部省略)。
  「 徳島県立文書館の建物は、旧徳島県庁の正面玄関部分を中心に、形式、材料とも可能な限り生かして  建設されました。外枠部分の石材、玄関ドア、階段の手すり、テラコット(陶器製の屋上装飾)、丸形屋根   瓦、外壁タイルの一部などは、旧庁舎の建材をそのまま使用しています。旧県庁舎は昭和5年3月、徳島  市富田浦町字東富田20番地の1(現県庁の西側駐車場一帯)に鉄筋コンクリート三階建て、2年4か月の  歳月、延べ52,400人、86万4千余円の費用を費やして建設されました。建設の指揮に当たった佐野利器  博士は、旧国技館、明治神宮外苑競技場、学士会館などの設計を手掛けられた建築構造学の権威者で   あり、この県庁舎は日本の初期鉄筋コンクリート建築の代表作の一つとされていました。昭和58年の新庁  舎建設着手に伴い、伝統的な旧県庁舎の一部を文化の森総合公園内の文書館として移築・保存すること  になり、平成元年10月に完成しました。」




【旧徳島県庁舎】
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【旧徳島県庁舎 側面】
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【佐野利器の墓所】
旧山梨県庁舎と旧徳島県庁舎に関わる建築家_f0191673_15454898.jpg  佐野 利器(さの としかた)(明治13年4月1日~昭和31年12月5日)は山形県西置賜郡荒砥村に生まれ、旧制第二高等学校、東京帝国大学建築科を卒業(在学中に建築学を辰野金吾に学んでいる)している。  東大建築学科の教授を任期中途で退官し、日本大学の工学部長を務めるなどした後、1929年(昭和4年)~1932年(昭和7年)に清水組の副社長を務め、建設会社組織の近代化を図る等した建築家、構造学者である。
  佐野利器が旧山梨県庁舎の建設に深く関与したのは、同庁舎が清水組を中核とした業者により建設され、建設時期に清水組の副社長を務めていたことが、その理由の一つではないだろうか。




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by kaz794889 | 2013-08-16 16:03 | 山梨の近代建築 | Comments(0)


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