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2013年 01月 03日

山梨の蔵元 7 『都築酒造店』

【「甲斐ヶ嶺」のラベル】
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  西八代郡岩間村(現在:市川三郷町岩間)で酒造業を営んでいた都築酒造の創業は明治5年であった。
  明治維新当時、落居、宮原、三沢、車田、富士川対岸の切石、飯富など当該地域周辺には複数の醸造業者が続出していたが、こうした複数の同業者の大部分は資産に任せて開業はしたものの、その殆どが杜氏任せとなっていたため、次第に淘汰される状況に至り、明治末期まで営業を維持した醸造業者は数軒にすぎなかったという。創業から同店が軌道に乗ったのは明治20年頃であり、戦後期まで代表銘柄を「甲斐ヶ嶺」として営業してきたが、現在は廃業している。
  なお、写真の「甲斐ヶ嶺」のラベルは中川一政により作成されたものである。



【都築酒造店跡①】
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  都築酒造店の門構えである。



【都築酒造店跡②】
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  10年程前までは酒蔵の跡が残っていたが、現在は更地となっており右側の住宅のみが残されている。



【雑誌「甲州倶楽部」昭和11年3月号】
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  同酒造店の主人は旧制錦城中学校時代に中川一政と同級生であったため、昭和48年に本人が没するまで中川一政との親交が続いていたという。
  中川は岩間村周辺の風景を激賞しその風景などを描くため、戦前期に半年ほど弟子をつれて岩間村に滞在したこともあったという。そうした関係から「甲斐ヶ嶺」のラベルを中川一政が描いたものと考えられる。
  写真の雑誌「甲州倶楽部」は、東京の山梨県人会的組織であった山梨協会により発行されていた雑誌であり、昭和元年に同協会が発行していた雑誌「山梨」を改題した雑誌である。
  この雑誌の昭和11年3月号(通巻78号)に、目次にあるとおり中川一政による「富士川日記」(随筆)と「甲斐の富士川」(12首の短歌)が掲載されている、いずれも岩間村やその周辺の情景を作品にしている。

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【「甲州倶楽部」掲載の「富士川日記」】
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  この作品の一節で中川は、「日本国中に画架を立つべき所は、まさに無数なるべきを私が何故こんな所へ来たかと云ふと、私の友達が岩間村に富士川の水をくんで酒を作ってゐる縁故である。」と記している。
  岩間村の友人が都築酒造店の主人である。 




【中川一政の墓所】
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  東京豊島区にある中川一政の墓所である。




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by kaz794889 | 2013-01-03 19:11 | 蔵元 | Comments(0)


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