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2012年 12月 09日

旧北巨摩郡農会庁舎

【旧北巨摩郡農会庁舎】
旧北巨摩郡農会庁舎_f0191673_23154689.jpg 農会は農事の経験知識を交換し、農業の改良進歩を図るために民間機関として当初発足した組織であり、その始めは明治10年頃に発生した農談会、種子交換会などの組織であったという。その後、明治14年に当時の農商務省が全国の老農を集め第一回農談会を催したことを機に、東洋農会、東京談農会を中核とした有志団体としての大日本農会が皇族を会頭に勧農官僚を役員として設立されている。
  明治20年以降、各府県に地方組織としての農談会、農業会等が相次いで発足され、明治27年には全国農民の意向を代表する機関として全国農事会が設立すると、同会は町村農会、郡農会、道府県農会を組織すめ系統農会を目指すこととなった。
  これに対して政府は明治32年に農会法を成立させ、道府県農会以下、郡、市、町村農会に至るまで、農事改良を行う法人団体として認めることとなり、更に明治43年には中央に帝国農会が設立され、傘下に全国の系統農会を組み込み農会の中央機関として認められることとなった。
  その後、戦時中の国内統制強化に伴い、昭和18年の農業団体法公布により農会は産業組合と統合されて農業会となり、農会は解消されている。
  北巨摩郡農会はこうした経緯の中で設立された、北巨摩郡を所管する系統農会であり、写真の旧庁舎は昭和11年に建設された建物である。




【旧同庁舎正面玄関部分】
旧北巨摩郡農会庁舎_f0191673_23161896.jpg  正面玄関の作りは、旧北巨摩郡農会庁舎の特長的なポイントのひとつである。




【旧同庁舎側面】
旧北巨摩郡農会庁舎_f0191673_23164847.jpg  旧北巨摩郡農会庁舎は現在使用されていないが、「山梨県近代化遺産総合調査報告書」において調査対象物件のひとつとなっている。




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by kaz794889 | 2012-12-09 00:00 | 山梨の近代建築 | Comments(0)


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