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2012年 11月 11日

甲府在勤時代の北杜夫

【「たのしい山日 PR版」 第七集】
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 昭和35年頃に山梨日日新聞社が発行した「たのしい山日 PR版」という同紙の購読促進を図る16ページ^ほどの冊子に、「狂人守りの先生 甲府にいた芥川賞作家」と題した記事が掲載されている。
 掲載記事にある甲府にいた芥川賞作家とは、「夜と霧の隅で」で昭和35年上半期の第43回芥川賞を受賞した北 杜夫である。
 北 杜夫(本名:斉藤宗吉)は、昭和2年5月に斉藤茂吉、輝子の二男として誕生し、麻布中、旧制松本高校、東北大学医学部を卒業後、昭和28年に慶応大学医学部神経科教室に同大学医学部の助手として入局、その後の昭和30年12月に当時の山梨県立玉諸病院に1年間勤務している。




【「狂人守りの先生 甲府にいた芥川賞作家」】
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  「たのしい山日 PR版」の「狂人守りの先生 甲府にいた芥川賞作家」は、「4年ほど前、慶応大学病院の医局員だったころ、派遣されて甲府市里吉町の県立玉諸病院に1年間在職したことがあるので、本県にも馴染みの深い人。そこで東京都新宿区大京町の自宅に北氏を訪ね甲府の思い出話などを聞きながら、その人柄と文学の周辺にふれてみた。」とした、北杜夫への甲府在勤時代のインタビューが2ページに渡って掲載されている。
  「甲府は本当に丸1年、365日が1日も前後しない満1年の滞在でした。県立精神病院といっても院長さんが病気なので、そのアシスタントとしてさし向けられたんですから、病院を一人で背負い込んで忙しかった。」、「時折り留守番を頼んで映画を見に行ったものでした。」、「病院のあったあたりは、ほかに医者がいないので、近所の農家から、やれ風邪をこじらせた、お腹をこわしたなんていう急患が持ち込まれるんです。」などの甲府時代が語られている。




【山梨県立玉諸病院跡】
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山梨県立玉諸病院はその後山梨県立北病院となり、かつて病院があった場所は、山梨県庁里吉別館となっている。
  なお、写真に写る建物は、病院移転後に山梨県の工業系組織の庁舎として建設されたものであり、病院施設の旧庁舎等は全く残されてはいない。

【北杜夫と辻邦生の著作】
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  甲府時代については、北杜夫の『どくとるマンボウ医局記』(平成5年1月25日:中央公論社)の第9章「山梨県の病院へ売りとばされたこと」として書かれている。また、辻邦生と北杜夫の共編である『若き日の友情 辻邦生・北杜夫往復書簡』(平成22年7月29日:新潮社)は、昭和23年から昭和36年までの二人の往復書簡集であるが、その中の昭和31年分は甲府時代の往復書簡となっている。なお、いずれの書籍も現在は中公文庫及び新潮文庫として刊行されている

【「斉藤茂吉と「楡家の人びと」展」の案内チラシ】
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斉藤茂吉の生誕130年記念と追悼北杜夫として、『斉藤茂吉と「楡家の人びと」展』が世田谷文学館において現在開催(平成24年10月6日から同年12月2日まで)されている。
同展の「長編小説の醍醐味「楡家の人びと」」と題する展示のコマにおいて、北杜夫の甲府時代における山梨県職員身分証明書が展示されている、同展に併せて発行されている図録には当該身分証明書の写真は未掲載であり、展示中の展示品の写真撮影も当然厳禁であることから、同証明書の記載事項を以下のとおり記載したい。
名刺サイズよりもやや小さ目な証明書に「山梨県職員身分証明書 №3914 甲府市里吉町838の2 県立精神病院技師 斉藤宗吉 昭和31年1月27日発行 天野久」と記載されている。 




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by kaz794889 | 2012-11-11 18:24 | 山梨の文学 | Comments(0)


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