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2012年 09月 02日

裁縫女学校 玉聲舎

【裁縫女学校 玉聲舎 生徒心得】
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【記念碑建設趣意書】
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 裁縫女学校玉聲舎は、明治25年に東京府下谷区西町の神道禊教会内に設置された神道禊派玉声舎の分舎として、明治26年10月に甲府市穴切神社北側の禊教地内に開設され、当時唯一の裁縫教授所として女子教育に努めていた。
開設当初の校名は単に玉聲舎と称していたが、その後、校名を玉聲裁縫女学校と改称し、創立以来、中津良江、その妹にあたる長倉テル子が教員となっていた。
  その後、大正6年8月31日に学則を改正し、本科、実科、技芸科の三科を設置し玉聲裁縫学校と改称し、昭和2年3月に学則を再改正し、本科、裁縫科、専攻科を置き、専攻科にはタイプライターの習得も加えられるとともに、3教室が増築され昭和2年8月16日に落成している。
昭和15年3月には校舎を更に増築し、同17年10月16日には創立50年周年記念式典が挙行されている。
 
  昭和19年4月1日には甲府市が買収し甲府市立甲府女子青年学校として学校を継続し、同20年11月1日には甲府市玉成女学校とと改め、終戦後の学制改革による新制高等学校への昇格を期して内外の整備を図り、同23年3月に認可を得たため、市立甲府女子高等学校と改称し、昭和25年に甲府市東光寺2-25-1に移転し市立甲府高等学校と改称し、昭和27年に県移管となったことに伴い、県立甲府高等学校となった。
  その後、昭和40年4月に山梨県立第一商業高等学校に改められたが、現在は廃校となっている。

【玉聲舎の跡】
裁縫女学校 玉聲舎_f0191673_1616568.jpg
 穴切神社(甲府市宝2丁目)の北側に隣接してマンションが建てられている場所が、玉聲舎の跡である。




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by kaz794889 | 2012-09-02 16:47 | 学校 | Comments(0)


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