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2012年 05月 20日

山縣大弐を歩く 5 【延寿山 金剛寺と袴腰天神本殿】

【延寿山 金剛寺】
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 延寿山 金剛寺は山縣神社の東側に隣接する曹洞宗の寺院である。
 明和7年に山縣大弐の兄である山縣昌樹の尽力により、篠原組新居東の地から諸堂宇を現在の場所に移しており、山縣神社の境内に残る山縣大弐の墓も、当初は山縣昌樹により金剛寺の境内(袴腰天神本殿の位置)に建立されていたものであり、明治以降に山縣神社境内の現在の位置に移されている。

【金剛寺 本堂】
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 近年新築された金剛寺の本堂である。
 昭和30年発行の「竜王村史」によれば、発行当時の昭和30年代には明和7年建築の本堂と庫裏、安政6年建築の土蔵が金剛寺の堂宇として残されていたようである。

【本堂の扁額】
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 本堂の扁額は、明治35年に若尾逸平により書かれたものである。

【金剛寺旧景】
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 昭和12年頃の金剛寺である。
 正面に写る堂宇が本堂であり、右側に隣接する建物が庫裏と思われる。


【金剛寺境内の袴腰天神本殿】
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 本堂に向かって右側にある袴腰天神本殿である。
 金剛寺の鎮守として境内に祀られているものであり、以前は天満宮とも称していたようであり、当初は金剛寺の南方にあたる天神川のほとりにあたる六本柳の山縣氏旧宅跡に隣接した天神という旧社地に鎮座していたものである。
 本殿の造立年代は明確ではないが、本殿に係る二枚の棟札によれば、享保四年11月に山縣大弐の父親である山縣山三郎により金剛寺境内に遷宮した旨が記されており、その後、宝暦8年に山縣昌樹、大弐の兄弟が本願人となって本殿の修理を行っている。
 本殿は一間社流造の鉄板葺きであり、構造形式や細部手法から江戸時代中期の遺構と認められるとともに、山縣大弐の由緒を持つ建物である。
 袴腰天神本殿は平成2年12月5日に旧竜王町の指定文化財に指定され、合併後の現在は甲斐市指定文化財となっている。

【北側側面から見た同本殿】
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 石垣積み基壇の上に建てられている、袴腰天神本殿である。

【同本殿の旧景】
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 明治16年9月21日に藤村紫朗山梨県令が官命を奉じ金剛寺墓地において山縣大弐の大霊祭を行った以前撮影した袴腰天神本殿である。
 明治16年の大霊祭の際は、袴腰天神本殿が現在鎮座している場所に山縣大弐の墓が建立されており、この写真は境内旧地に鎮座していたころの本殿の姿である。

【正面から見た同本殿】
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【同本殿の旧景】
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 本殿の旧景は昭和14年5月頃に撮影されたものである。




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by kaz794889 | 2012-05-20 11:53 | 山縣大弐 | Comments(0)


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