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2012年 05月 03日

山縣大弐を歩く 4 【山縣大弐の墓】

【山縣神社境内の山縣大弐の墓】
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 明和事件に連座し、明和4年8月21日に43歳で死罪となった山縣大弐の墓は、茨城県石岡市の泰寧寺(茨城県史跡:昭和10年11月16日指定)、新宿区の全勝寺(新宿区史跡:昭和59年11月2日指定)及び山梨県甲斐市の山縣神社(甲斐市史跡:昭和52年6月25日指定)の3か所に残されている。
 山縣神社に残されている墓碑は当初、神社の東側に隣接する菩提寺の金剛寺境内(袴腰天神社が鎮座する場所)に置かれていたが、明治中期頃に神社境内に移されている。
 左図のとおり、墓碑の正面には「卓映良雄居士」、右側面には没した日、左側面には「源昌貞碑」と刻銘されている。


【(甲斐国) 勤王家 山縣大弐先生の御墓】
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 明治40年前後における山縣大弐の墓である。 



【北側から見た山縣大弐の墓】
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 北側(神社の拝殿側)から見た山縣大弐の墓である。
 墓の後方に見える石塔は、後述する山縣家の墓碑である。

【山縣家の墓碑】
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 山縣家の墓碑である石塔は次のとおりである。
 右側の1番目が供養塔、2番目が山縣大弐の兄である野沢昌樹の墓、3番目が山縣大弐の祖父母の墓、4番目から6番目は先祖の墓碑と言われている。

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by kaz794889 | 2012-05-03 22:43 | 山縣大弐 | Comments(0)


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