2012年 03月 11日
【穴山駅駅舎】 中央本線の韮崎駅から富士見駅間は、日野春駅、小淵沢駅の2駅を中間駅として明治37年12月21日に延伸開業している。 延伸開業された約7年後、韮崎、日野春間、7哩8分(約13㎞)という駅間距離と鉄道開通後の利用者像に伴う沿線住民の熱心な要請から、中間駅建設の必要性が生じ、大正2年8月1日に穴山駅が開設された。 穴山駅の場所は、当時、その大部分が畑地であり窪地であったため、トンネル掘削や掘割を切り取った際の土で埋め立て、それでも不足する分は駅附近の能見城跡の裾の一部を欠いて補ったと言われている。 また、こうした埋め立て地に建設したため、駅舎が沈み、開設から数年後に再び駅舎を建て直している。 現在の駅舎は近年立て直したものであるが、建て直し前の駅舎は、大正7年に建築されたものであり、待合室、事務室、小荷物取扱所など、ほとんど建設当時のまま残されており、山梨県教育委員会が平成9年に発刊した「山梨県近代化遺産総合調査報告書」にも山梨県内の近代化遺産として掲載されている。 【穴山駅のスイッチバック跡】 韮崎、日野春間への中間駅設置について、当初は当時の北巨摩郡中田村中條の中原地内が候補地となっていた。 候補地は、山野とはいえ、比較的平坦な場所であり、相対式ホームによる駅の建設が容易な適地であったため、当時の鉄道当局が中田村に話しを持ち込んでいるが、中田村の村議会が鉄道当局の「敷地を寄附せよ」との要望に対し土地が減少することや、駅舎建設工事による風紀の乱れなどを理由に反対している。 穴山駅はスイッチバックによる駅として建設されたが、昭和46年の複線化によりスイッチバックが廃止されている。 【穴山駅前】 駅舎の北側が穴山駅の駅前にあたり、写真のトラックの位置附近に取り壊し前の旧駅舎が建てられていた。 穴山駅の開業後、駅前に移り住む者が増加し、当時の穴山村の中心は駅前に移っていったというが、現在は駅前の雰囲気が、その区画に僅かに残るものの、営業店舗等は無くなっている。 【小林翁頌徳碑】 穴山駅の開設にあたり、鉄道当局に敷地14,500坪を寄附することとなり、穴山村が土地所有者から買収することとなったものの、高額土地に係る買収費は村も負担することが困難であったが、当時の穴山村長であった小林保蔵の、自らの資産をなげうっても駅建設を成し遂げる決意により穴山駅が開設された。 小林翁頌徳碑は昭和28年8月に、穴山駅開駅40年にあたり建設された頌徳碑であり、穴山駅前に建立されている。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします
by kaz794889
| 2012-03-11 13:14
| 鉄道
|
Comments(4)
|
アバウト
カレンダー
カテゴリ
全体 絵葉書 史料 観光案内 菩提寺 訪問記 甲斐の秋色 甲府城 石碑 蔵元 博覧会 桜の名所 山梨観光アーカイブ 藤村紫朗 銀行 史跡 遊亀公園 甲府連隊 寺院 神社 学校 基督教会 郵便局・逓信 鉄道 交通 木喰仏 劇場・映画館 温泉 絵葉書で見る山梨 御嶽昇仙峡 選挙 根津嘉一郎 電力 甲府市街点描 旅館・ホテル 新聞 広告・チラシ 藤村式建築 郷土誌 小林一三 橋 商店の包装紙 山梨の官選知事 雑誌 山縣大弐 太宰治と甲府 戦時期の山梨 警察 役場 病院 富士川 百貨店 山梨の文学 明治45年東宮行啓を歩く 甲州紀行 大和郡山紀行 明治天皇旧蹟 富士山と北麓地域 甲府細見 文化財 奉安殿 忠魂碑 観光チラシ 富士登山 勝地漫画 花子とアンとその時代 山梨 日露戦役を歩く 御嶽新道 柳澤吉保 公会堂 山梨県指定仮史跡 甲州夏草道中 樋口一葉 観光案内記 山梨の近代建築 小室山 妙法寺を歩く 中央本線電化 未分類 以前の記事
2019年 08月 2019年 01月 2018年 08月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 10月 2017年 08月 2017年 07月 more... 記事ランキング
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||