2012年 03月 10日
【甲府連隊入峡記念 絵葉書】 ![]() 甲府連隊の兵営は明治43年4月に完成し、4月23日には太田連隊長率いる二千の将兵が千葉県習志野の仮営を出発し、甲府の新兵営に入城している。 以来、昭和20年までの35年間、この地に兵営が置かれていた。 右に写る橋は、兵営と練兵場の間を流れる相川に架かる竜雲橋である。 【甲府連隊の旧兵営敷地内に建つ「歩兵第四十九連隊跡碑」】 ![]() 甲府連隊の旧兵営敷地内に昭和44年4月に建立された連隊跡碑。 【兵営建設当時に作成された絵図】 ![]() 甲府連隊の設置は、明治40年の甲府市議会における、陸軍省に対する甲府への軍隊設置の請願決議とともに、甲府市山田町の若尾民造による、連隊設置に要する敷地約百町歩の献納申し出があったことにより、陸軍省がその願意を容れたことによる。 これにより、歩兵四十九連隊、甲府衛戍病院、甲府連隊区司令部及び甲府憲兵分隊が設置されることとなり、甲府市に隣接する当時の西山梨郡相川村の地に甲府連隊が設置された。 兵営の地は、それまで田畑であったため、左記の絵図には敷地内にあった野良道などが記されている。 【昭和初期の甲府連隊附近】 ![]() 昭和初期に発行された「甲府市全図」の甲府連隊附近である。 兵営の下部にある県立甲府中学校は、甲府連隊設置後の昭和3年9月に旧甲府城内からこの場所に新築移転している。 【現在の甲府連隊跡附近】 ![]() 平成13年8月1日に発行された「国土地理院1万分の1地形図 甲府」の旧甲府連隊附近である。 昭和初期の地図と比較すれば一目瞭然のとおり、甲府連隊の区画は往事のまま残されている。 旧兵営の敷地は国有地として売却されるなどして北側や南側の一部が民有地となり住宅地となっている。 また、民有地以外の区画は山梨大学附属小中学校など山梨大学の付属施設、公務員宿舎、自衛隊山梨地方連絡部(現在は甲府合同庁舎に移転)や県有地として山梨県の福祉プラザ、市有地として甲府市立北新小学校、北新保育所、市営団地となっている。 兵営の西側を流れる相川の先は、甲府連隊の練兵場跡である。 現在、練兵場の跡は、緑ヶ丘スポーツ公園、国土交通省甲府工事事務所のほか住宅地となっている。 ![]()
by kaz794889
| 2012-03-10 17:36
| 甲府連隊
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Comments(2)
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「この旧兵営跡地の街区だけ、周辺の街区と比較して何故斜めに傾いているのか」が以前から謎で、古地図等を見ても、たいした手がかりがなくて。。。何かご存知ですか?
等高線と並行に街区が形成されているところを見ると、地形的要因が大きかったのではないかと推測しておりますが。。。
5
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山梨大学附属中学校の敷地内に赤煉瓦の糧秣庫が(有)いつ現存しています。また現在の日本航空高校は元陸軍の飛行場跡、常磐ホテルには1944年に陸軍大学が疎開してきたと言われてます。
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