峡陽文庫

kaz794889.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2011年 05月 03日

源 有雅の墓

【史跡 源有雅の墓】
源 有雅の墓_f0191673_513197.jpg


 甲府市小瀬町にある源有雅の墓である。
 源有雅は鎌倉時代の公家であり、承久の乱の首謀者の一人として捕らえられ、鎌倉幕府軍東山道将軍の一人であった小笠原長清に預けられ、鎌倉へ護送の途中に小笠原長清の所領であった稲積庄(現在の甲府市小瀬付近)において承久3年8月29日に殉難された。
 現在、この場所には小祠と追悼碑が残されている。
 小祠は正面に「富士塚 大権現」左側に「宝暦乙亥歳五月吉旦 中興誓誉代」右側に「山梨郡小瀬村鎮守 久品山浄福寺」裏面に「甲陽御勤士三十一人 小祠鳥居御寄進」とあり、甲府勤番 野田成方ら31人が寄進し、浄福寺(現在は廃寺)の僧により源有雅を祀るために建立されたものである。

【源有雅卿の墓 (甲州西山梨郡小瀬)】
源 有雅の墓_f0191673_5133464.jpg


 大正13年頃の源有雅の墓である。大正12年3月に山梨県仮指定の史跡となり、大正13年5月に「源有雅之墳墓 山梨県」の標柱が建てられている。
 現在、源有雅の墓は昭和48年4月1日に甲府市史跡として指定されている。

【源有雅卿建碑事務所からの通知】
源 有雅の墓_f0191673_5135892.jpg
 小祠の横に建つ石碑は明治35年5月に建碑されたものであり、正面には「正二位中納言源有雅卿追悼碑」と、裏面には香川小次郎の撰書により源有雅の事跡が刻まれている。
 左記の寄付を促す通知は、明治35年4月に源有雅卿建碑佐渡幸事務所から発出されたものである。



にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします

by kaz794889 | 2011-05-03 06:27 | 史跡 | Comments(0)


<< 商店の包装紙8 『岩田商店』      富士川飛行艇 >>