2010年 10月 03日
【旧尾形学校校舎】 ![]() 旧尾形学校は明治10年5月に設立し、翌11年5月に校舎が竣工しており、その際に竣工した校舎が写真の建物である。 擬洋風建築として建てられた、いわゆる藤村式の校舎であり、昭和50年3月17日に「旧尾形学校校舎」として、山梨県指定の文化財として指定されている。 建物は間口、奥行きともに7間(12.7m)の正方形であり、延べ床面積331.86㎡の木造2階建である。 現在の建物は昭和48年12月に復元工事が完了したものであり、屋根が亜鉛鉄板葺、外壁は白壁造りとなっているが、かつては、屋根は板葺き、外壁は下見板張であり、2階の前面のみが白漆喰塗りとなっていた。 また、尾形学校は明治10年の設立後、尾形尋常小学校となり昭和16年3月31日に禾生尋常高等小学校に併合されることとなり、同年4月1日から禾生国民学校となり、それ以降、この校舎は地域の集会所や青年団、消防組が使用するなどしてきたが、昭和45年に都留市指定文化財となり、同48年に約半年にわたる復元工事を行い、尾形郷土資料館として開館し、同61年には教育史料を中心とした館内展示に改められ、現在に至っている。 【旧尾形学校校舎】 ![]() 旧尾形学校校舎は稲村神社に隣接した場所に建てられており、学校の敷地は元々、稲村神社の境内であったが、学校用地として内務省からの払下げを受けたものである。 また、学校の運動場はかつて校舎正面左側に設置されていたが、現在は民有地となり住宅が建てられている。 【尾形郷土資料館としての平面図】 ![]() 平成2年3月28日に都留市指定文化財となった「旧尾形学校文書」は、旧尾形学校校舎である尾形郷土資料館で管理されている。 指定文化財である「旧尾形学校文書」は三点であり、その概要は次のとおりである。 1 校舎建築にあたり、明治8年頃から建築用材としての学校臨の伐採、搬出等に取り掛かったことを記録 した「学校人足記」 2 左官業者との請負である「請負契約証」 3 火災のための建物補修資金を県令から借用した「御拝借金之証」 ![]()
by kaz794889
| 2010-10-03 00:10
| 藤村式建築
|
Comments(0)
|
アバウト
カレンダー
カテゴリ
全体 絵葉書 史料 観光案内 菩提寺 訪問記 甲斐の秋色 甲府城 石碑 蔵元 博覧会 桜の名所 山梨観光アーカイブ 藤村紫朗 銀行 史跡 遊亀公園 甲府連隊 寺院 神社 学校 基督教会 郵便局・逓信 鉄道 交通 木喰仏 劇場・映画館 温泉 絵葉書で見る山梨 御嶽昇仙峡 選挙 根津嘉一郎 電力 甲府市街点描 旅館・ホテル 新聞 広告・チラシ 藤村式建築 郷土誌 小林一三 橋 商店の包装紙 山梨の官選知事 雑誌 山縣大弐 太宰治と甲府 戦時期の山梨 警察 役場 病院 富士川 百貨店 山梨の文学 明治45年東宮行啓を歩く 甲州紀行 大和郡山紀行 明治天皇旧蹟 富士山と北麓地域 甲府細見 文化財 奉安殿 忠魂碑 観光チラシ 富士登山 勝地漫画 花子とアンとその時代 山梨 日露戦役を歩く 御嶽新道 柳澤吉保 公会堂 山梨県指定仮史跡 甲州夏草道中 樋口一葉 観光案内記 山梨の近代建築 小室山 妙法寺を歩く 中央本線電化 未分類 以前の記事
2019年 08月 2019年 01月 2018年 08月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 10月 2017年 08月 2017年 07月 more... 記事ランキング
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||