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2010年 07月 19日

財団法人 山梨以徳会

【財団法人 山梨以徳会】
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 山梨以徳会は犯罪者予防更生法、更生緊急保護法及び執行猶予者保護観察法に規定する保護対象者に対する自立更生に必要な援護を行うことを目的とし、大正14年に設立された団体である。
 その前身は、「出獄者保護慈善会」(当ブログにおいてその詳細はアップ済。)を嚆矢とし、明治40年2月には「財団法人山梨慈善保護会」となり、その後「山梨以徳会」と改称され現在に至っているものである。


━山梨以徳会 全景━
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 財団法人山梨慈善保護会から山梨以徳会への改称後、昭和4年には賞勲局から褒賞条例内規による優秀な公益団体として認定され、昭和14年3月の司法保護事業法の制定以来、同法第一条に掲げる者の収容及び一時保護事業を行ってきたが、昭和20年7月の甲府空襲により、施設の全てを焼失している。
 写真は昭和初期の山梨以徳会の風景である。

【建築之碑】
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 山梨以徳会の敷地内に建つ「建築之碑」である。
 明治45年2月に建立されたこの石碑には、現在地に敷地の提供を受けた山梨慈善保護会の施設が明治45年2月に竣工したことを記念し、同会の発足から施設竣工までの沿革が山梨慈善保護会長であり当時の山梨監獄の典獄であった渡辺武直の撰文として刻まれている。

【「山梨慈善保護会寄附行為」冊子】
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 明治23年に設立された出獄者保護慈善会は、設立当初その事務所を山梨県監獄教務課の一部に置き、収容施設を別の場所に仮設していたが、事業の進展より不便も少なくなかったことから、明治38年9月に当時の甲府監獄の典獄であった佐藤光二の提唱により山梨県内の有志多数による賛意を求めて増資を図り、組織の基礎を充実させ、明治40年2月に財団法人山梨慈善保護会の設立許可を得ている。
(佐藤光二は会の設立許可後である、明治40年4月に和歌山看護の典獄として転任し、青森監獄の典獄であった渡辺武直が甲府監獄の典獄として着任している。)
 甲府監獄が甲府駅前に立地していることから、明治36年には監獄の移転運動が始まり、同39年7月には当時の西山梨郡里垣村字梅ヶ坪に用地が確保され明治45年4月の完成に向けた新築移転工事が着工されたことから、明治44年9月1日に山梨慈善保護会の名誉会員でもある若尾民造から甲府市東青沼町162番地(現在:甲府市青沼2-22-1)の敷地237坪、家屋2棟、物置1棟の敷地及び建築寄附を受け、この場所に山梨慈善保護会の事務所が設立されている。
 なお、明治45年3月発行の左記の冊子には、山梨慈善保護会の会務細則、取扱手続等が記されている。



【「賛助会員証」及び「寄付金領収証」】
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 山梨慈善保護会の発足当時、県内各地の有志に対する賛意として寄附金を募った際に発行された領収書と山梨慈善保護会賛助会員証である。いずれも、明治39年6月18日の発行となっている。


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by kaz794889 | 2010-07-19 19:10 | Comments(0)


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