峡陽文庫

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2010年 03月 10日

峡中新聞 「二つの第1号」

[二つの「峡中新聞 第1号」について]
 峡中新聞は「峡陽文庫」において過日紹介したとおり、山梨日日新聞の前身として明治5年7月に創刊した新聞である。
 その創刊号である第1号に、二つのタイプの新聞が存在する。
 彫工により彫られた木版により発行されていた当時の背景を考慮すれば、文字の字体の相違は納得の範囲と考えられるが、以下の相違点が認められる二つのタイプの第1号があることは、明治5年の創刊時における諸事情の存在が伺い知れるところである。

【峡中新聞(表紙) 第1号(A):左、第1号(B):右】
峡中新聞 「二つの第1号」_f0191673_17115282.jpg


 注: 本項の説明にあたっては、便宜的に左側の第1号をA、右側の第1号Bとして紹介する。
 
 Aは、これまで峡中新聞の第1号として『山梨日日新聞百年史』や山梨県内の自治体史誌等において掲載されてきたものである。
 表紙における相違点は、①発行年月について、Aは「明治壬申七月」、Bは「八月」(Bについては八月の前部分が欠落しているため、年号と干支表示が確認できないが、「明治壬申」とあったことが考えられる。)とあり、いずれも明治壬申(明治5年)ではあるが、発行月について一ヶ月の相違が確認できる。
 ②価格表示(第1号表示の右側)については、Aは「定価三銭」、Bは「新価三銭」とある。なお、峡中新聞の表紙において「新価三銭」と表示されるのは、明治5年11月発行の第4号以降からである。

【峡中新聞(最終面) 第1号(A):左、第1号(B):右】
峡中新聞 「二つの第1号」_f0191673_17123995.jpg


 売弘所の表示について、Aにおいて黒く表示されている部分に、Bにおいては「名古屋本町通二十五丁目 文明社」と表示している。
 なお、Aと同様の表示は第2号(明治5年8月発行)においても認められるが、第3号(明治5年10月発行)以降については、Bと同様の表示となっている。

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by kaz794889 | 2010-03-10 18:04 | 新聞 | Comments(0)


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