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2009年 11月 28日

成器舎


【生徒募集広告】
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【成器舎規則、教則及雑則】
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 自由民権運動に奔走し、その後の運動の行き詰まりにより運動の同士相互の疲労、不信が増殖していく中で政治活動から切り離した別の世界を育みたいという希望の高まりから、東八代郡南八代村の加賀美平八郎が明治15年11月に設立した私塾が成器舎である。
 成器舎は14歳又は小学中等科卒業以上の青少年への漢学教授や儒者的徳目に沿った勉学態度を身につけことを主体とし、その後、明治17年には教則を全面改正し教科に英学・算術を加えている。
 校舎は当初、加賀美一族の菩提寺である定林寺の建物を使用し、その後には八代小学校の一部を借用していた。
 開設から2、3年の内に成器舎の評判は高まり、山梨県内各地や県外からも生徒が集るようになり、明治17年には寄宿舎も設けられ、小林一三や河西豊太郎などの山梨県内外でその後活動した人々も寄宿生として成器舎に在籍していた。
 明治18、19年が成器舎の最盛期であり、中学校令による尋常中学校の整備と県下各郡に創設された高等小学校に挟撃され、明治21年には生徒数が前年の半数に減少し、22年には南八代村外四か村組合から補助費を仰ぐこととなり、生徒数も18名程度に減少するなどし明治23年頃に閉鎖されている。 



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by kaz794889 | 2009-11-28 21:02 | 学校 | Comments(0)


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