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2009年 11月 14日

樋口一葉の『ゆく雲』と甲州の風景

【開館二十周年記念企画展 樋口一葉と甲州】
樋口一葉の『ゆく雲』と甲州の風景_f0191673_16115268.jpg 開館二十周年記念の企画展として、平成21年9月19日から同年11月23日までの間、山梨県立文学館において、「樋口一葉と甲州」が開催されている。
 樋口一葉の父親である則義と、母親の多喜は甲斐国山梨郡中萩原村(現在の甲州市塩山)の農家に生まれており、樋口一葉自身の生活は東京であったものの、山梨県の親族や知人との関わりが深く、原点の一部には甲州の血や気質が脈々と流れていたと考えられのではないだろうか。
 こうしたことから、山梨県立文学館においては、平成2年に「樋口一葉の世界」、平成16年には春期、秋期の二回に渡り「樋口一葉展Ⅰ われは女なりけるものを」「樋口一葉展Ⅱ 生き続ける女性作家」が開催されるなど、樋口一葉については山梨県ゆかりの作家として重要な位置付けとして認識されている。
 山梨県ゆかりの作家である樋口一葉の作品の中で、両親の故郷である甲州の風景が重要な役割を果しているのが、『ゆく雲』である。
 『ゆく雲』は博文館発行の雑誌である「太陽」の第一巻第五号(明治28年5月5日発行)に初出された、22歳の青年が東京での恋心をおさえ、大藤村へ帰郷する物語であり、その冒頭に描かれた甲州各地の風景について、紹介することとしたい。


【「ゆく雲」冒頭】
酒折の宮、山梨の丘、塩山、裂石、さし手の名も都人の耳に聞きなれぬは、小仏ささ子の難処を越して猿橋のながれに眩めき、鶴瀬、駒飼見るほどの里もなきに、勝沼の町とても東京にての場末ぞかし。甲府は流石に大廈高楼、躑躅が崎の城跡など見る処のありとは言へど、汽車の便りよき頃らならば知らず、こと更の馬車腕車に一昼夜をゆられて、いざ恵林寺の桜見にといふ人きはあるまじ』
 上記のとおり「ゆく雲」の冒頭に描かれた甲州各地の風景写真と、作品が初出された時期におけるその風景に対する一般的な認識について、当時の観光案内である『日本名勝地誌 第三篇』(野崎左文著:明治27年5月7日、博文館発行)から紹介する。

【甲斐酒折宮】
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「甲州街道の里垣村字酒折に在り、此地は日本武尊行宮の古跡にして古へ九條の道路は皆茲より起れり、本社は即ち尊の霊を祀り社殿は丘陵の上に鎮して一條の石塔之に通じ丘上には雑樹森々として繁茂し景趣幽邃一見して其の旧社たるを知るべし、本社は元と今の地より四五町北の山間に在り今も石祠の跡を存し里人称して古天神と云ふ」

【差出之磯】
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「秩父街道に衝り笛吹川の西岸八幡村字八幡南組にあり、丘岡直ちに河岸より壁立し岡は岩石より成り松樹頂きにてんてつして其形ち蒼海に枕める一岬角の如し、丘頭に亀甲橋あり、長さ62間、幅3間、丘上丘下割烹店、茶亭多く就中、甲背楼最も名高く紳士豪商の甲府より来りて宴を張る者陸続絶えず、近時其地に桜花数十株を栽え又夏季は無数の蛍を生ず」

【(日本三奇橋之一)甲斐猿橋】
樋口一葉の『ゆく雲』と甲州の風景_f0191673_16182730.jpg「大原村字猿橋に在り、桂川の流れ此地に来たりて幅最も狭く両岸相迫りて断崖壁立、水勢最も急にして観望亦雄偉なり、橋は長さ17間、幅3間にして橋下に一柱の支ふるものなく橋礎は先づ両崖に各々挿さみ層々
相畳みて前部に突出せしめ両端の接近するに及んで上面にいたを敷きて人馬を渡す、伝えて飛騨の匠の造る所なりと云い、数百年前にして此の奇行ありして其の構造自ずから泰西の建築法に適うと云う亦奇ならずや、橋上より俯瞰すれば水は数尋の却下に在りて両岸は皆岩より成り雑樹其の上をてんてつして見て以って人の気迫を動かしむ、或いは之を東京の御茶ノ水に比する者あれども景の壮絶なるに至っては彼の及ぶ所にあらず」



【舞鶴城公園ヨリ甲府市ヲ望ム】
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「西山梨郡の西南部に位し西は荒川を隔てて中巨摩郡に界し東西32町、南北1里6町、山梨県庁の所在地にして市坊64、戸数6889、人口32676、街区端正にして百貨一たび此地に集りて後ち国内に分散するを以って商業殊に繁盛を極め国産の生糸、繭等の問屋を持って業とする者亦頗る多し、其の官がの重なるものを挙ぐれば県庁、地方裁判所、尋常師範学校、県立病院、警察本部は共に錦町に在り、市役所は柳町に在り、〒電信曲は常盤町に在り、監獄署は橘町に在り、勧業試験所は旧城内にあり、柳町、八日町は商店のきを連ね市街最も殷賑を極め之につぐものを桜町、魚町、三日町等とす」

【(甲斐名勝)躑躅岡ノ景】
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「相川村古府中に在りて今猶ほ城壕の跡を存す、此地を元と躑躅ヶ崎と称し永正6年信虎之を築きて石和館より移り伝えて晴信に至る、天正9年勝頼荒田ににら裂くにしろを構えて之に移り時、人称して新城と云へり、勝頼亡びて後ち二城共に荒廃に帰し只だ野草の悉しいままに繁茂するのみ、亦今昔の感に堪えず」

【甲斐八景 恵林寺】
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「乾徳山と号し秩父道の松里村字小屋敷にあり、元徳2年二階堂入道当寺を創建して夢想国師を開山す、後ち永徳元年武田晴信(機山)寺領300貫を附して壽蔵所として改めて臨済宗古規開山派とす、天正10年近江の佐々木承禎等当寺に潜伏し織田信長怒って之を追い終に火を放ちて堂宇を焼く、後世徳川家康寺を復興せしめしも其規模古へのものに比すれば其の半ばにも及ばずと云う、山門あり形ち日光の皇嘉門の如く俗に竜宮門といふものに似たり、門を入れば本堂あり構造頗る壮麗にして釈迦の像を安す、其西客殿の後に至れば武田晴信の祠あり」

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by kaz794889 | 2009-11-14 21:22 | 樋口一葉 | Comments(1)
Commented at 2012-05-25 23:49 x
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