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2009年 11月 08日

山梨県師範学校新築記念

 徽典館をその前身とする山梨県師範学校は、明治維新後の明治6年5月に館名を開智学校、同7年3月に師範講習学校と改称後、明治8年3月15日に山梨県師範学校となり甲府錦町(現在の中央公園の場所)に敷地面積2273坪の学校が開設された。
 最初の校舎は、擬洋風の三階建校舎として明治9年7月に新築され、明治13年6月の明治天皇御巡幸における行在所にもなったが、明治16年1月29日の失火により校舎及び附属建物を焼失させている。
 その後、明治17年9月に、白亜二層、中央に八角三層の高楼を有する新校舎が建設されたが、その後の組織拡大等により錦町の校舎が狭隘となったことから、明治44年3月、新たに西山梨郡相川村(現在の山梨大学教育人間科学部の場所)に校舎を新築移転させている。
 この際に発行された記念絵葉書が下記に掲載した三種類の絵葉書である。

【旧校舎・新校舎】
山梨県師範学校新築記念_f0191673_1024410.jpg


 右の校舎が明治17年に建設された二代目校舎。左の校舎が新築記念の校舎である明治44年に建設された三代目校舎である。
 その後、この三代目校舎も、大正3年11月24日の午前1時頃、校舎本館中央にあった物理化学教室附近からの出火により、他の附属建物と共に焼失している。また、この火災により「徽典館時代以来の書籍、機械器具の一切を失い、学校に関する全ての記録類も烏有に帰した」と『山梨大学学芸学部沿革史(昭和39年6月1日:山梨大学学芸学部発行)』に記されている。

【本館・男子部寄宿舎・附属小学校・女子部寄宿舎】
山梨県師範学校新築記念_f0191673_103214.jpg


 絵葉書に写る建物は、時計回りに校舎本館、男子部寄宿舎、附属小学校、女子部寄宿舎である。
 大正3年の火災により、ここに写る校舎本館と男子部寄宿舎の南寮一棟が焼失している。

【講堂】
山梨県師範学校新築記念_f0191673_1035056.jpg


 大正3年の校舎焼失後、大正5年1月に四代目校舎が落成し、同月12日から新校舎における授業が開始されている。なお、この校舎も昭和20年7月6日の甲府空襲により焼失している。


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by kaz794889 | 2009-11-08 11:50 | 学校 | Comments(0)


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