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2009年 09月 22日

甲斐国惣社 縣社 八幡神社

【八幡神社(甲府市宮前町)】
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 甲府市宮前町6番地に鎮座する八幡神社は承久年間(1219~22)に武田信光が鎌倉の鶴が岡八幡宮を石和館に勧請し国衙八幡宮として武田家代々の鎮守神としたことに始まると言われ、その後の甲府開創に伴い武田信虎が躑躅ヶ崎館の西側(現在の甲府市立相川小学校の敷地周辺)に遷座したものである。
 武田氏の氏神が八幡宮であったことなどから、石和に鎮座していた当時から甲斐国総鎮守として国主代々の祈願所としての位置付けとなっており、甲府への遷座後、武田信玄の代に至り神社統制の中心となっていた。
 武田家滅亡後においても、甲府盆地を支配下においた徳川家康が八幡神社に参詣していることも伝えられているが、文禄年間(1592~96)の甲府城築造による近世甲府城下町の建設により、浅野長政が現在の場所に遷座し、それ以降も甲斐国惣社、徳川氏祈願所、甲府城鎮守などの役割を担っていた。
 なお、躑躅ヶ崎時代に鎮座していた名残りとして、相川小学校の体育館南側にある峰本自治会館の中に古八幡神社が現在も祭られているようである。


【八幡神社:随身門の礎石】
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 中世、近世と甲斐国惣社として大きな役割を担っていた神社ではあったが、明治維新後の禄高返還により八幡神社の収入が激減すると、神社の維持管理が困難となり、明治後期には旧来からの社殿の荒廃が著しくなってきたため、大正9年には有志による八幡神社奉営会が組織され、協賛者等から寄せられた当時の金額で3万円の寄附金により、本殿、拝殿、随身門、鳥居、神楽殿が再建され、当時の神社制度における県社に指定もされていたが、昭和20年7月の甲府空襲により大正時代に造営された社殿は焼失し、終戦後、現在の社殿が再び建設されている。
 

━元甲斐国惣社 縣社八幡神社 随身門及鳥居━
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 甲府空襲で焼失した大正時代に造営された随身門と鳥居である。
 前記の写真は、この随身門の礎石である。


【八幡神社:拝殿①】
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【八幡神社:拝殿②】
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━元甲斐国惣社 県社八幡神社 拝殿━
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━元甲斐国惣社 県社八幡神社 本殿━
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【八幡神社:神楽殿】甲斐国惣社 縣社 八幡神社_f0191673_11545186.jpg


━元甲斐国惣社 県社八幡神社 神楽殿━
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【八幡神社:拝殿側から正面鳥居に向けた景観】
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by kaz794889 | 2009-09-22 11:57 | 神社 | Comments(0)


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