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2009年 09月 12日

遊亀公園を歩く 3(町田隊忠魂碑)

【町田隊忠魂碑】
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 遊亀公園の北側、公園と隣接する一蓮寺との境に建つ御影石の『町田隊忠魂碑』である。
 この忠魂碑は、昭和11年2月20日、第一師団の満州派遣が決定され、歩兵第四十九連隊(甲府連隊)も同年5月8日に満州国の黒竜江沿岸における国境警備の任務につくため満州移駐となり甲府を出発し、満州移駐となった同連隊の第六中隊長、町田 等大尉が19名の部下と1名の通訳と共に偵察行動の途中、昭和12年3月27日に北安の北東である小興安嶺の山中で約400人の匪賊の大軍に包囲、襲撃され中隊長を始めとした将兵等21名が全員戦死したことに対する忠魂碑として建設されたものである。
 昭和12年4月19日に戦死者の遺骨が甲府に到着し、21日には舞鶴公園(甲府城址)の広場で甲府市出身者の将兵に対する甲府市葬が行われ、太田町の甲宝劇場では「嗚呼町田隊」という芝居が公演され、大入り満員の反響であったことから、当初は一週間であった公演が三週間に渡って続演されている。



【町田隊忠魂碑全景】
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【町田隊銅像】
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 町田隊忠魂碑は、戦死した町田中隊長と親交を深めていた甲府市内の青年クラブ(市内の青年団長OB等により結成された団体)のメンバーから市葬終了後の4月下旬頃に町田中隊長の銅像建設の話しが持ち上がり、全国の軍人、民間人、満州国軍、県内小中学校から基金が寄せられ建設されたものである。
 銅像は彫刻家長谷秀雄の作で高さ約5m、台座は岡山県の万成御影石、「町田隊忠魂碑」の題字は当時の山梨県知事藤原孝夫によるものとして昭和13年3月27日に除幕式が行われてている。
 なお、銅像は戦時中の金属供出により供出され、現在は台座のみが残されている。



【町田隊銅像建設委員】
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 銅像前の着席者は右から、町田中隊長の母堂、藤原山梨県知事、町田中隊長夫人、銅像作者である。

【町田隊忠魂碑の碑文】
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【町田隊忠魂碑背面】
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 町田隊忠魂碑の背面に刻まれているのは、前記の碑文である。また、写真では見にくいが、前述した碑文の下には戦死した21名の官位姓名も刻まれている。



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by kaz794889 | 2009-09-12 21:33 | 遊亀公園 | Comments(0)


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