峡陽文庫

kaz794889.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2009年 07月 18日

田安陣屋跡

【田安陣屋跡】
f0191673_20185717.jpg


 享保の改革により甲府藩が江戸幕府の直轄地となり、甲斐国には甲府城警衛の甲府勤番と、村方を治める三部代官として甲府、石和、上飯田(後に廃止され市川に設置)の各地に代官所が置かれた。
 その後、田安、一橋、清水の徳川御三卿が各地の幕府直轄地に10万石の治所を分割して持つことなり、延享3年には田安、一橋家の各治所3万石が、宝暦12年には清水家の治所が甲斐国内に定まったことにより、江戸幕府による支配系統と御三卿の治所である私領が甲斐国内に入り混じる複雑な支配体制が明治維新期まで続くこととなった。

【田安陣屋跡】
f0191673_20192898.jpg


 御三卿の一つである田安家の治所として、延享3年9月に摂津、和泉、播磨、武蔵、下総、甲斐の6か国に渡って10万石が与えられ、甲斐国内には山梨郡、八代郡の63か村が領地とされた。また、その後の天保3年には巨摩郡の44か村が追加された。
 これにより、田安陣屋は延享4年から明治3年5月までの124年間、当時の一丁田中村(現在の山梨市)に設置されていたが、明治維新による陣屋の廃止後、その跡地は桑畑となっていったが、現在、その多くは宅地に変わっている。

【昭和3年頃の田安陣屋跡】
f0191673_20214155.jpg


 陣屋の廃止後、その跡地は桑畑となったが、現在はその多くが宅地となっている。
 写真に写る石垣と神社は、田安陣屋の東側に位置し、陣屋の守護神として祀られていた水上稲荷社であり、田安陣屋の遺構の一部として現在も残されているものである。「田安陣屋跡」として昭和56年5月25日に山梨市の史跡に指定されている。

【水上神祀の碑】
f0191673_2020466.jpg


 稲荷社境内の拝殿に向かって右側に建つ、文久3年に建立された「水上神祀の碑」(左側)と同時期に建立された「献金の碑」(右側)である。

【小島蕉園翁頌徳碑】
f0191673_20203274.jpg


 拝殿に向かって左側に建つ、大正7年に建立された「小島蕉園翁頌徳碑」である。
 小島蕉園は文化2年から同4年まで田安陣屋の16代目の代官を務めており、「その治績は著しく徳望高き人」として知られていた代官であった。

【水上稲荷社本殿】
f0191673_20205732.jpg


 水上稲荷社の本殿である。
 石垣を登った稲荷社の境内には、この他にも石灯籠や石鳥居など江戸期に建立された石造物等が残されている。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2009-07-18 21:03 | 史跡 | Comments(0)


<< 甲府・桜座      旧甲府郵便局庁舎(甲府市役所南庁舎) >>