2019年 08月 04日
【山梨常会資料 第72号 昭和21年1月21日発行】 ![]() 幣原内閣は連合軍最高司令官から指示された衆議院議員選挙法改正案を昭和21年11月27日に第89臨時帝国議会に提出し、12月17日に同法改正が公布されると翌18日に衆議院を解散した。 衆議院議員選挙法の改正により、婦人参政権、選挙権の引き下げ(25才から20才)などが得られたのである。 【山梨常会資料号外 隣保組回覧板 昭和21年3月20日発行】 ![]() 昭和21年2月25日に政府は第22回総選挙の投票日を昭和21年4月10日に決定した。 この選挙は戦後最初の選挙であるとともに、大日本帝国憲法下における最後の総選挙であり、20才以上の男女に選挙権が与えられた最初の選挙であった。 また、前議員の多数が公職追放されたことや婦人参政権が得られたことから、山梨全県区においては定員5名に対し女性4人を含む32人が立候補した、大選挙区、2名連記制による選挙となった。また、終戦後の社会状況等から、立候補者の中には紙不足の状況から選挙ポスター用紙の割当を目的とした者や、政見放送を商売の宣伝に利用する者もいたようである。 【選挙法の罰則に関する御注意】 ![]() 山梨県警察部、甲府地方裁判所検事局が発行した選挙違反に対する注意喚起を促す回覧用チラシである。 第22回総選挙における山梨全県区は、投票率71%による投票の結果、平野力三(社会党)、天野久(進歩党)、樋貝詮三(自由党)、笠井重治(無所属)、松沢一(社会党)の5名が当選している。 ![]() #
by kaz794889
| 2019-08-04 17:34
| 選挙
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2019年 01月 02日
【甲府駅構内】 ![]() 甲府駅までの中央本線の電化を記念し、昭和6年4月30日には当時の鉄道省東京電気事務所は『中央線電化記念写真帳』を発行している。 写真は同書に掲載された「甲府駅構内」と題する写真である。 当該写真には次の内容が記されている。 「駅構内東部に於ける架空電車線路を示す。左方省線に並行するは 甲府駅に入る富士身延鉄道の電車線路にして之を隔てる旧城跡舞鶴 公園を望む」 【現在の同位置 1】 ![]() 撮影当時と比べ鉄道敷地も狭められ、その場所は線路に沿った、東側の桜町踏切に通じる遊歩道等となっている。 【現在の同位置 2】 ![]() ![]() #
by kaz794889
| 2019-01-02 10:23
| 中央本線電化
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2019年 01月 01日
【新年福引初大売出し】 ![]() 昭和31年新春、岡島における「新年福引初大売出し」の案内状である。 初売りは今も変わらず1月2日から、初大売出しは同日から1月5日までとし、午前9時30分から午後5時30分までを営業時間としていた。 初大売出しのメインは、各階における全店初市奉仕品山積と、五階の子供の世界おもちゃ大会としている。 昭和31年から63年後にあたる本年の岡島は、山梨日日新聞の本日の新聞広告によれば、初売りの1月2日は午前10時30分から午後19時を営業時間とし、福袋の販売が新春におけるメイン販売のひとつとなるようである。 ![]() #
by kaz794889
| 2019-01-01 18:11
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2018年 08月 26日
【釜右社】 ![]() また、釜右社は、その資本金規模では北巨摩、中巨摩、南巨摩三郡の中では最大の銀行類似会社である。 銀行類似会社は明治初期、金融機関の設立機運がの高まる中、銀行や金融会社の設立を出願する者が続出したというが、当時はこれらを監督規制する条例法規がなかったため、政府は公益を害さない限り人民相互の結約に任せて設立が認められた金融機関であり、為替、両替、貸付、預金の業務を営んでいた。 なお、銀行類似会社は国立銀行条例の適用範囲外であったため、「銀行」の名称を用いることができず、一般には「銀行類似会社」と呼ばれていたという。 【釜右社申合規則】 ![]() 明治37年に小林八右衛門が釜右株式会社の社長に就任した翌年、八右衛門は営業所を自宅(南巨摩郡増穂村舂米385番戸)へ移転し、同年3月15日に株式会社小林銀行と改称している。 その後、小林銀行は昭和4年7月1日に富士井銀行、若松銀行の営業譲渡により小林富士井銀行に改称。昭和10年7月1日には小林富士井銀行と市川銀行、鳳嶺銀行、峡西銀行、秋山銀行の合同により山梨殖産銀行が設立。 その後、昭和14年1月15日には有信銀行に買収され、同行は昭和16年に第十銀行と合併し山梨中央銀行となっている。 ![]() #
by kaz794889
| 2018-08-26 16:17
| 銀行
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2018年 03月 17日
【観光都市・甲府 駅前通り商店街の一角】 ![]() 甲府駅前にあった、いわゆる三角地帯北側の田辺国産店等の土産物店である。三角地帯以外にも当時の甲府駅前に附近には水晶、印伝、葡萄などを中心とした土産物店が営業していた。 左下は、昭和7年12月に開設された山梨電気鉄道(その後の、峡西電気鉄道、山梨交通)の甲府駅前に通じる軌道(昭和28年9月にルート変更)である。 【甲府市街中心部略図】 ![]() 青字の位置が上記の写真の場所であり、この一角がいわゆる三角地帯である。また、三角地帯の左に記されている線が山梨電気鉄道の軌道である。 昭和20年7月の甲府空襲により、甲府駅本屋は焼失を免れたものの、駅前一帯は焼け野原と化している。 終戦後の戦災復興に伴う甲府駅前の道路拡張等の整備に伴い、三角地帯は昭和26年の秋に撤去され、現在の甲府駅前の景観につながっている。 【現在の甲府駅前】 ![]() 終戦後、整備が進められた甲府駅前であるが、平成25年11月に甲府駅南口の再整備事業が着工され、平成29年8月に再整備事業が概ね完了し、供用開始となっている。 ![]() #
by kaz794889
| 2018-03-17 12:21
| 甲府市街点描
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