2016年 09月 05日
【旧鰍沢青柳電報電話局庁舎】 昭和24年6月1日、逓信省が郵政省、電気通信省の二省に分離され、電気通信事業は電気通信省の所管となり、同省発足とともに新たな組織機構として山梨県内には山梨電気通信部、同部の監督機関であり、取扱局(電話局、電報局)を直接指揮監督する電気通信管理所(甲府及び吉田に設置)、取扱局(甲府電報局、甲府電話局、小井川無人局、吉田電報電話局)が置かれることとなった。 その後、昭和27年8月1日に電気通信省が廃止され公共企業体である日本電信電話公社が新たに発足するとともに、同年11月1日に電気通信省時代の組織体制も全面的に改正されている。 日本電信電話公社の発足当時、鰍沢周辺地域を管轄する電報電話局の新設が求められ、昭和28年3月1日に鰍沢郵便局及び青柳郵便局(青柳郵便局の業務引継ぎは3月16日)が所管してい電気通信業務の取り扱いを引き継いだ鰍沢青柳電報電話局が設置された。 現在も残る旧鰍沢電報電話局庁舎は、旧警察法に基づく自治体警察署である鰍沢町警察署(昭和26年9月30日廃止)の旧庁舎を利用した同局設置当時の建物である。 【同庁舎事務棟】 事務棟は同電報電話局設置後の昭和29年に、庁舎後方に増築されている。 その後、鰍沢青柳電報電話局の業務拡大や管轄地域の電話ダイヤル化などで庁舎、敷地の狭隘化が進み、昭和43年2月には旧増穂町に新築移転している。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。 #
by kaz794889
| 2016-09-05 23:10
| 郵便局・逓信
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2016年 08月 27日
【塩山 向嶽寺仏殿】 甲州市塩山上於曽の向嶽寺は臨済宗向嶽寺派の大本山である。 永和4年に甲州市塩山上竹森の地に草庵を結んだ後、2年後の康暦2年に恵光大円禅師 抜隊得勝(ばっすいとくしょう)により現在の地に向嶽庵として創建されている。 武田家歴代の厚い保護を受け、武田家滅亡後には一時衰退したものの、徳川家康によって復興がなされたという。 天明6年の大火により仏殿以下の堂宇が焼失後、文政11年頃に仏殿と方丈が再建されたという。 再建された仏殿は、仏殿と開山堂を合わせて建立された複合建築となっており、仏殿の後方に開山堂を接続し、建物の内部と外観が一体として構成された姿となっている。 【(甲州塩山名所)向嶽寺】 大正15年4月18日の火災により、仏殿上層の茅葺屋根を焼失し、その後、現状に復旧され、現在は江戸時代後期の大規模な木造建築の一つとして、内部・外観ともに変化に富んだ構成の妙を表した貴重な遺構として、平成8年2月8日に当時の塩山市の指定文化財として指定され、現在は甲州市の指定文化財となっている。 写真は大正15年焼失以前の仏殿である。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。 #
by kaz794889
| 2016-08-27 23:08
| 寺院
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2016年 08月 08日
【猿橋畔の猿橋記碑】 大月市猿橋町の猿橋畔に建つ猿橋記碑である。 猿橋は古くから、周防の錦帯橋、木曽の懸橋とならぶ日本三奇橋の一つとして伝えられており、こうした猿橋の由来が刻まれている石碑が猿橋記碑であり、その碑文によれば、今から260年前の宝暦5年10月に猿橋記碑は建立されている。 【明治後期の猿橋記碑】 【猿橋記碑の碑文】 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。 #
by kaz794889
| 2016-08-08 22:52
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2016年 07月 31日
【遠妙寺境内の忠魂碑】 笛吹市石和町市部の遠妙寺境内の忠魂碑である。 忠魂碑表面には「忠魂碑」の文字と、その揮毫者である「陸軍大将 子爵 川村景明書」の文字が刻まれている。 また、背面には「大正二年十二月 帝国在郷軍人会 石和町分会」と建設年等が刻まれている。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。 #
by kaz794889
| 2016-07-31 21:29
| 忠魂碑
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2016年 07月 23日
【御嶽公会堂 正面】 金桜神社の門前に建つ御嶽公会堂が、平成28年7月15日に文化審議会から文部科学大臣に対し、登録有形文化財に登録するよう答申された。 門前正面に建つ公会堂は、その外観などから金桜神社門前の景観に合わせた建物であり、金桜神社の焼失前、現在以上に門前町の景観が残されていた当時の名残りを残す数少ない建造物のひとつである。 【御嶽公会堂 後方】 文化庁の報道資料等によれば、御嶽公会堂は18世紀中ごろに金桜神社の参籠所(金桜神社への祈願のための宿泊所)として建設され、昭和10年頃に現在地に移築され、その後、地区の公会堂となり、昭和54年に現在の姿に改修されている。 また、内部に柱を建てない大空間など参籠所としての特色を今に伝えていることが、登録有形文化財として登録される理由のひとつであるという。 【金櫻神社 境内図】 左記の金桜神社境内図は明治期のものであり、赤く囲んだ部分が金桜神社境内に建てられていた当時の参籠所である。 【金桜神社境内の参籠所】 金桜神社焼失前に残されていた、旧国宝の東宮本殿及び中宮社殿は、昭和11年に大修理がなされ、また、それに合わせて境内全体の改修がなされていることから、その時期に参籠所が境内地から門前に移築されたものと思われる。 写真の青く囲んだ建物が、境内地に建てられていた頃の参籠所である。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。 #
by kaz794889
| 2016-07-23 10:49
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