2016年 09月 10日
【蓮華寺境内の「近代鰍沢教育発祥之地」碑と副碑】 「近代鰍沢教育発祥之地」碑は、南巨摩郡富士川町の日蓮宗蓮華寺境内に平成11年3月に建立されている。 同碑の左側に建つ副碑「公立鰍沢学校」には、「この地に公立鰍沢学校が創設され近代鰍沢の教育がここに始まりました」と刻まれている。 鰍沢学校の創立は明治7年11月1日(現在の富士川町立鰍沢小学校のHPは明治6年2月1日としている。)に、日蓮宗蓮華寺(富士川町鰍沢2321番地)の本堂を仮校舎とし「公立小学鰍沢学校」として開校している。 【現在の蓮華寺墓地】 その後、校地を蓮華寺に隣接する通称「上の山」の中腹(現在の蓮華寺墓地)とし、擬洋風建築(いわゆる藤村式建築)による二階建校舎を明治8年5月1日に建設している。 校舎建設に当たっては、村の課税と有志による寄付金、各戸からの小学校新築差加金としての拠出などを求め、その建築費は約1,300円、また、明治9年当時の生徒数は291名(男子222名、女子69名)、教員5名であったという。 【日興上人誕生霊地碑(甲州鰍沢ノ里)】 明治40年7月には、新たな校地として現在の鰍沢小学校の位置(富士川町鰍沢1172番地)に新築移転し、大正12年9月1日には蓮華寺隣接地の校舎を廃止し、校地を一か所としている。 また、大正14年5月には蓮華寺隣接地に残されていた旧校舎の一部を新校地に移築し、職員室、応接室、校室具としている。 写真は大正12年11月に蓮花寺の旧校舎前に建立された、東郷平八郎の書による「日興上人誕生之霊地」碑である。 碑の後方に写る校舎は、廃止後2か月を過ぎた頃の校舎であるが、明治8年の建設以来既に約50年が経過し相当の改修がなされているものの、いわゆる藤村式建築の様式は残されている。 【現在の「日興上人誕生之霊地」碑】 旧校舎前に建立されていた「日興上人誕生之霊地」碑は現在、蓮花寺の入口付近に残されている。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。 #
by kaz794889
| 2016-09-10 16:21
| 学校
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2016年 09月 09日
【妙法寺境内の忠魂碑】 南巨摩郡富士川町の妙法寺境内の忠魂碑である。 忠魂碑表面には「忠魂碑」の文字と、その揮毫者である「元帥子爵 川村景明 書」の文字が刻まれている。 また、背面には「大正十四年十一月 帝国在郷軍人会 穂積村分会」と建設年等が刻まれている。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。 #
by kaz794889
| 2016-09-09 17:05
| 忠魂碑
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2016年 09月 08日
【鰍沢警察署新築記念 大正十一年九月三十日撮影】 山梨県内における警察署の前身は明治6年3月に山梨県庁内に置かれた取締掛の出張所として同年8月に、山梨県内16か所に設置された取締出張所である。(鰍沢取締出張所は鰍沢村の日蓮宗蓮華寺に置かれている。) ※ 16か所の取締出張所 甲府・八日町、山梨郡・勝沼、八幡、八代郡・市部、浅利、市川 大門、巨摩郡・鰍沢、西条、古市場、河原部、若神子、下条西割、 台ケ原、都留郡・下谷村、下吉田、上野原 また、同年12月には出張所4か所(八日町、市部、鰍沢、下谷村)、屯所16か所に再編され、その後、明治8年3月の行政警察規則の公布により、取締出張所の名称が「警察出張所」に改められ、鰍沢取締出張所が鰍沢警察出張所になるとともに、警察出張所の下部機関として明穂、睦合、市川大門に巡査屯所が置かれている。 明治10年2月に警察出張所は警察署に、巡査屯所は分署に改称された上、これに地名を冠称し、鰍沢警察出張所は鰍沢警察署となり、明治11年には鰍沢村1765番地に鰍沢警察署が新築され、その後、大正11年には鰍沢町1599番地に新築移転している。 【現在の鰍沢警察署旧庁舎跡】 昭和31年3月に鰍沢警察署は南巨摩郡増穂町(現在の富士川町)最勝寺1306番地に新築移転し、更に昭和57年には庁舎が新築され現在に至っている。 なお、昭和31年3月に移転後の鰍沢警察署旧庁舎は鰍沢町役場として役場庁舎が新築されるまで使用され、現在、その跡地は富士川町役場鰍沢分庁舎(平成22年3月8日に鰍沢町と増穂町が合併し富士川町)となっている。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。 #
by kaz794889
| 2016-09-08 12:03
| 警察
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2016年 09月 07日
【平等村・上万力村組合村旧役場跡内の忠魂碑】 山梨市落合の平等村・上万力村組合村旧役場跡内の忠魂碑である。 忠魂碑表面には「忠魂碑」の文字と、その揮毫者である「陸軍中将 田中儀一書」の文字が刻まれている。 また、背面には「大正六年十月建設 帝国在郷軍人会 平等村 上万力村組合分会」と建設年等が刻まれている。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。 #
by kaz794889
| 2016-09-07 16:46
| 忠魂碑
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2016年 09月 06日
【鰍門早発詩碑】 鰍門遥向駿河通 急峡長難見鬼工 目送千山皆北送 扁舟早巳到南中 「 鰍門(しゅうもん)遥かに駿河に向って通ず、 急峡長難(きゅうきょうちょうなん)鬼工 (きこう)を見る。目送す千山皆北に送るを、 扁舟(へんしゅう)早く巳(すで)に南中に 到る。」 右録 柳荘山縣大弐先生 鰍門早発之詩 梧邨 広瀬和育 江戸在住の山縣大弐は宝暦3年の夏、墓参のため帰郷、その後富士川を下り熱海温泉に浴し、初秋に江戸に帰ったとされている。鰍門早発の歌は、その時の富士川下りを基に作られたと考えられる。 当初の詩碑は江戸期に鰍沢の富士川河岸に建立されているが、明和事件の際に、その忌諱に触れられることを憂慮し、詩碑は委棄されたが、その後の水害なと゜により埋没しその所在を失うこととなった。 このため、大正12年7月に当時の山縣神社創建会会長であった広瀬和育ら有志者によって鰍門早発詩碑が当時の鰍沢尋常小学校敷地内に建立されることとなり、現在も鰍門早発詩碑は富士川町立鰍沢小学校の敷地内に残されている。 ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。 #
by kaz794889
| 2016-09-06 21:31
| 山縣大弐
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