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2016年 07月 17日

富士見村 佐久神社の忠魂碑

【佐久神社境内の忠魂碑】
f0191673_22135858.jpg 笛吹市石和町河内の佐久神社境内の忠魂碑である。
 忠魂碑表面には「忠魂碑」の文字と、その揮毫者である「陸軍大将一戸兵衛書」の文字が刻まれている。
 また、背面には「昭和三年十二月建為 帝国在郷軍人会 冨士見分会」と建設年等が刻まれている。

  















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# by kaz794889 | 2016-07-17 22:31 | 忠魂碑 | Comments(0)
2016年 07月 03日

旧北都留郡甲斐絹同業組合本部

【北都留郡甲斐絹同業組合本部】
f0191673_22405638.jpg 北都留郡甲斐絹同業組合は明治29年2月に設立が許可された北都留郡甲斐絹業組合を前身とし、明治37年9月には同組合が改組され新たに「北都留郡甲斐絹同業組合」として設立されている。
 北都留郡甲斐絹同業組合には廣里村(昭和8年4月1日に大月町となり、現在は大月市)、七保村、富浜村、初狩村などに検査出張所が置かれていた。
 同組合廣里検査出張所は、その後の新築移転することとなり、大正14年2月に起工、同年8月20日に木造スレート葺き洋風二階建て建物が竣工し、同年12月に移転している。写真の右側建物が廣里検査出張所である。
 その後、昭和2年9月には廣里検査出張所が北都留郡甲斐絹同業組合大月支部となり、昭和11年には同大月支部が増築されることとなり、同年11月30日に竣工している。増築部分が写真の左側に写る建物である。
 昭和12年には、猿橋町に置かれていた北都留郡甲斐絹同業組合本部が大月に移転することとなり、大月支部の建物が北都留郡甲斐絹同業組合本部となっている。

【クレイン農業協同組合】
f0191673_23003985.jpg 旧北都留郡甲斐絹同業組合本部庁舎は、現在、クレイン農業協同組合大月支店(大月市大月)の建物として使用されている。




















【クレイン農業協同組合 ②】
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【クレイン農業協同組合 ③】

f0191673_23005659.jpg
























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# by kaz794889 | 2016-07-03 16:40 | 山梨の近代建築 | Comments(0)
2016年 06月 12日

津島家寄託 太宰治資料展Ⅱ

【太宰治資料展Ⅱ パンフレット】
f0191673_22173654.jpg 
 平成26年8月に、太宰治の資料約50点が、津島家から三鷹市に寄託され、昨年の6月13日から28日まで、「津島家寄託 太宰治資料展」として、三鷹駅前の三鷹市美術ギャラリーにおいて開催されている。
[平成27年6月開催の太宰治資料展]
 http://kaz794889.exblog.jp/24136455/

 本年も、昨年度開催された同展における未公開の津島家寄託資料を中心とした約70点を展示資料とする、「津島家寄託 太宰治資料展Ⅱ ~師、友そして「饗応夫人」~」として、平成28年6月11日~7月3日を会期として、昨年と同じ三鷹駅前の三鷹市美術ギャラリーにおいて開催していることから、本日、同展を観覧した。

 展示は「Ⅰ 師友集いし<三鷹の家>」、「Ⅱ 太宰治と「饗応夫人」」の二部構成となっており、三鷹時代における太宰治の文学交流などが中心となった展示となっている。
 
 三鷹時代における資料を中心とした今回の資料展において、太宰治の甲府疎開時における関係資料が展示されている。
 昭和20年3月に夫人と子供二人を当時の甲府市水門町にあった夫人の実家である石原家に疎開させ、同年4月には太宰治自身も石原家に疎開しているが、同年7月6日夜の甲府空襲により石原家も罹災しており、太宰治の家族も焼け出されている。
 今回の展示品の中に、甲府空襲による罹災証明書が展示されている。
 当該証明書には次のとおり記載されている。
「罹災証明、 甲府市水門町石原方、 津島(以降は判読不可)、家族数外○(判読不可)名、右者昭和20年7月6日ノ空襲ニ依リ罹災シタルコトヲ証明ス、昭和20年7月8日、甲府警察署長」

罹災証明書は、終戦後における三鷹時代の「家庭用品購入通帳」の最終頁に添付されている状態で残されており、そこには美知子夫人の几帳面さが感じられる。
 

【展示室の入口】
f0191673_22190569.jpg 6月19日の桜桃忌を中心に三鷹市においては、前記の「太宰治資料展Ⅱ」の他、同市の「太宰治文学サロン」においては、6月7日から10月2日を会期として、昭和23年~24年にかけて八雲書店から刊行された太宰治全集に関する企画展示である「太宰治の全集創作」展が開催されている。 



















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# by kaz794889 | 2016-06-12 23:11 | Comments(1)
2016年 06月 05日

岡部村 山梨岡神社の忠魂碑

【山梨岡神社境内の忠魂碑】
f0191673_22584728.jpg 笛吹市春日居町鎮目の山梨岡神社境内の忠魂碑である。
 神社の背後にある御室山(みむろさん)を背に建つ忠魂碑表面には、「忠魂碑」の文字と、その揮毫者である「安正」の文字が刻まれているが、裏面には何も刻まれていないため、忠魂碑本体によっては、その建設年等を確認することはできないが、これまで確認した忠魂碑の例に倣えば、「帝国在郷軍人会岡部村分会」により建設されたものと考えられる。

 なお、揮毫者である「安正」とは、嘉永5年に松本藩士の長男として生まれ、明治40年9月に男爵を授爵された後、大正3年9月に陸軍大将となった福島安正である。









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# by kaz794889 | 2016-06-05 23:18 | 忠魂碑 | Comments(0)
2016年 05月 29日

戦時期の山梨 20「衣料切符入」

【松林軒百貨店発行の衣料切符入(左:表面・右:裏面)】
f0191673_22240864.jpgf0191673_22241439.jpg 昭和17年1月20日に公布された「繊維製品配給消費統制規則」に基づき、同年2月1日から衣料切符制が実施されている。
 
 [衣料切符制度の概要は下記を参照願います]
 「戦時期の山梨 8「衣料切符制」」
  http://kaz794889.exblog.jp/17639402/

 衣料切符制は、戦争によって供給量の減少した繊維製品の軍需、その他ね必要方面への配給確保。一方での一般国民に対する最低限度の衣料品の公平確保の保証と、今後の戦時下における国民生活の安定を図ることを目的として実施されたものであり、衣料切符には、郡部用の甲種(総点数80点)と都市用(山梨県の場合は甲府市が適用)の乙種(総点数100点)があり、この点数の衣料切符が、一人あたりの1年分として支給されている。
 また、点数の有効期限は満1年とされ、紛失しても再交付はなされなかったという。昭和17年2月の制度実施当時における衣料品購入時における使用切符点数は、背広の上下が40点、国民服の上下が32点、タオルが3点、割烹着が8点といったように、154品目にそれぞれの点数が定められるなど細分化されており、背広を購入する場合は、背広の代金と、背広に該当する点数分の衣料切符を提示する必要があり、また、不正防止のため、該当分の切符は、購入者が切り取ることなく販売店に衣料切符切符を提示し、販売店側が必要分を切り取る(購入者が事前に切り取った場合、当該点数は無効とされていた。)こととしていた。

 その後、昭和18年1月18日には「繊維製品配給消費統制規則」の所管庁である当時の商工省告示により、衣料切符の対象衣料品の追加指定及び基準点数の平均25%引き上げが行われ、背広の上下40点が50点、国民服の上下32点が40点、タオル3点が4点、割烹着8点が10点となっている。
 更に、昭和19年2月7日には、繊維製品の全面的な景観生産が行われることとなり、軍需品及び重要生産資材等の戦力増強に寄与するためのもののほか、一般国民の生活用品の大半は、労働者用品、衣料補修用品、学童等の特に消耗度の高い必需衣料品に限定されることとなったため、衣料切符点数の都市部、郡部の区別が撤廃され、一人あたり、30歳以上が40点、30歳未満が50点となっている。なお、衣料切符制度は、点数配分の変更はなされたものの、終戦後の昭和25年まで継続されている。


 写真の「衣料切符入」は甲府市桜町にあった松林軒百貨店が発行したものであり、裏面には切符制度の概要案内が記されている。



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# by kaz794889 | 2016-05-29 23:07 | 戦時期の山梨 | Comments(0)