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2016年 09月 08日

鰍沢警察署 旧庁舎

【鰍沢警察署新築記念 大正十一年九月三十日撮影】
f0191673_10571047.jpg 山梨県内における警察署の前身は明治6年3月に山梨県庁内に置かれた取締掛の出張所として同年8月に、山梨県内16か所に設置された取締出張所である。(鰍沢取締出張所は鰍沢村の日蓮宗蓮華寺に置かれている。)
 ※ 16か所の取締出張所
   甲府・八日町、山梨郡・勝沼、八幡、八代郡・市部、浅利、市川 
  大門、巨摩郡・鰍沢、西条、古市場、河原部、若神子、下条西割、
  台ケ原、都留郡・下谷村、下吉田、上野原

 また、同年12月には出張所4か所(八日町、市部、鰍沢、下谷村)、屯所16か所に再編され、その後、明治8年3月の行政警察規則の公布により、取締出張所の名称が「警察出張所」に改められ、鰍沢取締出張所が鰍沢警察出張所になるとともに、警察出張所の下部機関として明穂、睦合、市川大門に巡査屯所が置かれている。
 明治10年2月に警察出張所は警察署に、巡査屯所は分署に改称された上、これに地名を冠称し、鰍沢警察出張所は鰍沢警察署となり、明治11年には鰍沢村1765番地に鰍沢警察署が新築され、その後、大正11年には鰍沢町1599番地に新築移転している。



【現在の鰍沢警察署旧庁舎跡】
f0191673_10581166.jpg 昭和31年3月に鰍沢警察署は南巨摩郡増穂町(現在の富士川町)最勝寺1306番地に新築移転し、更に昭和57年には庁舎が新築され現在に至っている。
 なお、昭和31年3月に移転後の鰍沢警察署旧庁舎は鰍沢町役場として役場庁舎が新築されるまで使用され、現在、その跡地は富士川町役場鰍沢分庁舎(平成22年3月8日に鰍沢町と増穂町が合併し富士川町)となっている。

















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# by kaz794889 | 2016-09-08 12:03 | 警察 | Comments(0)
2016年 09月 07日

平等村・上万力村組合村 同組合村役場の忠魂碑 

【平等村・上万力村組合村旧役場跡内の忠魂碑】

f0191673_16391888.jpg 山梨市落合の平等村・上万力村組合村旧役場跡内の忠魂碑である。
 忠魂碑表面には「忠魂碑」の文字と、その揮毫者である「陸軍中将 田中儀一書」の文字が刻まれている。
 また、背面には「大正六年十月建設 帝国在郷軍人会 平等村 上万力村組合分会」と建設年等が刻まれている。


















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# by kaz794889 | 2016-09-07 16:46 | 忠魂碑 | Comments(0)
2016年 09月 06日

山縣大弐を歩く 10【鰍門早発詩碑】

【鰍門早発詩碑】
f0191673_20063943.jpg 鰍門遥向駿河通 急峡長難見鬼工
 目送千山皆北送 扁舟早巳到南中 
 「 鰍門(しゅうもん)遥かに駿河に向って通ず、
   急峡長難(きゅうきょうちょうなん)鬼工
   (きこう)を見る。目送す千山皆北に送るを、
   扁舟(へんしゅう)早く巳(すで)に南中に
   到る。」
  右録 柳荘山縣大弐先生 鰍門早発之詩 梧邨 広瀬和育

 江戸在住の山縣大弐は宝暦3年の夏、墓参のため帰郷、その後富士川を下り熱海温泉に浴し、初秋に江戸に帰ったとされている。鰍門早発の歌は、その時の富士川下りを基に作られたと考えられる。
 当初の詩碑は江戸期に鰍沢の富士川河岸に建立されているが、明和事件の際に、その忌諱に触れられることを憂慮し、詩碑は委棄されたが、その後の水害なと゜により埋没しその所在を失うこととなった。

 このため、大正12年7月に当時の山縣神社創建会会長であった広瀬和育ら有志者によって鰍門早発詩碑が当時の鰍沢尋常小学校敷地内に建立されることとなり、現在も鰍門早発詩碑は富士川町立鰍沢小学校の敷地内に残されている。




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# by kaz794889 | 2016-09-06 21:31 | 山縣大弐 | Comments(1)
2016年 09月 05日

旧鰍沢青柳電報電話局庁舎

【旧鰍沢青柳電報電話局庁舎】

f0191673_19075351.jpg 昭和24年6月1日、逓信省が郵政省、電気通信省の二省に分離され、電気通信事業は電気通信省の所管となり、同省発足とともに新たな組織機構として山梨県内には山梨電気通信部、同部の監督機関であり、取扱局(電話局、電報局)を直接指揮監督する電気通信管理所(甲府及び吉田に設置)、取扱局(甲府電報局、甲府電話局、小井川無人局、吉田電報電話局)が置かれることとなった。

 その後、昭和27年8月1日に電気通信省が廃止され公共企業体である日本電信電話公社が新たに発足するとともに、同年11月1日に電気通信省時代の組織体制も全面的に改正されている。 

 日本電信電話公社の発足当時、鰍沢周辺地域を管轄する電報電話局の新設が求められ、昭和28年3月1日に鰍沢郵便局及び青柳郵便局(青柳郵便局の業務引継ぎは3月16日)が所管してい電気通信業務の取り扱いを引き継いだ鰍沢青柳電報電話局が設置された。
 現在も残る旧鰍沢電報電話局庁舎は、旧警察法に基づく自治体警察署である鰍沢町警察署(昭和26年9月30日廃止)の旧庁舎を利用した同局設置当時の建物である。




【同庁舎事務棟】
f0191673_19081829.jpg 事務棟は同電報電話局設置後の昭和29年に、庁舎後方に増築されている。

 その後、鰍沢青柳電報電話局の業務拡大や管轄地域の電話ダイヤル化などで庁舎、敷地の狭隘化が進み、昭和43年2月には旧増穂町に新築移転している。
 
















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# by kaz794889 | 2016-09-05 23:10 | 郵便局・逓信 | Comments(0)
2016年 08月 27日

向嶽寺 仏殿

【塩山 向嶽寺仏殿】
f0191673_22255581.jpg 甲州市塩山上於曽の向嶽寺は臨済宗向嶽寺派の大本山である。
 永和4年に甲州市塩山上竹森の地に草庵を結んだ後、2年後の康暦2年に恵光大円禅師 抜隊得勝(ばっすいとくしょう)により現在の地に向嶽庵として創建されている。
 武田家歴代の厚い保護を受け、武田家滅亡後には一時衰退したものの、徳川家康によって復興がなされたという。
 天明6年の大火により仏殿以下の堂宇が焼失後、文政11年頃に仏殿と方丈が再建されたという。
 再建された仏殿は、仏殿と開山堂を合わせて建立された複合建築となっており、仏殿の後方に開山堂を接続し、建物の内部と外観が一体として構成された姿となっている。











【(甲州塩山名所)向嶽寺】
f0191673_22251452.jpg 大正15年4月18日の火災により、仏殿上層の茅葺屋根を焼失し、その後、現状に復旧され、現在は江戸時代後期の大規模な木造建築の一つとして、内部・外観ともに変化に富んだ構成の妙を表した貴重な遺構として、平成8年2月8日に当時の塩山市の指定文化財として指定され、現在は甲州市の指定文化財となっている。
 写真は大正15年焼失以前の仏殿である。














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# by kaz794889 | 2016-08-27 23:08 | 寺院 | Comments(0)