2016年 07月 31日

石和町 遠妙寺の忠魂碑

【遠妙寺境内の忠魂碑】
f0191673_21221206.jpg 笛吹市石和町市部の遠妙寺境内の忠魂碑である。
 忠魂碑表面には「忠魂碑」の文字と、その揮毫者である「陸軍大将 子爵 川村景明書」の文字が刻まれている。
 また、背面には「大正二年十二月 帝国在郷軍人会 石和町分会」と建設年等が刻まれている。

















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# by kaz794889 | 2016-07-31 21:29 | 忠魂碑 | Comments(0)
2016年 07月 23日

御嶽公会堂(旧金櫻神社参籠所)

【御嶽公会堂 正面】
f0191673_14115054.jpg  金桜神社の門前に建つ御嶽公会堂が、平成28年7月15日に文化審議会から文部科学大臣に対し、登録有形文化財に登録するよう答申された。

 門前正面に建つ公会堂は、その外観などから金桜神社門前の景観に合わせた建物であり、金桜神社の焼失前、現在以上に門前町の景観が残されていた当時の名残りを残す数少ない建造物のひとつである。














【御嶽公会堂 後方】
f0191673_14120011.jpg 文化庁の報道資料等によれば、御嶽公会堂は18世紀中ごろに金桜神社の参籠所(金桜神社への祈願のための宿泊所)として建設され、昭和10年頃に現在地に移築され、その後、地区の公会堂となり、昭和54年に現在の姿に改修されている。
 また、内部に柱を建てない大空間など参籠所としての特色を今に伝えていることが、登録有形文化財として登録される理由のひとつであるという。















【金櫻神社 境内図】
f0191673_14113875.jpg 左記の金桜神社境内図は明治期のものであり、赤く囲んだ部分が金桜神社境内に建てられていた当時の参籠所である。
























【金桜神社境内の参籠所】
f0191673_09230531.jpg 金桜神社焼失前に残されていた、旧国宝の東宮本殿及び中宮社殿は、昭和11年に大修理がなされ、また、それに合わせて境内全体の改修がなされていることから、その時期に参籠所が境内地から門前に移築されたものと思われる。
 写真の青く囲んだ建物が、境内地に建てられていた頃の参籠所である。














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# by kaz794889 | 2016-07-23 10:49 | Comments(0)
2016年 07月 17日

富士見村 佐久神社の忠魂碑

【佐久神社境内の忠魂碑】
f0191673_22135858.jpg 笛吹市石和町河内の佐久神社境内の忠魂碑である。
 忠魂碑表面には「忠魂碑」の文字と、その揮毫者である「陸軍大将一戸兵衛書」の文字が刻まれている。
 また、背面には「昭和三年十二月建為 帝国在郷軍人会 冨士見分会」と建設年等が刻まれている。

  















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# by kaz794889 | 2016-07-17 22:31 | 忠魂碑 | Comments(0)
2016年 07月 03日

旧北都留郡甲斐絹同業組合本部

【北都留郡甲斐絹同業組合本部】
f0191673_22405638.jpg 北都留郡甲斐絹同業組合は明治29年2月に設立が許可された北都留郡甲斐絹業組合を前身とし、明治37年9月には同組合が改組され新たに「北都留郡甲斐絹同業組合」として設立されている。
 北都留郡甲斐絹同業組合には廣里村(昭和8年4月1日に大月町となり、現在は大月市)、七保村、富浜村、初狩村などに検査出張所が置かれていた。
 同組合廣里検査出張所は、その後の新築移転することとなり、大正14年2月に起工、同年8月20日に木造スレート葺き洋風二階建て建物が竣工し、同年12月に移転している。写真の右側建物が廣里検査出張所である。
 その後、昭和2年9月には廣里検査出張所が北都留郡甲斐絹同業組合大月支部となり、昭和11年には同大月支部が増築されることとなり、同年11月30日に竣工している。増築部分が写真の左側に写る建物である。
 昭和12年には、猿橋町に置かれていた北都留郡甲斐絹同業組合本部が大月に移転することとなり、大月支部の建物が北都留郡甲斐絹同業組合本部となっている。

【クレイン農業協同組合】
f0191673_23003985.jpg 旧北都留郡甲斐絹同業組合本部庁舎は、現在、クレイン農業協同組合大月支店(大月市大月)の建物として使用されている。




















【クレイン農業協同組合 ②】
f0191673_23004786.jpg






















【クレイン農業協同組合 ③】

f0191673_23005659.jpg
























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# by kaz794889 | 2016-07-03 16:40 | 山梨の近代建築 | Comments(0)
2016年 06月 12日

津島家寄託 太宰治資料展Ⅱ

【太宰治資料展Ⅱ パンフレット】
f0191673_22173654.jpg 
 平成26年8月に、太宰治の資料約50点が、津島家から三鷹市に寄託され、昨年の6月13日から28日まで、「津島家寄託 太宰治資料展」として、三鷹駅前の三鷹市美術ギャラリーにおいて開催されている。
[平成27年6月開催の太宰治資料展]
 http://kaz794889.exblog.jp/24136455/

 本年も、昨年度開催された同展における未公開の津島家寄託資料を中心とした約70点を展示資料とする、「津島家寄託 太宰治資料展Ⅱ ~師、友そして「饗応夫人」~」として、平成28年6月11日~7月3日を会期として、昨年と同じ三鷹駅前の三鷹市美術ギャラリーにおいて開催していることから、本日、同展を観覧した。

 展示は「Ⅰ 師友集いし<三鷹の家>」、「Ⅱ 太宰治と「饗応夫人」」の二部構成となっており、三鷹時代における太宰治の文学交流などが中心となった展示となっている。
 
 三鷹時代における資料を中心とした今回の資料展において、太宰治の甲府疎開時における関係資料が展示されている。
 昭和20年3月に夫人と子供二人を当時の甲府市水門町にあった夫人の実家である石原家に疎開させ、同年4月には太宰治自身も石原家に疎開しているが、同年7月6日夜の甲府空襲により石原家も罹災しており、太宰治の家族も焼け出されている。
 今回の展示品の中に、甲府空襲による罹災証明書が展示されている。
 当該証明書には次のとおり記載されている。
「罹災証明、 甲府市水門町石原方、 津島(以降は判読不可)、家族数外○(判読不可)名、右者昭和20年7月6日ノ空襲ニ依リ罹災シタルコトヲ証明ス、昭和20年7月8日、甲府警察署長」

罹災証明書は、終戦後における三鷹時代の「家庭用品購入通帳」の最終頁に添付されている状態で残されており、そこには美知子夫人の几帳面さが感じられる。
 

【展示室の入口】
f0191673_22190569.jpg 6月19日の桜桃忌を中心に三鷹市においては、前記の「太宰治資料展Ⅱ」の他、同市の「太宰治文学サロン」においては、6月7日から10月2日を会期として、昭和23年~24年にかけて八雲書店から刊行された太宰治全集に関する企画展示である「太宰治の全集創作」展が開催されている。 



















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# by kaz794889 | 2016-06-12 23:11 | Comments(1)