峡陽文庫

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2008年 09月 27日

絵葉書で見る山梨 1

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【(甲府名所)常盤町通り】
 常盤町通りを東から西に向かって写しています。
 右側の洋館は大正13年3月1日に落成した第十銀行本店。その奥に建物の一部(2階塔屋)が写っているのは、明治33年3月に落成した日本勧業銀行甲府支店。左側の洋館は、野々垣写真館です。
 通りの中央に、昭和2年5月に廃止となった山梨馬車鉄道の軌道があることから、この絵葉書の風景は大正後期頃と思われます。

# by kaz794889 | 2008-09-27 22:09 | 絵葉書で見る山梨 | Comments(3)
2008年 09月 27日

御嶽昇仙峡

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 昇仙峡は山梨県の代表的な景勝地です。
昭和2年4月、東京日日新聞社、大阪毎日新聞社の共催による「日本新八景」の選定が催され、昇仙峡は全国からの投票により、299万2,930票の得票を得たものの、文人、画家、学者等の審査により「日本新八景」には洩れましたが、「日本二十五景勝」のひとつになりました。
また、昭和25年に毎日新聞社が主催した日本観光地百選の投票では渓谷の部において第一位となり、同26年10月15日に覚円峰と長潭橋を描いた2種類の記念切手も発行されています。
 
 近世の漢詩文や紀行文、明治期前半の旅行案内には、昇仙峡という名称が用いられず、御嶽新道という言葉が使われています。
 昇仙峡という名称が、いつ頃から使われるようになったのか、太宰治の岳父である理学者の石原初太郎の著書『甲斐の名勝 御嶽昇仙峡と其奥』(昭和5年8月発行)の中で「昇仙峡といふ名称は明治20年以降の命名で、何人が名づけ親であるか不明である。しかも今日では押しも押されもせぬ通り名となったのである。」とあります。現在、手許にある明治時代の山梨県に関する旅行案内を見る限り、明治20年代、30年代に発行されたものは「御嶽新道」と記してありますが、二木信山著『富嶽案内 附 甲州御嶽名勝記』(明治42年8月発行)や田山花袋編『新撰名勝地誌 東海道西部』(明治43年4月発行)では昇仙峡という名称が使われています。
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 昇仙峡という、名称がいつ頃から、どのような経緯で使われるようになったのか、調べていきたいと考えています。

# by kaz794889 | 2008-09-27 10:40 | 御嶽昇仙峡 | Comments(1)