峡陽文庫

kaz794889.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2017年 10月 15日

甲府市 柳町

【東宮殿下御来峡記念 柳町奉迎門】
f0191673_12083709.jpg
 














 


 

 大正11年10月3日から8日までの間、当時の皇太子殿下(後の昭和天皇)が山梨県を行啓されている。
 甲府市街には甲府駅前などの各所に奉迎門が設置されている。写真の奉迎門はその内の一つである柳町と
八日町の交差点に設置された柳町奉迎門である。
 左手前は浅川商店 [http://kaz794889.exblog.jp/22360374/]、右手前は井上文房堂、右奥は岩田商店 [http://kaz794889.exblog.jp/15913491/] である。
 


【現在のNTT甲府支店西 交差点】
f0191673_12080117.jpg
 柳町奉迎門が設置された交差点(現在のNTT甲府支店西交差点)の現在の状況(平成26年6月撮影)である。
 当時の建物は全て失われているものの、道筋は当時と変わっていない。



















にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。


# by kaz794889 | 2017-10-15 12:54 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2017年 10月 11日

甲府市 常盤町通り 2

【(甲府名所)常盤町通り】
f0191673_09241152.jpg
 常盤町通りは、現在の城東通りである。
 甲府バイパスが開通する昭和46年以前の国道
20号線であり、戦前戦後を通じ甲府市街におけ
るメイン道路のひとつである。

 写真右の建物は大正13年に建設された第十銀行本店(現在の山梨中央銀行)、その奥が日本勧業銀行甲府支店(現在のみずほ銀行)、更に奥が昭和6年3月に建設された甲府郵便局であり、左の三階建て建物は野々垣写真館である。

 右側の屋台がある位置から手前側(東側)に、岡島百貨店が建設されるのが昭和13年9月であることから、昭和6年~昭和10年頃の常盤町通りと考えられる。








【現在の常盤町通り】
f0191673_08392294.jpg
 現在の常盤町通りである。
 戦前期に通り沿いに建設された、前記の写真に写る第十銀行、日本勧業銀行(建設時は山梨農工銀行)の建物は昭和20年7月の甲府空襲で焼失。戦災を逃れた甲府郵便局庁舎は、同局が現在の甲府市太田町に新築移転後、甲府市役所庁舎となったが、その後の市役所新庁舎建設により取り壊されたため、戦前期の建物は全て失われている。

 















にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。


# by kaz794889 | 2017-10-11 09:29 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2017年 08月 25日

甲府市柳町 鐘紡サービスステーション甲府代理店

【鐘紡サービスステーション甲府代理店】
f0191673_12443640.jpg

 甲府市柳町44番地(現在の中央4丁目8-1)で営業されていた昭和11年頃の鐘紡サービスステーション甲府代理店である。
 土蔵造りのこの建物は明治31年10月1日に創業した松浦銀行(同行は昭和7年8月26日に廃業)の社屋であり、一階部分を相当改修の上、店舗として使用されていた。

 鐘紡サービスステーションは当時の鐘紡製品のアンテナショップであり、鐘紡が製造する生地による紳士、婦人、幼児の既製品類や鐘紡製の絹布、綿布類等の生地など、新製品の販売・広告を目的に大阪(心斎橋店)と東京(銀座店)を中心に多数の鐘紡ステーションと代理店を展開しており、甲府代理店は八日町で繭袋商を営んでいた跡部家により、昭和11年中頃に営業が開始されている。






【現在の店舗跡】
f0191673_12435267.jpg

 鐘紡サービスステーション甲府代理店があった現在の店舗跡である。
 上記の写真に写る白塗の土蔵は近年まで残されていた。



















にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。


# by kaz794889 | 2017-08-25 14:51 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2017年 08月 16日

南アルプス市 小笠原長清公祠堂

【明治期の小笠原長清公祠堂と石碑】
f0191673_12395142.jpg

 明治期に撮影された小笠原長清公祠堂(おがさわら ながきよこうしどう)の写真である。
 
 小笠原長清は応保2年(1162年)3月に、加賀美遠光の二男として生まれ、原小笠原荘(南アルプス市小笠原)を本拠とし、現在の南アルプス市立小笠原小学校附近に館を構えたという。
 小笠原長清は父親である加賀美遠光とともに鎌倉幕府の創建に活躍し、文治元年(1185年)に源頼朝の推挙による遠光の信濃守着任に続き、長清が信濃の佐久伴野荘の地頭となったことにより、小笠原氏は信濃へ進出し基盤を築いたという。
 その後、承久の乱において東山道大将軍として活躍し、鎌倉幕府の軍勢を率いて上洛した後は京都に生活の基盤を置き、仁治3年(1242年)7月に81歳で没した長清の遺骸は京都清水坂の長清寺観音堂に埋葬されたが、応仁の乱により焼失したため、岐阜県の荘福寺、長野県の開善寺、長清寺の三か所に分骨されたことが伝わっている。また、南アルプス市下宮地の一角には家臣らによる古墓があったとされていた。
 明治24年頃、当該地の開墾において土中から石棺が出土したことから、明治34年に近村、甲府、水戸の有志らによる賛助を得て小笠原長清公祠堂及び墓碑(祠堂の右側)が建てられている。




【現在の小笠原長清公祠堂】
f0191673_12401967.jpg

 明治34年に建立された小笠原長清公祠堂は下宮地にあった若宮神社の社殿を移築したものであり、桃山式建築様式の特色ある部分が残っていたという。
 現在の祠堂は、その後の老朽化等により平成14年に改修されている。





















【小笠原家高祖之塋域碑】

f0191673_13281550.jpg

 小笠原長清公祠堂の右脇に建つ「小笠原家高祖之塋域碑」である。
 同碑は祠堂とともに明治34年に建立されたものであり、石碑の書は長清の後孫にあたる当時の東宮侍従小笠原長育によるものである。





















にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。


# by kaz794889 | 2017-08-16 13:40 | Comments(0)
2017年 08月 13日

甲斐絹販売株式会社旧社屋

【甲斐絹販売株式会社旧社屋】
f0191673_09155751.jpg 
 都留市中央3丁目に所在する甲斐絹販売株式会社旧社屋(現在は村松新聞店)が国の登録有形文化財に過日答申された。
 文部科学省の報道資料(平成29年7月21日)には次のとおり記載されている。
 
 [名称]  
   村松新聞店(旧都留市役所分庁舎)
 [建設年代等]
   大正8年/大正3年、昭和43年改修
 [特長等]  
旧谷村町中心部に位置する旧分庁舎。正面に洋風意匠を意欲的に
取り入れる。











【大正14年頃の社屋】
f0191673_18425022.jpg

 甲斐絹販売株式会社は明治43年3月18日に創立し、当初は谷村町下谷9番地の家屋を社屋としていたが、その後、下谷239番地に社屋(現在の旧社屋)を新築し移転している。
 昭和27年7月1日に谷村信用組合(現在の山梨県民信用組合)が開設されると、甲斐絹販売株式会社旧社屋は同組合の社屋として使用されていたが、昭和30年9月に同組合は下谷12番地に移転している。
 その後、昭和32年5月に旧社屋は改修され、都留市役所分室として使用されていた。



























 
にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。


# by kaz794889 | 2017-08-13 10:23 | 山梨の近代建築 | Comments(0)