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2017年 08月 25日

甲府市柳町 鐘紡サービスステーション甲府代理店

【鐘紡サービスステーション甲府代理店】
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 甲府市柳町44番地(現在の中央4丁目8-1)で営業されていた昭和11年頃の鐘紡サービスステーション甲府代理店である。
 土蔵造りのこの建物は明治31年10月1日に創業した松浦銀行(同行は昭和7年8月26日に廃業)の社屋であり、一階部分を相当改修の上、店舗として使用されていた。

 鐘紡サービスステーションは当時の鐘紡製品のアンテナショップであり、鐘紡が製造する生地による紳士、婦人、幼児の既製品類や鐘紡製の絹布、綿布類等の生地など、新製品の販売・広告を目的に大阪(心斎橋店)と東京(銀座店)を中心に多数の鐘紡ステーションと代理店を展開しており、甲府代理店は八日町で繭袋商を営んでいた跡部家により、昭和11年中頃に営業が開始されている。






【現在の店舗跡】
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 鐘紡サービスステーション甲府代理店があった現在の店舗跡である。
 上記の写真に写る白塗の土蔵は近年まで残されていた。



















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by kaz794889 | 2017-08-25 14:51 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2017年 08月 16日

南アルプス市 小笠原長清公祠堂

【明治期の小笠原長清公祠堂と石碑】
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 明治期に撮影された小笠原長清公祠堂(おがさわら ながきよこうしどう)の写真である。
 
 小笠原長清は応保2年(1162年)3月に、加賀美遠光の二男として生まれ、原小笠原荘(南アルプス市小笠原)を本拠とし、現在の南アルプス市立小笠原小学校附近に館を構えたという。
 小笠原長清は父親である加賀美遠光とともに鎌倉幕府の創建に活躍し、文治元年(1185年)に源頼朝の推挙による遠光の信濃守着任に続き、長清が信濃の佐久伴野荘の地頭となったことにより、小笠原氏は信濃へ進出し基盤を築いたという。
 その後、承久の乱において東山道大将軍として活躍し、鎌倉幕府の軍勢を率いて上洛した後は京都に生活の基盤を置き、仁治3年(1242年)7月に81歳で没した長清の遺骸は京都清水坂の長清寺観音堂に埋葬されたが、応仁の乱により焼失したため、岐阜県の荘福寺、長野県の開善寺、長清寺の三か所に分骨されたことが伝わっている。また、南アルプス市下宮地の一角には家臣らによる古墓があったとされていた。
 明治24年頃、当該地の開墾において土中から石棺が出土したことから、明治34年に近村、甲府、水戸の有志らによる賛助を得て小笠原長清公祠堂及び墓碑(祠堂の右側)が建てられている。




【現在の小笠原長清公祠堂】
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 明治34年に建立された小笠原長清公祠堂は下宮地にあった若宮神社の社殿を移築したものであり、桃山式建築様式の特色ある部分が残っていたという。
 現在の祠堂は、その後の老朽化等により平成14年に改修されている。





















【小笠原家高祖之塋域碑】

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 小笠原長清公祠堂の右脇に建つ「小笠原家高祖之塋域碑」である。
 同碑は祠堂とともに明治34年に建立されたものであり、石碑の書は長清の後孫にあたる当時の東宮侍従小笠原長育によるものである。





















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by kaz794889 | 2017-08-16 13:40 | Comments(0)
2017年 08月 13日

甲斐絹販売株式会社旧社屋

【甲斐絹販売株式会社旧社屋】
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 都留市中央3丁目に所在する甲斐絹販売株式会社旧社屋(現在は村松新聞店)が国の登録有形文化財に過日答申された。
 文部科学省の報道資料(平成29年7月21日)には次のとおり記載されている。
 
 [名称]  
   村松新聞店(旧都留市役所分庁舎)
 [建設年代等]
   大正8年/大正3年、昭和43年改修
 [特長等]  
旧谷村町中心部に位置する旧分庁舎。正面に洋風意匠を意欲的に
取り入れる。











【大正14年頃の社屋】
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 甲斐絹販売株式会社は明治43年3月18日に創立し、当初は谷村町下谷9番地の家屋を社屋としていたが、その後、下谷239番地に社屋(現在の旧社屋)を新築し移転している。
 昭和27年7月1日に谷村信用組合(現在の山梨県民信用組合)が開設されると、甲斐絹販売株式会社旧社屋は同組合の社屋として使用されていたが、昭和30年9月に同組合は下谷12番地に移転している。
 その後、昭和32年5月に旧社屋は改修され、都留市役所分室として使用されていた。



























 
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by kaz794889 | 2017-08-13 10:23 | 山梨の近代建築 | Comments(0)
2017年 08月 12日

甲府城 東側の東橘通

【甲府城 東側の東橘通】
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 甲府城の数寄屋曲輪から昭和6年5月15日に撮影された甲府城の東側、東橘通の風景である。
 通りに面した東側は、建物の位置及び建物後方の空地を含め、かつての甲府城内堀であり、空地は内堀の名残りである。
 後方は愛宕山の南麓にあたり、英和女学校や甲府市の水道施設が認められる。
 
 東橘通に面した東側は、当時、橘町に属し、当時の市街図によると、通称「東橘町」と云われていたようである。
 また、写真に写る空地を境に、その奥は境町となっていた。
 











【現在の同位置】
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 中層の建物が密集し、後方の愛宕山も俯瞰できない現在の同位置である。






















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by kaz794889 | 2017-08-12 11:48 | 甲府城 | Comments(0)