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2016年 02月 28日

終戦後の昭和通り

【(観光都市甲府)昭和通り】
f0191673_17582282.jpg 岡島前の通りはかつて「昭和通り」と云われた時期があった。
甲府城郭内の武家屋敷地であったこの地域は、明治8年に松原小路から新たに常盤町となり、町を貫く通りは「常盤町通り」と通称され、通りに面して知事官舎、第十国立銀行、西山梨郡役所などが置かれていた。 

 昭和13年10月に柳町にあった岡島呉服店が岡島百貨店として現在の位置に開店した後、盧溝橋事件後の戦時期であった当時の社会情勢などから、「常盤町通り」から「昭和通り」と改称され、終戦後もしばらくは昭和通りと通称されていたようである。
 写真は昭和20年代後期の街並みであり、通りの左側手前の建物は、昭和16年12月1日に第十銀行と有信銀行が合併した山梨中央銀行の本店である。同行本店は甲府空襲で焼失しており、写真の店舗は昭和25年2月4日に新築落成している。また、その後方は岡島百貨店である。



【現在の同位置附近】
f0191673_17583181.jpg 現在の同位置である。
 「昭和通り」という通りの通称も、現在は「城東通り」となっている。
 左側手前は昭和44年11月17日に竣工した山梨中央銀行の本店。その後方は岡島百貨店である。
 通りに面した建物は新築され、通りも整備されているが、道路幅は当時のまま現在に至っている。
















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by kaz794889 | 2016-02-28 13:27 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2016年 02月 20日

甲府城址 遊亀橋前

【一府九県連合共進会正面売店】
f0191673_15081631.jpg 明治39年10月に開催された山梨県主催一府九県連合共進会の開催を機に、石垣の一部を取り壊し、堀の対岸と鍛冶曲輪の間に、甲府城址である舞鶴城公園の正面入口の位置付けとも云える遊亀橋が架橋されるとともに、同橋のたもとから南側方向へ一直線に貫く通りが建設されている。

 写真は、同共進会に際し前述の通りである「共進会場前通り」に設けられた売店である。

 










【売店の図】
f0191673_15082077.jpg 共進会場前通りに置かれた共進会売店は次のとおりである。 

 「各府県の売店」
  イ 東京府売店
  ロ 新潟県売店
  ハ 埼玉県売店
  ニ 栃木県売店
  ホ 群馬県売店
  ヘ 長野県売店

 「附属売店」
  1 甲斐絹、2 甲斐絹、3 足袋類、4 柿・栗・ジャム・菓子
 5 製紙、6 硯、7 葡萄酒、8 印伝、9 水晶










【現在の同位置】
f0191673_15090942.jpg 現在の「共進会場前通り」である。
 共進会当時から通りの東側は住宅地となっているが、西側には明治41年3月に新築移転となった甲府税務署が建設され、平成24年2月に甲府駅北口の甲府合同庁舎に移転するまで置かれていた。
 写真左側は甲府税務署の旧庁舎である。


















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by kaz794889 | 2016-02-20 16:43 | 甲府城 | Comments(0)
2016年 02月 14日

甲府城鍛冶曲輪からの石垣

【甲府城趾 鍛冶曲輪からの石垣】
f0191673_22563616.jpg 

























  昭和6年5月15日の甲府城内鍛冶曲輪から見た城址石垣の風景である。
  甲府城址となった後の鍛冶曲輪は、多種多様なイベントの会場として用いられるなど、甲府城広場として知られている。
  広場に面する石垣部分は、近代以降に新たに構築された石積に覆われている。

  広場に面した木立ちの位置に、「小田切謙明君頌徳之碑」が建立されるのは、この日から5年半後の昭和11年11月である。

  小田切謙明
  http://kaz794889.exblog.jp/13778250/



【現在の同位置附近】
f0191673_22564712.jpg 甲府城址の整備により、かつての石垣に修復された現在の同位置附近である。
 甲府城址の整備により、かつて城址に建立されていた複数の石碑は、石碑ゆかりの場所に移築されているが、小田切謙明の頌徳碑は現在も建立当時の位置に建てられている。




















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by kaz794889 | 2016-02-14 09:20 | 甲府城 | Comments(0)
2016年 02月 11日

峡中日報

【峡中日報】
f0191673_22251182.jpg 「峡中日報」は明治21年6月3日に創刊された日刊紙である。
 昭和4年2月11日には「山梨時事新報」と紙名を改題し、昭和7年7月10日には再度「峡中日報」と紙名を改めている。
 その後、昭和15年10月1日に戦時下における新聞統合としての一県一紙体制に向け、山梨県内における当時の日刊紙(山梨日日新聞、山梨毎日新聞、山梨民報、峡中日報)に対する政府や山梨県知事からの合併勧奨がなされた結果、山梨日日新聞を中心とする合併の方向となり、昭和15年10月1日にその第一陣として峡中日報は山梨日日新聞と合併している。
 
 




















【甲府市錦町 峡中日報社】
f0191673_22250594.jpg 甲府市錦町18番地に所在した、「峡中日報」の発行元である峡中日報社である。





















【現在の「峡中日報社」跡】
f0191673_22253322.jpg


























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by kaz794889 | 2016-02-11 15:57 | 新聞 | Comments(0)