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2015年 07月 26日

山梨県甲府測候所発行の「気象信号要覧」

【気象信号要覧】
f0191673_12114450.jpg 明治39年9月に山梨県甲府測候所が発行した「気象信号要覧」である。
 山梨県甲府測候所は「気象台測候所条例(明治20年勅令第41号)」に基づき、明治27年8月1日に甲府市西青沼に山梨県の機関として開設され、一日6回の気象観測と気象通報を行っていた。また、午前9時から午後4時までの間、測候所の参観が許されており、参観希望者は自己の住所、氏名、職業を記した書面の提出が求められていた。

 大正9年に甲府測候所は甲府市伊勢町1242番地に移転。
 その後、気象業務の一元化と敏速化の要請などから「気象官署官制(昭和14年勅令第740号)」が公布され、昭和14年11月1日に全国の気象機関は文部省の機関として国営移管となり、山梨県甲府測候所は「甲府測候所」となった。

 昭和20年の甲府空襲による庁舎の焼失後、昭和26年11月に甲府市飯田町に移転し、昭和32年11月には甲府地方気象台となり現在に至っている。


 














【明治40年の甲府市街図】
f0191673_12115304.jpg 青い線で囲んだ位置(現在の甲府市丸の内2丁目、山梨県ボランティアセンター附近と考えられる。)が山梨県甲府測候所の置かれた場所である。
 




















【「気象信号要覧」掲載の気象信号標識】
f0191673_12114732.jpg 「気象信号要覧」に記載された気象信号標識である。
 甲府測候所の観測に基づく天気の情報については、当時、甲府市内巡査派出所、山梨県庁前、甲府停車場、山梨県内各警察署前に掲示されていた。

 














【甲府城跡天守台の信号柱】
f0191673_12115730.jpg 中央気象台の指示により、甲府測候所は構内の敷地に天気予報の信号標柱を建設し、明治28年7月1日から中央気象台から入電する予報と自所が観測した風向きや気温を示す旗を掲げて市民に知らせていたが、測候所のある西青沼では人目に触れにくい等の理由から、甲府城跡の天守台に警報信号標柱を建て、明治33年10月6日から甲府測候所発表の天気予報に合わせた旗の掲揚を開始している。

 










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by kaz794889 | 2015-07-26 13:32 | Comments(0)
2015年 07月 12日

甲府 龍華山 永慶寺跡

【龍華山 永慶寺跡之碑】
f0191673_13102480.jpg 宝永元年12月、柳澤吉保が甲府15万石の甲府城主に任ぜられると、翌年10月に菩提寺建築を幕府に願い出、山梨郡岩窪村躑躅ヶ崎に「隠隠山霊台寺」を創建し、11月から本格的な整地、伽藍の建築を開始したが、宝永5年4月に山号寺号を「龍華山永慶寺」に改めるとともに、宗派を黄檗宗に改宗し、宝永7年8月に七堂伽藍を備えた菩提寺を建立している。

 「龍華山永慶寺跡之碑」はかつて永慶寺が建立されていた、現在の山梨県護国神社境内に平成15年7月に建設された石碑である。











[大和郡山紀行 柳澤家を歩く 1「永慶寺」]
http://kaz794889.exblog.jp/18743677/



【永慶寺に関わる石造物】
f0191673_13103854.jpg 柳澤吉保が正徳4年12月2日に六義園において逝去すると、永慶寺に葬られたが、享保9年3月、柳澤家の大和郡山への転封に伴い、永慶寺も大和郡山に移転し、甲府の伽藍は全て撤去され、柳澤吉保の墓所は恵林寺に改葬されている。
 
 写真は永慶寺時代の名残りの石造物であるが、刻まれていた文字は徹底的につぶされている。
 

















【永慶寺跡地に鎮座する山梨県護国神社】
f0191673_13104842.jpg 現在、永慶寺の後には昭和19年11月に創建された山梨県護国神社が鎮座している。























【永慶寺の遺構 Ⅰ】
f0191673_13110427.jpg 永慶寺の伽藍が撤去された際、堂宇等の一部は附近の寺院に払い下げられており、甲府市古府中町の曹洞宗寺院である「万年山 大泉寺」には、永慶寺の仏殿、総門、水盤などが移されている。

 仏殿は文化11年2月に大泉寺の七堂伽藍が焼失した際に失われているが、写真の総門は焼失を免れ現在も永慶寺の遺構として残されており、平成5年9月1日に「大泉寺総門」として甲府市の指定文化財に指定されている。
 

 














【永慶寺の遺構 Ⅱ】
f0191673_13105303.jpg 写真の中央左寄りに写る石造物が、正面に「奉寄進 水盤」、背面に「宝永七庚寅歳八月吉辰 現在 龍山叟代」と刻まれている、永慶寺から移されたといわれる水盤である。






















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by kaz794889 | 2015-07-12 14:48 | 柳澤吉保 | Comments(0)
2015年 07月 06日

戦時期の山梨 19「昭和20年7月6日の甲府空襲」

【昭和20年7月9日付 毎日新聞】
f0191673_22134478.jpg 70年前の昭和20年7月6日、夜半から7日にかけ甲府は米軍機による空襲を受け、1100余名の尊い人命を失っている。

 昭和20年7月6日の日中の最高気温は29度、夜間午後10時の気温は22度、6日の夜は盆地特有のむし暑く寝苦しい夜であったという。

 午後11:23に警戒警報発令、11:54に空襲警報発令、日付の変わった7日の2:20に空襲警報が解除されている。

 「焦土から断乎起て」の見出しによる、昭和20年7月7日付の知事布告を掲載した山梨日日新聞(毎日、讀賣、朝日の各新聞連名)の号外が発行されている。
 写真は昭和20年7月9日付の毎日新聞裏面(当時の新聞は両面印刷の1ページ)に掲載された、空襲直後の戦災地甲府の状況を伝えている。


















f0191673_22203633.jpg








【甲府・焦土から再進発】
f0191673_22135244.jpg
















戦時期の山梨 9「甲府空襲」
http://kaz794889.exblog.jp/17733889/

戦時期の山梨 12「甲府空襲 2」
http://kaz794889.exblog.jp/19965969/


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by kaz794889 | 2015-07-06 06:29 | 戦時期の山梨 | Comments(0)
2015年 07月 04日

戦時期の山梨 18「鉄と銅 捧げて 米英撃滅へ」

【昭和17年8月23日発行 山梨常会資料号外 隣保組回覧板】
f0191673_16091220.jpg 昭和16年4月から政府による金属類特別運動が官庁、公共団体、工場、事業所、一般家庭などで広く実施され、当時の国策遂行のため金属の供出が実施された。
 山梨県におけるこの年の金属類特別運動の歩調は頗る緩慢であり、県内10数町村を除いて完全に目的を達したとは言い難い状況であったという。
 このため、昭和17年度における金属の供出は前年度の実績を踏まえ、迅速徹底的に回収を実施することとなったという。。

 写真の資料は、昭和17年10月1日から実施する金属類特別回収を周知するもである。

 







戦時期の山梨 4 「金属類回収令」
http://kaz794889.exblog.jp/16291391/



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by kaz794889 | 2015-07-04 17:00 | 戦時期の山梨 | Comments(0)