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2015年 05月 30日

高尾のお会式は 櫛形町小笠原から

【小笠原商工会発行のチラシ】
f0191673_16565669.jpg 南アルプス市高尾集落に鎮座する穂見神社の祭典は、毎年11月22日、23日に行われている。
 写真のチラシは昭和29年に、当時の中巨摩郡櫛形町(現在の南アルプス市)の小笠原商工会が発行したものである。
 穂見神社の祭典である「高尾の夜祭り」は、かつて11月30日から12月1日にかけて夜通し行われる祭典であり、高尾講という穂見神社の信仰団は、地元を始めとした山梨県内はもちろん、東京、静岡、長野、神奈川の各都県においても結成され、戦前期には数百、昭和40年頃には百数十に減少はしたものの、チラシが発行された昭和29年頃は参詣人の人出は多く、相当賑わっていたことがその内容からもうかがえる。

 昭和37年6月30日に廃止されるまで、櫛形町小笠原には山梨交通の電車線の駅である、小笠原駅(現在の南アルプス市役所附近)が置かれていた。
 参詣人は小笠原に到着すると、更に山梨交通の路線バスに乗り換え、穂見神社への参詣道の一つである平岡道の起点でもある平岡に向かい、そこから徒歩で高尾地区を目指し、穂見神社に参拝していた。

 小笠原は当時、穂見神社に向かう公共交通機関の要所であり、峡西地方の中心地域の一つであった。



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by kaz794889 | 2015-05-30 23:14 | 広告・チラシ | Comments(0)
2015年 05月 17日

第一回 夏草甲州道中

【「第一回 夏草甲州道中」案内書】
f0191673_15402933.jpg 夏草甲州道中は山梨日日新聞社と甲府ワンドラー共催で、郷土の古道を徒歩で訪ね、現地において研究を深めることを趣旨として始まっている。
 第1回夏草甲州道中は、「明治初年の古道を辿って 廿五次膝栗毛 八月の緑蔭に踏み開くわが郷土史 百聞を排する郷土の旅」と題して、
山梨県教育会後援のもと、昭和11年8月6日から12日までの六泊七日の日程により、山梨県と神奈川県の県境である境川橋から長野県との県境である国界橋まで、かつての甲州街道と明治天皇の御巡幸の聖蹟を徒歩で辿るコースであった。

※ 甲府ワンドラー
  http://kaz794889.exblog.jp/23659397/










【「第一回 夏草甲州道中」案内書2】
f0191673_15403447.jpg 案内書に記載のとおり、第一回夏草甲州道中の会費は「一日三食付雑費とも一円五十銭、宿泊しない場合は一日五十銭」、道中の服装は随意としているものの、夏草道中の代名詞でもある「菅笠、着ござなどの軽装最も妙」とある。



























【山梨日日新聞 昭和11年8月5日紙面】
f0191673_15404949.jpg 第一回夏草甲州道中の前日である、昭和11年8月5日の山梨日日新聞紙面によると、六泊七日の全行程に渡り、山梨日日新聞社映画部を動員してフィルムに収める映画の作成と「夏草甲州道中記」の出版を計画している。
 また、第一回夏草甲州道中には西八代郡豊和村(現在の市川三郷町)出身の画家内田一郎及び静岡県富士郡岩松村(現在の冨士市)出身の画家、茨木猪之吉が全行程に参加しスケッチが行われたという。













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by kaz794889 | 2015-05-17 17:00 | 甲州夏草道中 | Comments(0)
2015年 05月 06日

甲府城址 明治天皇御製之碑

【明治天皇御製之碑】
f0191673_14001821.jpg 甲府城跡の鍛冶曲輪(自由広場)の北側にある石切場跡に建てられている「明治天皇御製之碑」は、甲府市柳町の上甚こと村松甚蔵により大正13年11月に建碑されている。

 明治13年6月16日に御巡幸に向け皇居を出発された明治天皇は、19日の16:30に甲府の行在所である錦町の師範学校に着御され、20日は山梨県庁、静岡裁判所甲府支庁、勧業製糸場に臨幸、21日は甲府城内の勧業試験場において葡萄酒の醸造を御覧になった後、甲府城の天守台跡に臨幸され、その場所に設けられた御仮屋で暫時御休息されている。

 なお、天守台跡には明治天皇の御登臨を記念し、昭和13年3月に山梨県が建設した「明治天皇御登臨之址」碑が建てられている。
 http://kaz794889.exblog.jp/14764503/






【明治天皇御製之碑 正面及び背面】
f0191673_14004953.jpg 御製の碑正面には「 明治天皇御製 えびかつら色津支そ免ぬ山梨の 里乃阿き風佐むくなる羅し 御歌所寄人 入江為守謹書 」と刻まれている。

 背面には「御製之碑」建碑の経緯が島倉龍治(建碑当時の甲府地方裁判所検事局の検事正)の撰及び書により刻まれている。

















【建碑当時の御製之碑】
f0191673_14005374.jpg 甲府城跡の整備により、御製之碑周囲の樹木も現在は整備されている。

 御製之碑の古写真は、大正14年3月22日に建碑者である村松甚蔵が発行した記念絵葉書によるものである。















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by kaz794889 | 2015-05-06 15:14 | 明治天皇旧蹟 | Comments(0)
2015年 05月 05日

弥栄 かしわ餅

【「弥栄 かしわ餅」のチラシ】
f0191673_15361417.jpg 5月5日の「こどもの日」は「国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)」に定める祝日であり、昭和23年7月20日の公布、施行とともに制定され、同法第2条において、「こどもの日 五月五日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」と定義されている。

 「弥栄 かしわ餅」は甲府市桜町の澤田屋が製造発売した、1個10円のかしわ餅である。
 チラシに発行年月の記載はないが、澤田屋の電話番号が「4001」の4桁であることから、昭和37年9月(甲府市街の電話番号が複局化)以前に出されたチラシと推測される。

 当時は澤田屋に限らず、子どもの日、十五夜といった季節の節目に、和菓子の製造販売店からこうしたチラシが出され、和菓子の販売促進を図っている。

 

















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by kaz794889 | 2015-05-05 16:11 | 広告・チラシ | Comments(0)
2015年 05月 03日

甲府駅構内売店のパン販売

【甲府駅構内売店のパン販売用の袋】
f0191673_21400797.jpg 昭和初期頃の甲府駅構内の売店におけるパンの販売に使用された紙袋
である。
 この紙袋に販売用のパンを入れ、袋の表面に表示されているとおり、一個10銭で販売していたようである。

 甲府商工会議所が発行した『甲府商工案内 昭和十年版』によれば、当時の甲府市内におけるパン製造業者として、常盤町「芙蓉軒」、桜町「吟月堂」、泉町「万年堂」、佐渡町「木村屋」、上連雀町「鈴木」、太田町「伊勢屋」、橘町「山梨製パン株式会社」の名が記されている。





















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by kaz794889 | 2015-05-03 21:53 | Comments(0)
2015年 05月 02日

【富士登山勝地漫画】 6 「五合目」

【「富士登山勝地漫画」の内 五合目】
f0191673_16380310.jpg  
 昭和16年7月発行の鉄道省山岳部編『日本山岳案内 7 富士山 富士山麓』によれば、五合目について「五合目は何時も登山者が惑つく処であって、又不平を洩らす所である。それは五合目から六合目に至る附近は、茶店が10数軒建っていて、その何れもが五合目という杭を出しているからである。確かに初めの茶店の処で五合目とあるから、此処が五合目かと思って過ぎると、次の小舎に又五合目の札があるという具合に、何れが五合目であるか判定に迷うようなことが多い。」と記している。

 五合目からは登山道も次第に険しくなり、乗馬や駕篭による登山は五合目が終点となっている。

 











【五合目雑貨店】

f0191673_16381637.jpg 五合目は森林帯と火山礫帯の境界付近であることから「天地の境」とも云われている。

 五合目には明治40年に巡査派出所が、大正9年には救護所が開設されている。また、小屋にしても一番設備が整っていたという。














【五合目 中宮稲荷】
f0191673_16380802.jpg 上記の写真の中央奥に位置するのが、中宮稲荷である。
 明治以降に北口本宮冨士浅間神社の境外末社になったという。 
















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by kaz794889 | 2015-05-02 18:01 | 富士登山 勝地漫画 | Comments(0)
2015年 05月 01日

甲府城追手門の遺構

【平成27年4月28日付 山梨日日新聞】
f0191673_11081850.jpg 甲府城追手門(おうてもん)の遺構発見について、山梨日日新聞等による新聞報道があった。 
 山梨県埋蔵文化財センターのHPの掲載内容によると、その概要は次のとおりである。
 甲府市上下水道局により、甲府城跡と山梨県庁間を南北に通る県道における水道管の敷設替え工事が施工されるにあたり、当該工事範囲が甲府城の楽屋曲輪の番所、追手門、堀の存在が想定れる箇所にあたることから、山梨県教育委員会と甲府市教育委員会による合同立会調査において、追手門の遺構である次の石垣等が発見されたという。
 ・県庁東門北側付近から枡形虎口(ますがたこぐち)北側の南石垣の一部
 ・県庁東門南側の追手門付近から礎石が二基
 ・追手門付近から堀に至る間で、敷石と考えられる板石が5点 など。



























【『甲斐史』所載の甲府城略図(部分)】
f0191673_11082306.jpg 追手門は甲府城の南側の門にあたり、現在の山梨県民会館西側のスクランブル交差点付近に内堀、堀には太鼓橋が架かり、その北側に冠木門形式による追手門、その先は枡形となり、左側には渡櫓門があったという。
  














【上記新聞記事掲載図】
f0191673_11083003.jpg 太鼓橋はスクランブル交差点の北側、左図の追手門と示されている位置、現在の県庁東門付近が枡形虎口の渡櫓門があった位置にあたるという。




















【山梨県庁東門付近】
f0191673_11280573.jpg 樹木の先、左側が県庁東門である。
 






















【甲府舞鶴城】
f0191673_11421093.jpg 明治後期の甲府城内堀に架かる太鼓橋である。
 橋を渡った突き当りにある冠木門があり、その先左側の渡櫓門跡の石垣を抜けた、現在の県庁構内にあたる場所に当時は甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)が建てられていた。

 太鼓橋の右側附近が山梨県民会館の建てられている位置である。













【太鼓橋の先にあった冠木門】
f0191673_11450400.jpg 写真は明治39年頃の太鼓橋であり、その先に建つ冠木門は甲府中学校の正門として使用されていた。

 昭和3年の甲府中学校の新築移転(現在の甲府第一高等学校の位置)後、甲府城の内堀が埋め立てられ、石垣が取り壊された敷地が、現在の県庁構内にあたる県庁新築移転地となり、山梨県会議事堂が昭和4年に、山梨県庁新庁舎(現在の県庁別館)が昭和5年に竣工し現在に至っている。

 







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by kaz794889 | 2015-05-01 15:02 | 甲府城 | Comments(0)