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2015年 04月 29日

商店の包装紙21 『岡島百貨店』

【岡島百貨店の包装紙】
f0191673_14122985.jpg 岡島百貨店が甲府市柳町から店舗を新築移転し、昭和13年10月1日に現在の位置(甲府市丸の内1丁目)で開業した当時の包装紙である。

 昭和28年11月に店舗の北側にセルフサービス、スーパーマーケット形式による別館完成に合わせ、ローマ字の「OKAJIMA」を赤色と青色であしらった現在の包装紙が使用されるまで使われていた。(現在も、弔事などの場合に用いられる包装紙には、この包装紙のデザインを基本としたと思われるものが使われている。)

 









【岡島百貨店 包装紙の封緘シール】
f0191673_14123600.jpg 本包装紙が使用されていた頃に用いられていた、戦前期における包装紙の封緘シールである。
 岡島百貨店のみならず、昭和30年代頃までは包装紙の封緘シールが一般的に使用されていた。

 終戦後に使用された岡島百貨店の封緘シールは、戦前期と同様に終戦後における店舗の姿を中心に、「甲府岡島」の文字も左書きとしたデザインによるものである。
 












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by kaz794889 | 2015-04-29 14:47 | 商店の包装紙 | Comments(0)
2015年 04月 26日

戦時期の山梨 16「恩賜財団 軍人援護会山梨県支部」

【「恩賜財団 軍人援護会山梨県支部」発行の御慰問絵葉書】
f0191673_16393962.jpg 昭和13年10月3日に当時の内閣総理大臣近衛文麿が召され、軍人援護に関する勅語が賜われるとともに、軍人援護の貨として御内幣金が下賜された。
 このため、関係大臣である厚生大臣、陸軍大臣及び海軍大臣と慎重協議の上、公爵近衛文麿を設立者とし、恩賜金300万円を以て、「銃後一体、官民協力を以て傷痍軍人、軍人遺家族に対する各種の援護事業を行い、政府の施設と相計って銃後援護の実を挙げ、将兵をして後顧の憂いなからしむことを期す」ため、厚生省による「恩賜財団軍人援護会設立ノ件請議」に基づき、昭和13年10月7日の閣議において設立が決定された組織が「恩賜財団 軍人援護会」である。

 軍人援護会山梨県支部は、軍人援護会支部規程に基づく支部として、その活動を支援補完するため山梨県下における戦没軍人の遺族、傷痍軍人及びその家族遺族並びに現役又は応召中の軍人及びその家族等に対する各種援護事業を行うことを目的として、その事務所を山梨県庁内に置き、山梨県知事を支部長とする他、副支部長、常務、理事、監事、評議員等を役員として組織されていた。















【武運長久祈願(武田神社)】
f0191673_16394401.jpg 盧溝橋事件から4年を迎えた昭和16年9月に、戦線の勇士慰問のため
山梨県内の女学生を動員して人形一万個及び郷土山梨の姿を描いた絵葉書が前線の兵士に向けて送られている。

 前記のタトウによる4枚組の絵葉書の内の1枚が、左記の「武運長久(武田神社)」である。
 なお、他の3枚は「本栖湖の冨士」、「葡萄郷(勝沼附近)」、「山の山梨(鳳凰の地蔵)」と題するものである。
 
 







【山梨常会資料(昭和17年7月21日発行 第32号)】
f0191673_16394961.jpg 山梨常会資料においても、軍人援護会山梨県支部による軍人援護に関する事項について、3ページに渡って記されている。




























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by kaz794889 | 2015-04-26 18:02 | 戦時期の山梨 | Comments(0)
2015年 04月 25日

【富士登山勝地漫画】 5 「三合目」

【「富士登山勝地漫画」の内 三合目】
f0191673_11442632.jpg 二合目から六町二十五間ほど登ると、三合目にあたる「中食堂」と呼ばれる場所となる。
 昭和16年7月発行の鉄道省山岳部編『日本山岳案内 7 富士山 富士山麓』には、「小室浅間神社のある二合目の茶屋を過ぎると、四辺の林相は針葉樹林に変り始め、昼なほ暗い原始林相を見せている。」と記されている。

 中食堂とは、早朝に吉田の町を発った登山者がここで昼食をとることから、中食堂と称されるようになったという。
 
 















【(吉田口登山実況)三合目】
f0191673_11443325.jpg 大正末期から昭和初期頃の三合目中食堂の状況である。
 小屋に挟まれた中央が登山道であり、右側が谷側、左側が山側である。また、正面の建造物は、三神(道了、秋葉、飯綱)を祀る三社宮である。


















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by kaz794889 | 2015-04-25 12:29 | 富士登山 勝地漫画 | Comments(0)
2015年 04月 19日

昭和30年代の甲府市観光略図

【甲府市略図】
f0191673_12335742.jpg 昭和30年代前期に、「国鉄推薦旅館甲府地区組合」が発行した甲府温泉郷案内チラシに記載された甲府の観光市街略図である。

 「山都甲府は今や湯けむり匂う温泉郷である」の標題を掲げ、甲府温泉郷の案内が記しており、石和温泉の形成以前における甲府温泉を広くアピールするチラシの内容となっている。

 甲府の名所として「舞鶴公園、酒折の宮、武田神社、信玄墓所、要害山、法泉寺、愛宕山、千代田湖、動物園、善光寺、甲府葡萄郷、昇仙峡」を挙げており、歓楽郷として銀座仲町、特殊歓楽郷として穴切町、その他に映画館、デパート、ダンスホールなども記されている。



















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by kaz794889 | 2015-04-19 18:34 | 観光案内 | Comments(0)
2015年 04月 18日

日蓮上人草庵跡

【日蓮上人草庵跡】
f0191673_15275231.jpg 日蓮宗総本山久遠寺の祖廟域(南巨摩郡身延町身延西谷3629)に残る日蓮上人草庵跡は、文永11年の身延入山から弘安5年の秋まで、日蓮が隠棲した草庵の跡地であり、身延山久遠寺発祥の地である。
 
 その後、草庵跡のある西谷の地が手狭になると、文明7年に諸堂宇は現在の久遠寺本堂のある地域に移転し、現在は同地域が久遠寺の中心となっている。

 草庵跡は昭和2年3月に「日蓮草庵跡」ととして山梨県の史跡に仮指定された後、昭和34年2月9日には「日蓮上人草庵跡」として山梨県指定の史跡に指定されている。
 
 写真に写る「日蓮聖人草庵之阯 山梨県」の標石は、山梨県史跡に仮指定された、昭和2年3月8日に山梨県が建立した標石である。
 






【日蓮上人御草庵旧跡と同御廟】
f0191673_16041371.jpg 草庵跡が現在の形に改修される以前、大正後期の草庵跡である。
 現在も残る、草庵跡を囲む十間四面の玉垣は、明治25年に旧姫路藩主酒井家の夫人が寄進したものである。

 また、写真に写る御廟は、昭和17年に現在の祖廟塔及び祖廟拝殿に改築されている。














【草庵跡の内部】
f0191673_15283258.jpg 玉垣内に建立されていた石造物などは撤去され、現在は芝地となっている。
 写真の後方に写る建造物は、祖廟の拝殿である。





















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by kaz794889 | 2015-04-18 17:16 | 山梨県指定仮史跡 | Comments(0)
2015年 04月 11日

武田二十四将騎馬行列

【甲府駅頭における騎馬行列】
f0191673_17041504.jpg 本年も4月3日~5日に開催された信玄公祭り甲州軍団出陣は、昭和45年から始まっている。
 第一回にあたるこの年の甲州軍団出陣は4月11日の土曜日、当日は雨模様の中を約1300人により構成された軍勢により、平和通りを中心に約2時間の武者行列が繰り広げられ、平和通りは6万人の見物客(山梨県警の調べ)であったという。

 写真の騎馬行列は、昭和45年に信玄公祭り甲州軍団出陣が開催される前年、昭和44年に行われた武田二十四将の騎馬行列である。
 この騎馬行列は、武田神社の例祭日である4月12日(祭神である武田信玄の命日)に現在も行われている。

 騎馬行列の背景に写る武田信玄公像は、昭和44年4月12日に武田信玄公奉賛会により4年の歳月をかけて建立序幕された銅像である。





【甲府市役所前における武者行列】
f0191673_17042405.jpg 武田神社による例祭日の騎馬行列は、当時、武田神社を出発し甲府駅頭を経て御旅所にあたる甲府市太田町の遊亀公園に至るコースを進んでいたという。
 写真は、平和通り沿いの旧庁舎時代の甲府市役所前の状況である。
 背景の建物は山梨県庁本館であり、現在の県庁防災新館の位置にあたる、その手前の建物は当時の中込百貨店である。











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by kaz794889 | 2015-04-11 18:16 | Comments(0)
2015年 04月 05日

大正大礼・地方賜饗鐉式

【地方饗鐉御召状】
f0191673_11354984.jpg  大正4年11月10日、京都御所紫宸殿において大正天皇の即位の大礼が挙行された。
 この御大礼を祝し各地方においても地方賜饗鐉式が行われており、山梨県においても11月16日に甲府市錦町の山梨県会議事堂(現在の甲府市役所北側にあった当時の議事堂)において行われている。

























【奉祝 御大礼記念 甲府市常盤町通り】
f0191673_11355330.jpg 大正大礼を奉祝し甲府市街の各所において提灯飾りや道路を跨ぐアーチ門が設けられるなど、大礼前後の市街は奉祝の装飾に満ちていた。

 写真は錦町交叉点から見た、100年前の常盤町通りの東側方向である。
 左の建物は山梨農工銀行(現在のみずほ銀行甲府支店)、常盤通りの正面は若尾銀行(現在のNTTの位置)である。












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by kaz794889 | 2015-04-05 12:22 | Comments(0)
2015年 04月 04日

柳町の勧工場と祖師堂

【柳小路飲食店街の入口】

f0191673_15071622.jpg 明治36年8月に、甲府市柳町の牛山儀助、浅川友造、八日町の山田忠蔵の3名が中心となり、市街中央部に勧工場(かんこうば)の設置が計画された。

 勧工場は、各種業者が連合し日用商品を主に持ち寄り、これを一か所に陳列して販売する、平面式デパートといった体による販売組織である。

 甲府勧工場の設置計画については有名商店多数の賛成加盟を得て、その設置場所に、当時甲府市街の商店街中心地となろうとしていた甲府市柳町2丁目を選び、敷地面積約150坪、20数業者による勧工場を建設し、明治36年11月6日に「博品館」と命名された勧工場が開業している。

 座売りが一般的な販売方法であった時代に、商品が一面に陳列され自由に見たり触ったりできるよう、様々な種類の商品を場内に同寺に並べて販売させる陳列販売方式による博品館は、開業後数年間は相当の人気を呼び甲府市の一名物となっていた。

 甲府市中央4丁目の遊亀通りと城東通りが交わる南側、柳小路飲食店街の入口付近(写真の中央空き地の位置)に甲府勧工場である「博品館」が営業していた。



【昭和16年の市街図】
f0191673_15074140.jpg 博品館の人気は開業後10年程度であった。
 このため、営業不振の打開策として、大正4年には博品館の正面突き当りに日蓮宗祖師堂を建立し、白木造りの堂に太鼓と赤い大提灯を備え、名称も「天晴館」と改め、祖師堂横から桜町に抜ける通路(現在の柳小路飲食店街の北側入口)も、この時に設置されている。


 その後、天晴館の営業
不振が続き大正末期には館内の一部を残して改装し、ローラースケートやピンポンなどの遊技場に転向してその営業を続けていたが、昭和3312日の午後3時頃、館内で営業していた藤原石油乳剤工場(ガソリンを主剤にした殺虫剤製造業者)から出火、その後、ガソリン引火による大爆発が発生し、同館は全館が焼失するとともに、近隣においては全焼7戸、半焼4戸の被害が発生するなどし、同館はついに復旧されることなく廃業している。


















【柳小路飲食店街】
f0191673_15072699.jpg かつて博品館が開業していた、現在の柳小路飲食店街。
 写真中央突き当りに後述の石祠が置かれている。




















【柳小路飲食店街の石祠】
f0191673_15105275.jpg 祖師堂跡に置かれている石祠。
 柳小路飲食店街の守り神、火伏の神となっている。





















【身延山別院】
f0191673_15073812.jpg 祖師堂はその後、中央2丁目の城東通り(旧甲州街道)沿いにおいて、身延山別院となっている。

























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by kaz794889 | 2015-04-04 16:51 | Comments(0)