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2015年 02月 28日

旧山梨県庁舎と前庭

【旧山梨県庁舎(現在の県庁別館)】
f0191673_14374662.jpg 昭和5年に竣工した旧山梨県庁舎(現在の県庁別館)の耐震改修工事がほぼ終了したとの報道があった。
 本年4月の[山梨近代人物館」開館に合わせ、同館として使用公開される庁舎2階の旧知事室、3階の旧正庁などは、調度品も含め竣工当時の姿に復原改修されるという。

 写真は昭和30年代初め頃の旧山梨県庁舎である。
 庁舎の右端2階が旧知事室、庁舎正面3階が旧正庁である。
 元山梨県庁職員による、『回想「県庁歳時記」』吉田三郎著(昭和51年刊)には、正庁について次のよう記している。
 「正庁とは何か、知っている者は今県庁内でも数少ないと思う。旧館の三階にある農地課が現在使用している部屋がそれである。知事が司宰するすべての儀式、訓示、それに貴賓の接遇などに使用し、平素は開かずの扉を持つ県庁内で最も神聖な所だ。だから部屋の構造や扉なども、他の事務室などとは趣を異にしている。確かシャンデリア風の照明灯を配し、周囲の壁なども音響効果を考えて作られていたように覚えている。四大節には、会計課の金庫から恭しく御真影を頭上に捧げて運び、中央北側の一段と高い処に安置する。知事は胸部を金モールに飾られた大礼服に羽をあしらったナポレオン帽、ほんとうに偉い人に見えた。」



【昭和10年代の旧山梨県庁舎】
f0191673_14375344.jpg 県庁別館は竣工以来、その外観はほぼ旧観を保っているが、別館庁舎前に前庭が建設されたため、庁舎前の空間は現在とその趣が異なっている。
 前庭は昭和39年4月に、昭和29年から10数年の歳月をかけた野呂川流域総合開発事業を記念し、野呂川渓谷をイメージした「白鳳の庭」として建設されたものであり、石は全て白鳳渓谷の広河原から運搬し、樹木は県内外から移植したものだという。

 










 

【旧山梨県庁舎と前庭】
f0191673_14375906.jpg 写真左側の植栽が、県庁別館前の前庭である。
 今後の県庁整備の中で、前庭は撤去され広場化が図られるようである。

























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by kaz794889 | 2015-02-28 15:54 | Comments(0)
2015年 02月 21日

明治期における種痘と種痘済証

【明治14年の種痘済証】
f0191673_14483689.jpg 山梨県内における種痘は幕末期、巨摩郡藤田村の広瀬家、八代郡市川大門村の村松家、巨摩郡古市場村の大久保家やこれらの医家を師と仰ぐ種痘医によって受け継がれ明治期に至っている。 

 明治4年2月に甲府県種痘所による種痘定則が定められるとともに、種痘局が甲府共立病院(山梨県病院の前身)に置かれ、3月には種痘局の出張所が山梨郡に3か所、八代郡に4か所、巨摩郡に8か所置かれ、各出張所には種痘局が種痘許状を与えた医師2人、甲府県庁が命じた世話役2人が配され、10月には都留郡にも8か所の出張所が置かれることとなった。

 明治6年10月7日には、種痘定日の設定、村の世話掛(戸長又は伍長)による村内への種痘に関する意向の徹底など、種痘規則等に基づく従来の種痘方法が大幅に改正され、明治7年には種痘規則が布達され、種痘医は管内種痘出張所の医師のほか、願い出による検査の上、一般医師にも免許状が下附されるようになるなど、その後も種痘に関する定めは種々改正されている。

 種痘済証の種痘医「依田正俊」は後に依田多仲と号する巨摩郡切石村の医師であり、安政3年に寺子屋である杏林堂を切石村に開き、明治5年当時、22名の生徒を擁していた。また、明治5年に医務取締役、同8年に種痘医を命ぜられ、明治17年3月に没している。











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by kaz794889 | 2015-02-21 17:01 | Comments(0)
2015年 02月 14日

明治45年東宮行啓を歩く 4 【蹴裂神社境内御野立所】

【上野村 蹴裂神社境内 御昼餐所】
f0191673_11120861.jpg 明治45年東宮行啓の主たる目的は、近衛旅団幹部演習の御見学であった。このため、山梨県内の三方面において演習を御覧になられている。

 明治45年3月29日は、その内の一つである西八代郡上野村(現在の市川三郷町)方面に行啓されるため、8:45に御旅館である機山館を御出門、中巨摩郡西條村(現在の昭和町)押原まで腕車に召させられ、同所の仮御野立所で御小憩の後、御乗馬により蹴裂神社境内の御野立所に成らせられている。
 当日の天候は雨であったが、終日演習を御覧になられ15:00頃に還啓され17:10に機山館に還御されている。

 写真は御野立所である蹴裂神社であり、御昼餐所にも充てられた。






【蹴裂神社】
f0191673_11123026.jpg 蹴裂神社は市川三郷町の歌舞伎文化公園に接する、武田信玄の弟、一条右衛門大夫信龍の城地であった一条氏塁跡に鎮座し、境内は市川三郷町の史跡に指定(昭和51年6月19日)されている。



















【蹴裂神社境内御座所】
f0191673_11121425.jpg 御昼餐所としての御座所は、蹴裂神社の神楽殿があてさせられ、紅白幔幕を吊り廻し、内部柱と天井は紅白金巾を以て蔽い清廉の意を籠めたといわれる。


















【東宮駐駕記念碑】
f0191673_11124058.jpg 蹴裂神社の地元である上野村の村内有志者が相図り、大正4年11月21日に序幕式が行われた、同神社境内に建立された「東宮駐駕記念碑」である。
 




















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by kaz794889 | 2015-02-14 12:29 | 明治45年東宮行啓を歩く | Comments(0)
2015年 02月 11日

甲府ワンドラー

【甲府ワンドラー発会式を伝える新聞記事】
f0191673_10521573.jpg 本年2月5日の山梨日日新聞に「甲府ワンドラー解散 会員高齢化 80年の歴史の幕」と題する新聞報道があった。報道によれば「登山ハイキングクラブの甲府ワンドラーは昨年末、80年にわたる活動を終了し、解散した。会員の高齢化などが理由で、関係者からは惜しむ声が聞かれた。」とのことである。

 甲府ワンドラーは野口二郎、高野孫左衛門、大沢伊三郎の主唱により「野を歩め、山に行け、光を浴びよ」を綱領として発足したハイキンググループであり、昭和9年7月1日に発会式が開かれ、開式後第一回の徒歩旅行先である、北巨摩郡登美村の登美台地(現在の甲斐市)に向けて出発している。

 当時の山梨日日新聞記事によると、制服制帽姿の会員40余名が集まり、昭和9年7月1日7:30に甲府城の謝恩塔下にあった池畔で発会式が行われている。
 開会式は、甲府ワンドラーの提唱者である野口二郎(当時の山梨日日新聞社社長)の開会の辞、その後、理事選挙が行われ野口二郎が理事長となっている。
 開式後、会員は四班に分かれて山日ペナントを先頭に女性班から登美台地に向けて出発。白亜館農園事務所での昼食後、登美村に因む郷土史講演会が行われている。14:00には帰路に向かい登美村、敷島村を経て荒川伝いに県営球場(現在の飯田球場)に出て17:30に散会している。

 また、甲府ワンドラーの発足は、その後、山梨日日新聞と甲府ワンドラーとの共催で昭和11年8月6日に山梨、神奈川の県境である境川畔から第一歩を踏み出した、第一回甲州夏草道中につながっている。
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【謝恩塔下にあった噴水池】
f0191673_12222776.jpg 甲府ワンドラーの発会式が行われた、昭和20年代中期の謝恩塔下の池畔である。
 甲府城整備により、現在は芝生広場的な状態となっているが、謝恩塔下には、かつて噴水池が設けられていた。
 池の中央に建つ石造物の上には、かつて鶴の像があり、鶴の口部分が噴水の噴出口となっていたが、戦時中の金属の供出で失われている。







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by kaz794889 | 2015-02-11 12:19 | Comments(1)
2015年 02月 08日

十日市

【南アルプス市十日市場の安養寺本堂】
f0191673_12294787.jpg 
 毎年2月10日と11日の2日間、南アルプス市の十日市場地区で開催される「十日市」は、甲府盆地に春を告げる風物詩として広く知られている。
 
 十日市場地区の真言宗安養寺が所蔵する「木造寄木地蔵菩薩立像」(南アルプス市指定文化財・昭和51年1月1日指定)は、その昔、霊験あらたかな仏像といわれ、その開帳日には甲斐国中の老若男女が集まったという。このため、いつしか物々交換の市が起こったことが、いわゆる十日市の始まりとされ、現在は農用具中心の大市となっている。












【安養寺庫裏】
f0191673_12294010.jpg 安養寺の本堂東側に建つ庫裏である。
 
























【県道からの安養寺入口】
f0191673_12293127.jpg 県道沿いの安養寺入口である。
 「十日市跡」は、南アルプス市指定の史跡として昭和46年1月28日に指定されている。




















【昭和30年代前半の同所】
f0191673_12291222.jpg 上記の安養寺入口と同位置の昭和30年代前半頃の写真である。
 県道はまだ未舗装の状態であり、入口左側には「史跡 十日市 山梨県」の文字が記された木柱が建てられている。
 



























【十日市場地区】
f0191673_12292365.jpg 十日市祭典における露店出店の中心地となる、県道沿いの十日市場地区である。
 本年1月20日の新聞報道によると、全盛時の半分程度ではあるが、今年の十日市に出店する露店は188店(県外127店、山梨県内61店)とのことである。
 また、露店とは別に商工会関係者などによる模擬店が82店でるという。
















【昭和30年代前半の同所】
f0191673_12291698.jpg 上記の位置を写した昭和30年代前半の写真である。
 左側手前に写る土蔵は、外壁の改修はされているものの現在も同じ位置に残っている。また、その先の土蔵などの建物は既に取り壊され、その位置は山梨ダイハツの営業所(他の営業所と統合され、旧営業所の建物が残っている。)となっている。























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by kaz794889 | 2015-02-08 15:37 | Comments(0)
2015年 02月 07日

中央本線 日野春駅

【日野春駅本屋】
f0191673_14362334.jpg JR中央本線の日野春駅は、明治37年12月21日に韮崎駅から富士見駅までの中央本線延伸に際し、北巨摩郡日野春村富岡(現在の北杜市長坂町富岡)に置かれた駅である。

 山梨県内における中央本線の駅の多くが改築されている中、現在も往事の姿を留めている駅舎の一つである。
 
















【日野春駅本屋の東側面】
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【昭和10年8月11日の日野春駅スタンプ】
f0191673_14395228.jpg 駅周辺から望むことができる南アルプスの遠景と、実相寺の「山高の神代櫻」をデザインした昭和10年の日野春駅のスタンプである。

 昭和9年7月発行の『線別旅行案内 中央線』には、日野春駅付近の名所として「山高の神代櫻 駅の西南3粁(㎞)、新富村実相寺境内にあり、幹の基部から多数の支根を出したものが癒着して複軸を形成して居る。(略)樹齢千八百年に及び日本最古の桜樹といはれてゐる。指定の天然記念物である。」と記されている。




















【山高の神代櫻】
f0191673_14340040.jpg 山高の神代櫻は、北杜市武川町山高の日蓮宗実相寺にあり、日本武尊が東国に遠征した時、この地を通りかかった記念にお手植えされた桜と伝えられる、著しい桜の古木であり、大正11年10月12日に国の天然記念物に指定されている。

 写真は昭和初期頃の神代櫻である。














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by kaz794889 | 2015-02-07 23:20 | 鉄道 | Comments(0)