峡陽文庫

kaz794889.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

<   2014年 09月 ( 9 )   > この月の画像一覧


2014年 09月 28日

旧富士川小学校の校門

【旧富士川小学校の校門】
f0191673_17582213.jpg 甲府市立富士川小学校は平成22年3月末に廃校、琢美小学校と併合され同年4月1日から甲府市立善誘館小学校となっている。
 富士川小学校の跡地には甲府市の地域活動拠点施設として、平成25年4月に富士川悠遊館が設置され、本年1月には甲府市立中央保育所が新築移転している。

 富士川小学校時代の校門は旧校舎の取り壊しと、その後に建てられる諸施設の建設のため、一旦取り除かれた後、校門時代の位置と離れた位置に新たな施設の正門両脇にメモリアルな意味合いの門柱として置かれている。












【昭和37年頃の校門】
f0191673_17565820.jpg 昭和37年頃の富士川小学校正門と旧校舎である。
 同校の敷地はかつて甲府代官所の置かれた場所であり、維新後は山梨県有地となっていたが、その後払い下げを受け富士川小学校が開校している。
 富士川小学校は甲府市街地の学校の中でも甲府空襲による校舎の罹災を免れており、写真に写る旧校舎は戦前期に建設された建物である。









にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2014-09-28 19:39 | Comments(0)
2014年 09月 27日

村岡花子の「昇仙峡と葡萄」

【『甲斐路の素描』】
f0191673_10524024.jpg 昭和31年5月に山梨県観光連盟が発行した『甲斐路の素描』は、山梨県に縁故を持つ中央の地名人から、甲斐路を訪れた際の有りのままの印象を書いてもらい、それを綴った書物である。

 村岡花子は「昇仙峡と葡萄」と題した小文を寄せており、その最後に「昇仙峡と甲州の葡萄には私の青春への哀歓がこもっている。」と記している 

 
 NHKの連続テレビ小説『花子とアン』も本日が最終回である、いわゆる「朝の連ドラ」放映をきっかけとし、花子とアンとその関連事項を観光資源とする、今後の山梨県内の観光に期待していきたい。




















【甲府英和女学校】
f0191673_10524771.jpg 「甲府に山梨栄和学院という学校がある。三十年以上にもなろうという昔、私があの学校へ若い英語の先生として赴任した頃は、校名も山梨英和女学校であった。」、「女教師たちが一泊旅行した時で、西洋人の女教師も二人加わっていた。その時の人たちも西洋人は既に本国のカナダへ帰っており、日本人たちはみんなそれぞれに一家の主婦となっている。」

 甲府で生まれ育ち、五歳の時に一家で上京した村岡花子は、東洋英和女学校高等科を卒業後、大正3年4月から同8年3月まで、東洋英和女学校と同じカナダのメソジスト教会婦人伝道界会の協力を得て、甲府教会の信者たちにより設立されたミッションスクールである、山梨英和女学校の教師を務めている。





【御嶽昇仙峡 覚円峰】
f0191673_10522865.jpg 「昇仙峡へは、一昨年の五月だったが、久しぶりで行って、昔と様子の変わったのに驚いた。」、「あの学校にいた頃、昇仙峡へ遠足に行ったのをよく憶えており、その記憶をたどって、この春行ってみたので、あの一帯がすっかり便利になっているのに驚いたわけである。」

 御嶽昇仙峡は昭和28年3月31日に国の特別名勝に指定され、同年の毎日新聞社主催全国名勝地百選で渓谷の部第一位に入選するなど、言わずと知れた景勝地である。
 














【祝村葡萄園】
f0191673_11075488.jpg 「女教師たちの一人が勝沼の葡萄園の娘さんであったので、私たちは秋になると、この人の家に招かれて葡萄のごちそうになった。」、「私は勝沼の葡萄園の娘であるその友だちから、あんまり葡萄栽培にからまる苦労を聞いたためか、甲州葡萄の美しい一房を手にとるたびに「ああ、よくもこんなに房房と育ってくれた」と賞めたくなるような気持がする。」














にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2014-09-27 12:13 | 花子とアンとその時代 | Comments(0)
2014年 09月 23日

甲府松竹銀峰座と甲府日活

【甲府松竹と甲府日活のあった位置】
f0191673_14104965.jpg 常盤通りに面する現在の岡島百貨店の店舗は、昭和13年10月に完成した本館(山梨中央銀行本店側の建物)と、その東側の隣接地に建設され昭和48年11月にオープンした新館により構成されている。
 この東側隣接地(新館の建つ位置)には、銀峰映画株式会社が経営していた甲府松竹、甲府日活の二つの映画劇場があった。

















【昭和41年の甲府市街地図】
f0191673_14111257.jpg 昭和41年の甲府市街地図によると、左記の写真のとおり、岡島本館東側に日活、松竹の順に建てられている。
 昭和41年6月に前述の銀峰映画株式会社から岡島が経営を引き継ぎ、しばらくの間は映画館として営業を続けていたが、甲府日活は昭和42年6月に映画館の建物を取り壊し平面80台収容の岡島の客用駐車場となった。
 また、甲府松竹は昭和47年7月まで上映を続け、その後は甲府日活跡の敷地と併せ、岡島新館の敷地となっている。






















【招待入場券】
f0191673_14105572.jpg 昭和41年当時の、甲府松竹と甲府日活の招待用映画入場券である。




























【松竹銀峰座発行の「銀峰ウィークリー」】
f0191673_14110029.jpg 甲府松竹銀峰座は昭和21年5月に開館している。
 写真の「銀峰ウイークリー」は昭和21年11月26日発行の№2である。





















【甲府日活発行のチラシ】
f0191673_14110513.jpg
 甲府日活は昭和22年6月に開館している。





















にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2014-09-23 15:46 | 劇場・映画館 | Comments(1)
2014年 09月 21日

金桜神社門前の旅館 2 「大黒屋」

【昭和2年頃の大黒屋】
f0191673_16250101.jpg 金櫻神社門前で営業していた旅館の一つが大黒屋である。
 大黒屋の当主は元神官を務め、専ら講中の宿坊にあてていたが、後に宿屋業の営業を願い出て旅館に変更している。



















【現在の大黒屋】
f0191673_16243515.jpg 既に旅館は廃業し改修されているが、大黒屋時代の建物が現在も残されている。






















【現在の大黒屋】
f0191673_16244854.jpg























にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。

by kaz794889 | 2014-09-21 16:46 | 御嶽昇仙峡 | Comments(0)
2014年 09月 20日

酒折宮 東側参道

【酒折宮 東側参道】
f0191673_03441823.jpg 甲府市酒折三丁目に鎮座する酒折宮は日本武尊を祭神として祀る旧村社であり、尊が「新治筑波」の連歌を詠じられた連歌発祥の地として知られている。

 酒折宮に向かう参道は、旧甲州街道から中央本線の踏切を越え北側に向かう正面参道と、山梨学院高校方面からの東側参道がある。

 
  















【(甲斐名勝)酒折の宮】
f0191673_03443558.jpg 明治期末から大正初期頃の東側参道である。
 鳥居の右側に写る社殿は酒折宮の旧拝殿である。この拝殿は大正6年2月の火災により他の社殿とともに焼失しており、現在の酒折宮の社殿や参道等は大正11年4月以降に順次整備されてきたものである。















にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。


by kaz794889 | 2014-09-20 04:26 | 神社 | Comments(0)
2014年 09月 15日

昭和30年代の甲府市街

【甲府城から見た昭和30年代の甲府市街】
f0191673_13173806.jpg
 甲府城から眺めた南方方向の甲府市街地である。
 この位置からの甲府市街は既に明治期から数多くの写真が残されている。
 平成以降、甲府城跡の整備が進み、遊亀橋を渡った城内広場も現在は整備され、写真の面影も過去の光景となっている。


















【甲府市街の建物】
f0191673_13174196.jpg 大正7年8月15日の夜、米価高騰抗議甲府市民大会の群集により若尾本家の建物が焼き討ちされ、その後建設されたのが若尾ビルである。
 戦災にも焼け残り、終戦後はGHQに接収され、接収解除後は甲府電報局の庁舎となっている。また、建物の左側に写る土蔵は若尾本家の土蔵である。

 進徳幼稚園は創立時からこの位置にあり、園舎は戦災にも焼け残ったが、写真に写る園舎は立て替えられたものであり、その後、同幼稚園が移転した後は、建物をそのまま利用した甲府市立丸の内保育所となっている。現在この位置には甲府市社会教育センターが建てられている。












にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。


by kaz794889 | 2014-09-15 13:49 | Comments(0)
2014年 09月 14日

戦時期の山梨 15「湯田国民学校の防空監視哨」


【昭和17年の湯田国民学校】
f0191673_21554130.jpg 昭和16年12月の「防空監視隊令(昭和16年勅令第1136号)」に基づき、昭和17年に米軍空襲に備え各府県ごとに数隊の防空監視隊本部とそれに所属する防空監視哨が設置されることとなった。
 山梨県内においても甲府、大月、南部に防空監視隊本部が、また各本部の配下に10数か所前後後の監視哨が置かれ、哨長一名と監視隊員一名により三交代による監視が行われ、昼間は双眼鏡により敵機の来襲を監視し、その情報を東部軍管区に通報、東部軍管区はその情報を基に警報を発令するとともに、上部組織や機関に連絡 を行っていた。
 
 写真は昭和17年の甲府市内、湯田国民学校である。
 写真の右端、校舎の屋根上に設置された櫓が監視哨である。写真の写された三年後、昭和20年7月6日の甲府空襲で湯田国民学校は全焼している。





にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。


by kaz794889 | 2014-09-14 22:36 | 戦時期の山梨 | Comments(0)
2014年 09月 07日

村松新道と村松甚蔵

【村松新道の北側入路】

f0191673_12311640.jpg 写真の正面に写る「冨士彦」の左側が村松新道の西側入路である。
 この入路の左側一画と現在の村松新道を合わせた敷地において、村松甚蔵の一族である村松正三が上野屋の屋号で醤油、味噌、酢の醸造業を行っていたが、本業が芳しくなくなったためか、敷地内の一画に道路を通し、両側に家作を建て貸店舗を始めている。 
 敷地内の道路は昭和3年3月3日に開通し、その名称は公募により「村松新道」になったという。
 開通後は飲食店やカフェが進出し甲府市街の繁華街の一つであったが、戦災により村松新道の両側建物は全て焼失している。
 焼失後の復興で繁華街の面影は消えている。 











【上甚 上野屋の跡】
f0191673_12312856.jpg 柳町の通りに面した甲府市柳町28番地(現在:中央4-4)で上野屋の屋号で砂糖問屋を営んでいた「上甚」の跡である。
 村松甚蔵(育三)は先代甚蔵の四男として明治2年12月に生まれたが、明治27年に実兄の逝去により家督を継ぎ三代目甚蔵を襲名している。
 明治43年には収集した和漢書約四万冊による「南塘文庫」を設立し、大正14年には本格的な図書館である「汲古館」を桜町に開設している。また、大正6年4月には、11,622円を山梨県に指定寄附し、甲府城跡を陸軍省から山梨県に払い下げさせている。
 なお、大正8年には県会議員、昭和2年には衆議院議員を務めている。











【村松家の墓所】
f0191673_12313930.jpg 村松家の墓所である。























【村松甚蔵の墓】
f0191673_12314842.jpg 村松甚蔵は昭和20年2月9日に76歳で逝去している。























にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。


by kaz794889 | 2014-09-07 14:50 | Comments(0)
2014年 09月 06日

山梨養蚕教習所

【山梨養蚕教習所創立趣意書】
f0191673_23242367.jpg 明治28年4月、山梨養蚕教習所が東八代郡清野村(現在:笛吹市一宮町坪井)に設置された。
 この教習所は八田達也の主唱により、当時の東八代郡管内の主たる蚕種製造者から組織された共進組という団体が創立したものであり、短期間に養蚕に関する技術、簡易な学理を伝習することを目的とし、当時は伝習生13名を収容していた。

写真は明治28年2月に作成された山梨養蚕教習所の創立趣意書であり、次ページには「山梨養蚕教習所規則」があり、教習所の目的として「養蚕の改良発達を図り全国に普及するための生徒を養成するを以て目的とする」旨及び毎年3月1日開場、7月30日閉場し、満5か月を以て一学期とすることなどが記載されている。

 翌年の明治29年3月19日に養蚕教習所は「山梨蚕業学校」と改称し、東八代郡立の学校となっている。
 その後、山梨県立蚕業学校、山梨県立農蚕学校、山梨県立石和高等学校と名称が変わり、現在は石和高校と山梨県立園芸高等学校を引き継いだ山梨県立笛吹高校が山梨養蚕教習所を引き継いでいる。

 
   
  












にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ ブログをご覧いただきありがとうございます。峡陽文庫のブログ運営の励みとなります、ご覧の都度1日一回、左の『「山梨情報』をクリックいただけますようお願いいたします。


by kaz794889 | 2014-09-06 23:54 | 学校 | Comments(1)