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2014年 07月 27日

笹子村 笹子駅頭の忠魂碑

【笹子駅頭の忠魂碑】
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  中央本線笹子駅の駅頭に立つ忠魂碑である。
  忠魂碑の揮毫は元帥陸軍大将子爵川村景明によるものであり、忠魂碑背面には「大正十五年建設 帝国在郷軍人会 笹子村分会」と刻まれている。
  笹子駅頭には甲府城内から移設された笹子隧道記念碑など、いくつかの石碑が建てられている。
  笹子駅のスイッチバックが廃止され現在の位置に駅本屋が新築される以前、駅本屋は現在地よりも東側に置かれており、かつては駅に隣接した位置に笹子村役場も置かれていた。




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by kaz794889 | 2014-07-27 21:10 | 忠魂碑 | Comments(0)
2014年 07月 20日

長田円右衛門の墓

【山梨日日新聞 (昭和28年1月12日付紙面)】
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  長田円右衛門(寛政7年1月9日~安政3年6月9日)は巨摩郡猪狩村(現在:甲府市猪狩町)の農家に生まれている。
  当時の猪狩村の人々は炭や薪を甲府の街で売ることを生業としていたが、当時の道路状況から甲府に出るには荒川沿いを避けて遠回りする必要があったため、甲府への片道に一日を費やす状況であった。
  こうした状況を見かねた円右衛門は荒川沿いの開道を企て、甲府への新道を開く難工事を始め、天保14年に通算9年を要した新道が完成している。
円右衛門により完成したこの新道が、天下の景勝昇仙峡を世に出した御岳新道である。
なお、現在の道筋である荒川左岸のみの一本道や仙娥滝の正面に出る昇仙橋が完成したのは、後年、明治の大改修時である。
  
 
昭和28年は長田円右衛門の没後98年の年にあたることから、2年後の没後100年を控え、御嶽新道に残る嘉永4年6月建立の「長田円右衛門碑」にかわる記念物の建立を計画している旨を伝える新聞記事である。
  
  
  昭和28年は、6月9日に「御嶽昇仙峡まつり 長田円右衛門墓前祭」が開催、3月31日には御嶽昇仙峡が国の特別名勝に指定されるなど、観光気運高まりの年であった。



【長田円右衛門の墓】
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  新道完成後も円右衛門は、腰越地点に「接待亭」を造り、わらじを売り、湯茶を接待しながら天候の悪い日には通行人の休み所としたため、村人から「お助け小屋」と呼ばれたほど誠実を貫き、信用を積み重ねていた。写真は猪狩町の共同墓地内にある長田円右衛門の墓所である。



【長田円右衛門墓所の標石】
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  長田円右衛門の墓は大正13年3月に山梨県の史跡として仮指定されており、墓石の傍らには「御嶽新道開発者 長田円右衛門之墓 山梨県」と正面に刻まれた同時期建立の標石が残されている。
  また、墓前の灯篭二基は昭和2年に成島治平(甲府市長)、名取忠愛(元甲府市長)らが有志と円右衛門顕彰の運動を起こし同年6月9日に献灯供養を行ったものである。



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by kaz794889 | 2014-07-20 13:16 | 御嶽新道 | Comments(0)
2014年 07月 19日

甲州紀行 16「東郡の元医院」

【東郡の元医院 Ⅰ】
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  昭和13年、昭和19年に軍医として応召され昭和21年8月に復員した、峡北地方出身の医師が昭和25年に新築開業した元医院の建物である。




【東郡の元医院 Ⅱ】
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by kaz794889 | 2014-07-19 16:11 | 甲州紀行 | Comments(0)
2014年 07月 16日

宮本村 金桜神社の忠魂碑

【金桜神社の忠魂碑】
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  甲府市御岳町の金桜神社石段下の忠魂碑である。
  忠魂碑の文字は陸軍大将一戸兵衛の揮毫によるものであり、碑の背面には「御大典記念 昭和三年十一月 帝国在郷軍人会 宮本村分会建之」と刻まれている。




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by kaz794889 | 2014-07-16 09:56 | 忠魂碑 | Comments(0)
2014年 07月 13日

旧御嶽郵便局

【旧御嶽郵便局庁舎】
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 御嶽郵便局は中巨摩郡宮本村(現在:甲府市)に明治13年6月1日に開局(初代局長・相原有譽)している。
 昭和29年4月1日発行の「甲府郵便局ニュース」(第26号)によると「近年はここから金峰山、長野県に通ずるハイキングコースの要地として、又昇仙峡の一環をなす観光地として来客も多く利用者も増し、曲も発展の一途を辿っている。」「観光シーズンに入れば、御嶽の本社といわれる金桜神社の参拝客も増加し、何々講社、学生達の団体も多い日は二百名を超え、局の窓口も賑い、風景入スタンプでてんてこ舞いする日が多くなる。金峰山の登山客などが帰途、電報・電話を利用して自宅と連絡することも多くなって、局は忙しくなるばうりだ。」と当時の繁忙状況を記している。
  また、御嶽郵便局は昇仙峡のある能泉村(のうせんむら)の奥、宮本村に位置する集配局であったことから、同局にとって最も苦労が多いのは集配業務であった。
  前述の「甲府郵便局ニュース」によると「宮本村を中心に能泉、清川村の450戸を4名で配達しているが、いずれも山越え、尾根伝いで東方の塔ノ沢地区へは7kmの山道である。」「能三番で有名な上黒平、下黒平へは2里の上り坂で、積雪期はもちろんのこと、雪解けとか降雨の際などには崖崩れの危険を冒して配達するので、その苦労は大変なものである。」と局の区内状況を伝えている。



【旧御嶽郵便局庁舎 Ⅱ】
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  御嶽郵便局は昭和42年3月20日に南方側に新築移転している。また、近年は「昇仙峡郵便局」と局名を改称の上、甲府市猪狩町414番地に新築移転している。
  旧御嶽郵便局庁舎周辺は、探勝や金桜神社への参詣者が多く、旅館や商店が軒を並べた金桜神社門前の山中の一町場をなしていたが、昭和30年12月18日に重要文化財中宮本殿、東宮本殿を含む13棟の社殿等の全焼、門前の旅館も現在は全て廃業するなど、当時の賑わいは失われている。
  なお、御嶽郵便局は昭和7年10月21日からいわゆる「風景入日附印」を使用し、昭和9年11月16日に電話が開通している。



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by kaz794889 | 2014-07-13 12:44 | 郵便局・逓信 | Comments(0)
2014年 07月 06日

甲州紀行 15 「桜町の稲荷社祠」

【稲荷社祠の全景】
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 昭和20年の今日、7月6日の甲府空襲で甲府市桜町(戦後の町名改正により現在は中央)は、そのほぼ全てが焼失している。
 写真の稲荷社祠は、旧桜町の中心地に現在もその姿を残す稲荷社の祠であり、祠の背面には「昭和十年五月五日 合資会社松林軒 社員一同建之」の文字が刻まれており、祠の他に鳥居と狐の石造が乗る台座は、祠とともに甲府空襲による破壊を逃れた戦前期に建設されたものと思われる。




【稲荷社祠】
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 稲荷社は、かつての桜町の表通りである「ペルメ桜町」から脇に入った、建物と建物の間の谷間にひっそりと鎮座し、祠の周りに置かれた諸道具等から、現在も地元自治会により管理がなされているようである。
 甲府市街の中心地において、戦前期の面影を伝える唯一の稲荷社の祠である。




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by kaz794889 | 2014-07-06 21:59 | 甲州紀行 | Comments(0)
2014年 07月 05日

商店の包装紙20 『甲府 凬月堂』

【甲府 風月堂の包装紙】
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  甲府凬月堂は東京凬月堂の甲府支店として甲府市桜町39番地(現在:中央2-13-9)で営業していたが、その後、東京風月堂に永く勤続していた溝口群次郎が譲渡を受け、明治45年に常盤町8番地(料理屋「新三」のあった場所)に移転し現在も同地において営業を続ける老舗の和菓子店である。




【現在の「甲府 風月堂」】
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  常盤町8番地は甲府市中央1-1-23と改称され、現在も甲府風月堂は「甲斐古餅」などの各種和菓子を製造販売している。




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by kaz794889 | 2014-07-05 11:27 | 商店の包装紙 | Comments(0)