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2014年 06月 29日

羽鹿島村 鹿島神社の忠魂碑

【鹿島神社石段前の鳥居】
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 羽鹿島村(現在の富士川町鹿島)に鎮座する鹿島神社社殿に通じる石段前の鳥居である。
 



【鹿島神社の忠魂碑】
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  鹿島神社の石段脇に建つ忠魂碑は「陸軍大将 一戸兵衛」揮毫によるものである。
  この忠魂碑は昭和2年に帝国在郷軍人会羽鹿島村分会により建設されたものであるが、終戦後の昭和21年に一度撤去され、昭和33年に地区有志により再建されている。




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by kaz794889 | 2014-06-29 21:00 | 忠魂碑 | Comments(0)
2014年 06月 24日

岡島 「別館落成記念大売出し」

【別館 落成記念大売出し】
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  昭和27年7月の売場新築完成に伴い戦災復興が完了したものの、売場面積についてはなお不足を感じる状況が現出したことから、更なる増築に着手した岡島は、本館建物の北西に位置して建てられていた木造2階建の社員食堂の位置に、木造平屋建ての売り場と、その東側に木造2階建ての事務棟を建て二つの建物は渡り廊下で結ぶこととし、建物は昭和28年11月に竣工している。

  こうして完成した建物一階の売り場(749.52㎡)では食品や家庭用品を扱い、日常生活に必要な品物を取り揃えたセルフサービス形式を取り入れ、「岡島別館」として営業を開始している。





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  写真の案内は別館落成を記念して昭和28年11月3日から8日まで開催された「別館落成記念大売出し」を案内するため、顧客に向けて発送したDMである。




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by kaz794889 | 2014-06-24 23:29 | Comments(0)
2014年 06月 22日

日露戦役を歩く 1 「日本赤十字社従軍看護婦の墓碑」

【大日本赤十字社看護婦加藤富士子之墓】
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  日清戦争においてはじめて日本赤十字社の看護婦が陸海軍の病院に召集されたという。
  日露戦争にあたり、大日本赤十字社山梨県支部においても、医師2名、調剤員1名、書記1名、看護婦22名による26名体制の救護班編成の準備を進め、明治37年8月27日に「第三十八救護班」が正式に編成されると、翌日午後2時から山梨県議会議事堂前で壮行会が開催され、その後、広島に向け甲府駅を出発している。
  9月1日に広島に到着すると、3日に陸軍病院船大連丸乗り組みの配属命令を受け、翌4日に宇品港を出港し、明治38年2月7日の幸運丸への転乗の命を受けるまで、大連、多度津、高浜の間を16回航海し、その間、3090名の戦傷軍人航送に携わっている。
  また、陸軍病院船幸運丸に転乗となった明治38年2月8日から日露戦争終結後である明治39年1月24日の輸送最後の日まで、大連、横浜、多度津、宇品の間を23回航海し、6653名の戦傷軍人航送に携わっている。


  なお、「第三十八救護班」の班員中、公務中の病気感染により、医員の磯野久丸医師が明治38年5月4日に、加藤富士子看護婦が明治38年7月28日に広島予備病院における入院加療中に病没している。
 
  大日本赤十字社山梨県支部により編成された「第三十八救護班」は、明治39年1月24日に広島の宇品港において救護班27名の解任式を行った後、28日の午後一時十五分甲府駅着の列車で凱旋している。
  当日の駅頭には大日本赤十字社山梨県支部長である武田千代三郎知事をはじめ日赤役員、正社員が日の丸の旗を振って出迎え、午後二時から当時甲府城内にあった甲府中学校講堂において第三十八救護班の解散式が挙行されたという。    




【同墓碑の正面】
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  加藤富士子は、明治16年6月に甲府柳町の加藤儀兵衛の次女として生まれ、明治34年に大日本赤十字社の看護婦として、大日本赤十字社山梨県支部が明治33年4月から山梨県病院に委託開所した、日本赤十字社山梨支部準備看護婦養成所の第三期生(5名)の一人として2年間の講習を受けた後に第三十八救護班の班員として陸軍病院船大連丸に乗船している。日本赤十字社本社は、加藤看護婦の死去にあたり、弔祭金600円を贈っている。
  なお、「第三十八救護班」の凱旋後である、明治39年1月29日に凱旋時の同班班長である加賀医師ら数人が墓参している。





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by kaz794889 | 2014-06-22 12:58 | 山梨 日露戦役を歩く | Comments(0)
2014年 06月 21日

清林軒 浅川商店

【紙目録 清林軒 浅川友八】
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  甲府柳町10番地で浅川友八が営業していた清林軒の広告である。
  和洋紙類、筆墨一切などを営業品目としており、後に浅川商店となっている。



【甲府市柳町 浅川商店】
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  明治30年代の浅川商店である。
  この頃は前述の浅川友八から、その子供である浅川友造が商店を引き継いでいる。
  その後、友造の長男である幾平が甲府中学校卒業後に、祖父累代の紙商を引き継いで経営にあたったが、大正4年に東洋モスリンに入社したため、家業は弟に託している。
  なお、山一證券の創業者である小池国三は、浅川友八の五男として、慶応2年4月10日に生まれており、この家は小池国三の生家である。




【現在の同位置】
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  現在の清林軒浅川商店があった場所である。
  旧甲州街道が甲府柳町宿に交わる位置の四つ角にあたる場所である。
  現在、同位置附近は道路拡幅工事が行われている。




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by kaz794889 | 2014-06-21 23:57 | 広告・チラシ | Comments(0)
2014年 06月 19日

岡島 「売場新装完成御案内」

【売場新装完成御案内】
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  甲府空襲により被災した岡島本館は、昭和24年~25年における建物外装の復旧に続き、昭和26年からは内部工事が進められるなどし、岡島本館の戦災による完全復旧は昭和27年7月であった。
  完全復旧の時期は、ちょうど「甲府夏まつり」の時期に重なることから、岡島は「甲府夏祭り」に協賛し昭和27年7月10日から16日までの間、「売場新装全館福引大売出し」を展開していた。

  この写真は、売場新装完成の御案内として昭和27年7月10日~16日の間における大売り出しのDMとして、得意先等の顧客に送付したものである。

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by kaz794889 | 2014-06-19 00:16 | Comments(0)
2014年 06月 16日

愛宕山荘

【愛宕山荘跡】
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  平成15年の移転まで甲府地方裁判所の所長官舎が置かれた甲府市愛宕町85-1の地は、平成18年5月に山梨県教育委員会と山梨県埋蔵文化財センターにより、その敷地内の調査が行われ、甲府城築城時における石材調達を行った石切り場跡の遺構が確認され、平成21年11月12日に「甲府城愛宕山石切場跡」として山梨県指定の史跡に指定されている。




【愛宕山荘 大木別宅】
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  この場所は、製糸場を営む甲府市八日町66番地の大木善右衛門の別宅「愛宕山荘」であった。
  敷地内にはその由来を記した「愛宕山荘碑」と篆額された石碑が残されておりその由来が刻まれている。
  なお、愛宕山荘の敷地と家屋は歩兵第49連隊(甲府連隊)の連隊長公舎として、昭和13年頃まで使用されていた(当時の甲府郵便局編纂の山梨県電話帳によると昭和13年7月現在の電話帖から、当該住所地を住所とする加入者は大木善一郎となっている。これは、昭和13年12月1日にそれまでの当主であった大木善右衛門が隠居し、長男である善一郎に家督相続させていることに関係があるのだろうか。




【愛宕山荘跡敷地内に建つ石碑】f0191673_11274329.jpg
  敷地内には前述の「愛宕山荘碑」の他に、大正11年10月に建立された「園記」と篆額された石碑が残されており、その石碑には文禄2年に浅野長政が府中城(甲府城)を築いた遺跡であることが刻まれている。
  <「園記」の写真データはM氏からご提供いただいたものである。>




【園記及観月楼ヲ見ル図】
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  写真に写る石碑は園記が記された石碑であり、後方に建つ観月楼は、現在の敷地の東側端より更に東側(現在は他の所有者の敷地)に建てられていることから、当時は現在よりも更に広い敷地であったことが推察できる。




【北眺望台ヨリ別宅ヲ臨ム】
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【東側の通路から見た山荘跡】
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  敷地の東側に沿って通じる道から撮影したが、敷地内は草木によりその概観を見るのは難しい状況である。



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by kaz794889 | 2014-06-16 14:00 | Comments(0)
2014年 06月 15日

御坂峠の山梨桜桃忌

【平成26年6月15日 山梨桜桃忌の富士山と河口湖】
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  第37回山梨桜桃忌が本日(平成26年6月15日)、御坂峠・天下茶屋において開催された。
  本年は国道137号線の新御坂トンネルの天井版撤去工事のため、5月26日から6月30日までの間、同トンネルが終日全面通行止めのため、天下茶屋の建ついわゆる旧道の交通量が平常時と比較して多いため、
いつになく交通が賑やかな中での山梨桜桃忌であった。




【御坂峠 太宰治文学碑への献花】
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  13:00から開催された山梨桜桃忌は、昭和28年に建立された富嶽百景の一節である「冨士には月見草がよく似合ふ」と刻まれた太宰治文学碑への献花から始まる。
  文学碑前に集まった当日の参加者が順番に献花を行っている。



【太宰治文学碑建つ】
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  御坂峠の太宰治文学碑は昭和28年10月31日に除幕式が行われ、昨年は建立から60年を迎えている。  左記の切り抜きは、昭和28年10月28日の山梨日日新聞であり、御坂峠への文学碑設置完工を伝えている。




【天下茶屋の一室における講演】
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  文学碑への献花後、場を天下茶屋の一室に移し、今年は「「右大臣實朝」の周辺」、「太宰治と三島由紀夫」及び「太宰治と美知子夫人」と題する三題の講演が、それぞれの有識者により行われた。




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by kaz794889 | 2014-06-15 23:58 | Comments(0)
2014年 06月 14日

甲府電車軌道株式会社 2

【甲府電車軌道株式会社 線路略図】
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  大正13年9月に発足した甲府電車軌道株式会社は、前年に買収した山梨軽便鉄道の軌道譲渡申請が正式に認可された大正14年1月から、正式に同鉄道が有していた馬車鉄道線を承継するとともに、動力源の馬から電力に転換する動力変更と電車軌道敷設の認可申請を目指すこととなった。
 その結果、大正15年8月に甲府、鰍沢間の軌道敷設の免許交付を受けるとともに、昭和2年4月3日の臨時株主総会において、馬車鉄道の内、甲府・鰍沢線は同年5月末を以て廃止、甲府・石和線は電車開通までの営業継続を決めている。




【第一期事業 鰍沢線】
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  甲府駅前を起点として玉幡、今諏訪、倉庫町、小笠原を経て鰍沢に達する路線であり、前述の臨時株主総会において、工事着工は用地買収完了を待って着手し、遅くとも富士身延鉄道(現在のJR身延線)の全通予定時期である昭和3年3~4月の完工・開通の方向付けがなされたが、同線の甲府市内区間として計画した甲府駅前から柳町、相生町、寿町を経て荒川橋に至る間は道幅が狭く、カーブ地点に難点があるため、コース変更が必要となること。また、釜無川に架かる開国橋の架橋に施工技術上の問題点があるなどしたため、最終的に施工認可がなされたのは昭和3年7月24日であり、申請を行った大正15年10月から概ね2か年の期間を要している。
  なお、同線の建設にあたっての軌道敷設契約は昭和3年10月に。また、昭和4年1月16日に貢川駅建設予定地において鍬入れ式がなされ、「甲府駅前」と「甲斐青柳」間の全通は昭和7年12月27日である。




【第一期事業 石和線及び市内線】
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  山梨軽便鉄道の鉄道馬車線を承継した甲府・石和間は、昭和3年7月1日の電鉄開業までを条件に営業休止され、昭和4年4月4日に工事方法変更の認可申請が正式に提出されたが、資金難の問題などにより完成には至らなかった。




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by kaz794889 | 2014-06-14 13:14 | 鉄道 | Comments(0)
2014年 06月 09日

丹波山村 宝蔵寺の忠魂碑

【宝蔵寺境内の忠魂碑】
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  北都留郡丹波山村の宝蔵寺境内に建立された忠魂碑である。
  正面「忠魂碑」の揮毫の左には、揮毫者である元帥公爵山縣有朋の名が刻まれている。



【宝蔵村境内の忠魂碑②】
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  右側の忠魂碑は、天野久山梨県知事の揮毫による戦後建立された忠魂碑である。




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by kaz794889 | 2014-06-09 23:25 | 忠魂碑 | Comments(0)
2014年 06月 08日

甲府電車軌道株式会社

【甲府軌道株式会社の株券】
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  甲府市を中心とする運輸交通の主要動脈であった山梨軽便鉄道会社(山梨鉄道馬車会社が鰍沢馬車鉄道会社を買収して明治39年10月に発足)の運転区間(甲府停車場・太田町間、甲府・石和間、甲府・鰍沢間)は、大正初期頃までは利用者も多く相当の繁盛をみせていたが、大正6年6月に甲府市泉町に本社を置く山梨自動車運輸株式会社が創立するなど、山梨県内における定期乗合自動車の出現、路線拡大とともに、鉄道馬車は衰退していった。
  こうした社会状況の変化から山梨軽便鉄道株式会社の営業も不振となり、同社は大正12年4月6日に臨時株主を開催し、甲府電車軌道株式会社への合同を決議し事業の全部を譲渡している。



【「第八回営業報告書」】
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  甲府電車軌道株式会社は大正12年11月に資本金50万円を以て創立し、山梨軽便鉄道会社の保有する各方面の免許権を継承するとともに、これを基盤とした「甲府・倉庫町・鰍沢」間13哩の新線敷設の免許を得て電車軌道建設を目指していた。




【甲府市地籍図】
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  甲府電車軌道株式会社の本社は、山梨軽便鉄道会社の本社があった甲府市太田町82番地に置かれていた。




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by kaz794889 | 2014-06-08 16:31 | 鉄道 | Comments(0)