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2014年 02月 23日

甲府市 一蓮寺の日清戦役忠魂碑

【一蓮寺境内の日清戦役従軍死者忠魂碑】
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  甲府市太田町の一蓮寺境内の「日清戦役従軍死者忠魂碑」である。
  高さ約3.5m、幅約45㎝の忠魂碑左側面には、揮毫者である「陸軍大将侯爵山縣有朋」の名が刻まれ、裏面には建立した明治29年秋彼岸の文字などが刻まれている。
  日清戦争は明治27年8月1日に宣戦布告があり、翌年の4月17日に日清講和条約(いわゆる下関条約)が調印されている。
  この忠魂碑も近年までは碑の周りに石囲いと石灯篭等があったが、現在は単立の本体のみの忠魂碑となっている。また、この場所に忠魂碑があるのは、一蓮寺に隣接する太田町公園内にかつて招魂社があった関係からである。





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by kaz794889 | 2014-02-23 23:10 | 忠魂碑 | Comments(0)
2014年 02月 16日

【富士登山勝地漫画】 3 「大石茶屋」

【「富士登山勝地漫画」の内 大石茶屋】
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  大石茶屋は中の茶屋と馬返の間にあったが、現在は一部の部材を残して小屋は倒壊しているという。
  絵図に「つつじヶ原」とあるように、大石茶屋の向かいはレンゲ躑躅の群生地である。



【富士山麓つつじヶ原の蓮華つつじ】
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  中の茶屋から大石茶屋に至る中間一帯は、レンゲツツジの群落地である。



【「つつじの丘へ新緑の山に」】
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  昭和初期に山梨県が発行した、つつじの名所案内である。
  当時の山梨県内におけるつつじの名所は、富士山麓の躑躅ヶ原、八ヶ岳山麓の躑躅、甘利山の躑躅であり、このチラシも三か所の名所を案内している。




【冨士山近傍 五万分一山嶽圖】
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by kaz794889 | 2014-02-16 16:09 | 富士登山 勝地漫画 | Comments(0)
2014年 02月 14日

【富士登山勝地漫画】 2 「中の茶屋」

【「富士登山勝地漫画」の内 中の茶屋】
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  北口本宮冨士浅間神社の登山門を起点とする吉田口登山道の最初の茶屋が中ノ茶屋である。
  その由来は登山門と馬返しまでの概ね中間にあたるためという。



【(北口途上) 中ノ茶屋】
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  昭和初期の中ノ茶屋である。
  富士登山勝地漫画の「中ノ茶屋」はこの絵葉書をモチーフに描かれた感がある。



【吉田口 中ノ茶屋】
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  明治40年代の中ノ茶屋である。



【冨士山近傍 五万分一山嶽圖】
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  大日本帝国陸地測量部が昭和11年6月30日に発行した「冨士山近傍 五万分一山嶽圖」である。
  中ノ茶屋附近について、鉄道省山岳部編『日本山岳案内 7 冨士山・富士山麓』(昭和16年7月30日発行)には、次のように記されている。
  「本道と泉端からの道が出合って直ぐに中ノ茶屋に出る。中ノ茶屋はその名の如くに、冨士浅間神社と馬返シの殆ど中間にある休憩小屋であって、講中の名が書いた布や札が一杯にぶら下げてある。中ノ茶屋の前で右手(西北)に行く道があり、この道は乗合自動車専用道路を横切って、北口胎内方面に行く道であって、ずっと一本道である。」




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by kaz794889 | 2014-02-14 17:55 | 富士登山 勝地漫画 | Comments(0)
2014年 02月 11日

池田村 池田小学校の忠魂碑

【池田村 旧池田小学校の忠魂碑】
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  池田市民会館の敷地内に建つ写真の忠魂碑は旧池田小学校の校庭内に建てられていたが、昭和41年に池田小学校が現在の場所に新築移転し敷地が売却処分された際、現在の位置に移されている。




【忠魂碑正面】
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  裏面に戦死者63名の氏名が刻まれている、「陸軍大将 鈴木壮六」の揮毫による忠魂碑である。




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by kaz794889 | 2014-02-11 10:47 | 忠魂碑 | Comments(0)
2014年 02月 09日

【冨士登山勝地漫画】 1 「浅間神社」 

【富士登山勝地漫画】
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  『冨士登山勝地漫画』は昭和8年7月10日に菅田濱次郎を編輯兼発行者として発行された書籍である。
  経本形式で一方の開きは「富士登山」、また片方の開きは「国立公園富士五湖」となっている。
  また、奥付には「勝地漫画は或る趣味の人の編輯である。1日の旅を基調として一地方、一勝地を漫画化して其の他の事蹟、名所風俗を現はした旅行案内で、見て面白く読んで地理、歴史を知る中に真にユーモアーを感じて微笑の禁じ得ざるものがある。」と記してあり、この本の他にも、「国立公園箱根遊覧」「京成から水郷」「奈良史蹟」「大和めぐり」の4種類が勝地漫画として、同じ形式で発行されている。




【「富士登山勝地漫画」の内 浅間神社】
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  「富士登山勝地漫画」で描かれている富士登山は、吉田口登山道から登山する風俗である。
  一つの場面について、写真のとおり原則左右2頁で描かれている。
  「吉田の浅間神社に参拝して身心を浄め、社殿背後の登山道を登る」と記されている。




【冨士山北口本宮浅間神社 大鳥居】
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  浅間神社正面参道入口の大鳥居である。ここから浅間神社の社殿に参拝し、社殿東側の奥にある登山門の先からが、北口登山道である。




【最新甲斐国鳥瞰図】
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  昭和2年6月5日に「著作者 山梨県農林技手 平大路義比踏査」として柳正堂(甲府市柳町)が発行した『富士山を中心とせる 甲斐国鳥瞰図』の内、北口登山道の部分である。




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by kaz794889 | 2014-02-09 21:46 | 富士登山 勝地漫画 | Comments(0)
2014年 02月 08日

旧古関村役場

【旧古関村役場 正面】
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  古関村は昭和31年9月30日に冨里村、久那土村、共和村と合併して下部町となり、その後のいわゆる平成の大合併により、現在は身延町となっている。
  古関村役場は当初、この建物の裏側に通じていた従来の旧道に沿って建てられていたが、その後、この建物の前に新たな県道が開通し旧道は廃道となっている。
  このため、昭和25年に役場の同一敷地に改築したのが、この旧古関村役場である。
  合併後は下部町古関支所として使用されてきたが、旧古関小学校の建物に古関支所は近年移転しており、現在は、この建物を残していきたいとの志し持った地元の個人が所有しているという。




【旧古関村役場 側面】
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  社会教育推進の場として、公民館を長期総合計画により順次建設していた当時の下部町は、合併後、下部町古関支所として使用していた旧古関村役場庁舎に地区公民館を併設するため、昭和46年5月に増築等の大改造を行っている。




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by kaz794889 | 2014-02-08 12:11 | 役場 | Comments(0)
2014年 02月 02日

甲州紀行 13 「峡西地方の民家」

【民家の正面】
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  和風住宅に洋間として隣接又は増築された建物を目にすることがある。
  この建物も、最初はそうした建物かと思って見ていたが、側面を見るとそうした建物の体には思えない建物の体である。
  正面の木組みが一見すると洋風に見えるが、側面は土壁をトタンが覆っており、下見板張やモルタルといった洋風のテイストも認められない感がある。
  左側に隣接する和風の主屋には玄関口が設けられているのを見ると、正面に入口が設けられているこの建物は、住宅以外の用途で建てられたものと思われる。




【民家の側面】
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  一見、土蔵を改修した建物とも考えたが、側面の風情はそれとも異なるように感じられる建物である。




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by kaz794889 | 2014-02-02 23:28 | 甲州紀行 | Comments(0)
2014年 02月 01日

富士山鍛錬郷

【富士山麓電鉄発行 「富士山鍛錬郷」チラシ】
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  昭和12年7月7日の日支事変を契機に日中戦争が勃発した同年8月24日に「国民精神総動員実施要綱」が閣議決定され、国民精神総動員運動が開始されることとなった。
  国民精神総動員運動は、消費や娯楽に対する抑制を促すものであり、そこで提唱された「体位向上」や「心身鍛錬」は、スポーツ、登山、海水浴などに結びつき、これまでの遊覧旅行としての登山は、心身鍛錬の名のもと、戦時期における奨励の対象となっている。
  「富士山鍛錬郷」チラシは、こうした状況の中で昭和12年又は13年頃に発行されたものと思われる。
  この頃以降も、国民精神総動員運動は引き続き展開されていったが、物資が年月とともに不足していった戦時期の状況下においては、こうしたチラシも年々紙質や色使いも悪くなっている。  




【「富士山鍛錬郷」チラシの富士北麓鳥瞰図】
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  「富士山鍛錬郷」チラシに印刷された富士山麓地方の鳥瞰図である。



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by kaz794889 | 2014-02-01 23:28 | Comments(0)