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2013年 12月 26日

ブドーヤ洋装店

【甲府市錦町電気館隣り ブドーヤ洋装店】
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  甲府市錦町「ブドーヤ洋装店」が昭和29年に作成した、クリスマスと正月の仕度に向けた12月4日からの純毛地大売り出しのチラシである。
  現在とは異なり、当時は「コート」より「オーバー」が一般的な名称として使用されている。甲府市街地の中心地の一つである電気館(映画館)の隣りで営業していた洋装店であり、師走の街中の活気は現在とは到底比較にはならないだろう。





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by kaz794889 | 2013-12-26 23:34 | 広告・チラシ | Comments(0)
2013年 12月 15日

内藤活版石版製造印刷所稟告

【内藤活版石版製造印刷所稟告】
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  全国にさきがけて新聞を創刊し、山梨県における活版印刷の始祖として教科書出版を行うなどした内藤伝右衛門は、明治13年12月に又新社の経営権を野口英夫に譲り、多年にわたる新聞事業を離れて出版に専念することとなった。
 この広告は、甲府市常盤町8番地の内藤商店内に置かれた内藤活版石版製造印刷所の明治30年頃の広告である。




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by kaz794889 | 2013-12-15 22:35 | 広告・チラシ | Comments(0)
2013年 12月 14日

山縣大弐を歩く 9 【酒折宮の酒折祠碑】

【酒折宮】
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  酒折宮は甲府市酒折3-1-13に日本武尊を御祭神として鎮座する神社である。
  人皇第12代景行天皇の御代に、皇子である日本武尊が東征の帰途、常陸国より武蔵国を経て相模国を越えて甲斐国に入り、酒折の宮に一夜宿られたと伝えられる地であり、酒折宮は、日本武尊を御祭神として甲府市酒折3-1-13に鎮座する神社である。




【酒折宮境内の酒折祠碑】
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  酒折宮は前述のとおり、日本武尊の東征還路旧蹟の地として伝えられていた場所であり、宝暦の頃にも日本武尊を祀る神社が鎮座していたようであるが、乱世に及び社殿も荒れ、祭祀全からざるに至る状況であったという。
 こうした状況を憂いた山縣大弐は社殿を修理するとともに、日本武尊の武勲武徳を称えた石碑を宝暦12年壬午夏4月に甲斐の旧友とともに建立している。
 写真の酒折祠碑がその石碑であり、文は山縣大弐、書は竹亭とも称した甲府八日町の豪商である加藤翼によるものである。




【酒折祠碑 原碑文】
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  酒折祠碑の原碑文である。




【昭和12年5月頃の酒折祠碑】
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  昭和12年5月に撮影された酒折祠碑である。





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by kaz794889 | 2013-12-14 21:34 | 山縣大弐 | Comments(0)
2013年 12月 12日

西山村総合資料展

【西山村総合資料展目録】
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  西山村総合資料展は、昭和31年11月25日から28日までを開催期間として、山梨県立図書館及び西山村総合学術調査団の主催により山梨県立図書館ホール西山村総合資料展が開催されている。
  写真はその際に発行された、全17ページの「西山村総合資料展目録」である。
  「資源の開発が「富める山梨」実現のためにする県政百年の計であり、わが西山村総合学術壇は、かかる現状に深い関心を寄せ、失われんとする山村生活の実態を解明し、学界の謎を解いて村発生の歴史を究めるべく、総員37名を10班に編成し、今夏7月以降、集団を以て数次にわたり、詳さに調査し、すでに膨大な採集資料の整理中であり、年内には数百頁にのぼる報告書の脱稿をみる予定である」旨、当該目録の巻頭に「西山村総合資料展に就て」として同調査団が記している。
  なお、「年内には数百頁にのぼる報告書」とある報告書については、『西山村総合調査報告書』として昭和33年3月に刊行されている。




【「民間科学の眼 西山へ」】
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 終戦後、富める山梨をスローガンとし、豊かな県土を築くための山梨県総合開発の一環として、早川水系電源開発に基づく西山発電所の建設が計画され、西山ダムの建設等により奈良田地区が湖底に沈むこととなるため、奈良田を中心とした上湯島、下湯島を含む西山村全村を対象とする総合調査が、第一次調査(昭和31年7月28日から3日間)、第二次調査(8月18日から5日間)として実施されている。
  写真は、西山村総合学術調査の実施開始を伝える、昭和31年7月29日付の山梨日日新聞である。




【「祖先の面影を見る 山梨にある夢の仙境 奈良田村」】
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  仙境としての奈良田については、既に昭和初期にはその地理的環境や民俗等が知られ、伝えられていた。
 写真は、東日本新名物と題して奈良田を伝える昭和5年7月31日付の東京朝日新聞である。




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by kaz794889 | 2013-12-12 00:56 | Comments(0)
2013年 12月 08日

山田耕作氏 作品発表大演奏会

【山田耕作氏 作品発表大演奏会曲目】
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  昭和4年5月8日、山梨日日新聞主催、甲府市連合婦女会後援の「山田耕作氏作品発表大演奏会」が県 会議事堂を会場として開催されている。
  左記の写真は、同演奏会の曲目パンフレットである。




【「曲目とその解説」】
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  同演奏会は山田耕作によるピアノ演奏、浅野千鶴子によるソプラノ独唱、黒柳守綱によるブァイオリ独奏によるものであり、「曲目とその解説」に記されているとおり、山田耕作の作曲による「からたちの花」「城ケ島の雨」などの代表的作品などが演奏されている。
  なお、演奏会の最後には明治大帝製御頌歌の歌唱指導がなされており、5月10日の山梨日日新聞によれば、議事堂新築以来始めての大衆1700余名の聴衆による演奏会であったという。




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by kaz794889 | 2013-12-08 13:32 | Comments(0)
2013年 12月 01日

山梨の官選知事 4「阪本三郎」

 阪本三郎は大正5年4月28日から同年10月13日までの5か月間、第20代山梨県知事を務めている。
 慶応3年10月16日に武蔵国南玉郡原町田(現在の東京都町田市)の脇本陣、武蔵屋旅館の当主である渋谷徳次郎の二男として生まれ、阪本の祖父である真下専之丞が起こした「融貫塾」や近在の「小島韶斎塾」「耕余塾」に学び、明治21年7月に東京専門学校(現在の早稲田大学)法律科を卒業し、明治24年1月に司法官試補となり新潟区裁判所詰を命ぜられ、三条、相川、新発田区裁の判事となった後、明治25年2月に検事となり新潟、水戸、東京地方裁判所、東京控訴院判事を務めていたが、出身校である早稲田の初の派遣留学生として明治33年9月8日にドイツ留学に出発し、ハイデルベルク大学において民法等を研究し 明治37年4月に帰国した後、東京控訴院判事に復職し、その後は行政裁判所評定官兼法制局参事官を務め、大正3年4月に秋田県知事となった後に山梨県知事となっている。

 阪本は早稲田の学園に学び、大隈重信内閣時代の寵児として県知事に任官され、秋田、山梨の知事を務めることとなったが、大隈内閣の崩壊とともに山梨県知事を免官されたことから、その在職期間も5か月間と極めて短く、その在職期間に充分な手腕を発揮することもできず特質すべき業績は見当たらない。

 しかしながら、阪本は山梨県知事としての業績とは別に、山梨郡中萩原村重郎原(現在の甲州市)に寛政11年に生まれ、文政8年に江戸に出府し幕臣である小原氏の下僕となった後、天保元年に小原家を辞して代官手代となり石和代官所谷村主張所詰となった後、天保7年に徳川直参の真下家の家禄を買い武士の身分を得、蕃書調所調役勤番衆などを務め、慶応2年に5,000石の陸軍奉行並支配に昇進し明治8年10月17日に没している、真下専之丞を祖父に持つ戦前期における初の県人知事であったこと。
 また、樋口一葉の祖父である樋口八左衛門が、阪本の祖父である真下専之丞の同郷の友であったことから、樋口一葉の父親である樋口大吉が真下を頼りに江戸に出府し拠り所としていたことなどから、樋口家に出入りしていた阪本が樋口一葉の許嫁であった時期があったことなどが知られている。

  山梨県知事免官後の阪本は、大正6年に母校である早稲田の役職に就くなど、大隈重信の信任が厚かっ たといわれている。晩年は、昭和5年11月頃から病気を患い東京帝大青山外科に入院治療を行っていたが、翌6年5月30日に本人の希望により東京府豊多摩郡下戸塚の自宅に戻り、療養中の4月14日午後2時に自宅において没している。
 なお、真下専之丞には二男二女の子供と一人の養子がおり、長男が坂本家、二男(徳次郎)が渋谷家、養子が真下家を継いでおり、阪本の父親である渋谷徳次郎は、真下専之丞の側室であるクニ(町田の脇本陣武蔵屋の娘)との間の子供であり、真下専之丞の孫にあたる阪本三郎は明治25年に坂本家の養子(養子となった後に坂本から阪本に改姓している。)となっている。

【阪本三郎の墓所跡】
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  かつての阪本三郎の墓所は、写真の中央の位置に、院殿の戒名が刻まれた卒塔婆形式の墓石が建立されており、その管理は他家に嫁いだ阪本の長女が長く守ってきたというが、同人の死去により墓所の管理も困難となることから、6~7年程前に墓石を含めた墓所は撤去されている。




【菩提寺の無縁仏施設】
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  墓所が撤去された後、現在は当該墓所の菩提寺にある無縁仏に合葬されている。





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by kaz794889 | 2013-12-01 23:16 | 山梨の官選知事 | Comments(0)