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2013年 08月 31日

諏訪神社と吉田の火祭り

【北口本宮冨士浅間神社境内図】
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  北口本宮冨士浅間神社の境内神社である諏訪神社は「建御名方神」及び「八坂刀売神」を祭神として鎮座している。
  現在の北口本宮冨士浅間神社が位置する地は、かつての上吉田村の守護神である諏訪の神が祀られていたことから「諏訪森」と呼ばれていたが、その後、富士山信仰者の増加に伴い浅間神社が拡大し現在に至っている。



【諏訪神社 拝殿】
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  諏訪神社拝殿は、桁行五間、梁間四間、一重入母屋造の建造物であり、平成16年3月25日に富士吉田市指定文化財として指定されている。



【(北口本宮)冨士浅間神社摂社諏訪神社】
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  昭和初期の諏訪神社拝殿である。なお、本殿は昭和2年8月に災禍に昭和51年4月に再建・竣工している。



【吉田鎮火祭】
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  吉田の火祭りはもともと諏訪神社の祭礼として執り行われてきたが、その後の北口本宮冨士浅間神社の拡大に伴い同者の祭礼として知られるようになり、現在は同社と諏訪神社が一緒に毎年8月26日及び27日に火祭を開催している。
  また、吉田の火祭は平成24年3月8日に国指定の重要無形民俗文化財に指定されている。




【甲斐吉田火祭之景】
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  明治期の吉田の火祭である。上吉田宿の富士山に向かって右側の看板は「刑部ホテル」のものである。




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by kaz794889 | 2013-08-31 11:56 | 神社 | Comments(0)
2013年 08月 25日

長作観音堂

【国指定重要文化財 長作観音堂】
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  南都留郡小菅村長作426番地に所在する長作観音堂は、昭和21年11月29日に国の重要文化財に指定されている。
  長作観音堂は、かつて小菅小学校長作分校であった現在の寺子屋自然塾の敷地と隣接する後方に保存されている。学校が開設される以前、この場所は臨済宗長谷寺の境内であり、同寺の仏堂の一つであったが、明治4年に長谷寺が廃寺となり、観音堂のみがこの場所に残されたものであり、現在は長作観世音礼拝所として地域の人々により管理されている。




【長作観音堂の左側側面】
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  観音堂の造立年代は明らかではないようであるが、形式・手法等から鎌倉時代後期と推定されているという。
  昭和38年に解体修理され、これまでの茅葺から現在の姿に修復されるとともに、旧地より約14m後方の現在地に移されている。




【昭和13年頃の観音堂】
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【長作観音堂の右側側面】
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【昭和13年頃の観音堂】
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by kaz794889 | 2013-08-25 13:52 | 文化財 | Comments(0)
2013年 08月 24日

甲州紀行 8 「鈴木建設」

【鈴木建設】
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  建築的には特段の特長があるとは言い切れない建物であるが、正面上部の「鈴木建設」の文字は鏝文字と云うのか、立体的な文字看板となっている、看板文字部に特長のある建物である。
  右から左に読むことから推定すれば戦前期の建築だろうか。
  現在は付け替えられているが、かつての県道に面して建てられている。



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by kaz794889 | 2013-08-24 21:13 | 甲州紀行 | Comments(0)
2013年 08月 18日

笹子隧道記念碑

【甲府駅前時代の笹子隧道記念碑】
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  笹子隧道記念碑は宮城県石巻産の碑石による高さ2丈6尺、幅8尺7寸の石碑であり、東京深川の田鶴念の彫刻によるものであり、 明治36年6月11日に次の順序による除幕式が行われている。
  ① 開式之挨拶  委員総代 若尾逸平
  ② 序幕 陸軍少将 田村怡與造
  ③ 式辞 委員総代 佐竹朔太郎
  ④ 祝辞 来賓
  ⑤ 閉式之挨拶 委員総代 浅尾長慶

  
  写真は甲府駅前時代のものであり、碑の後方は甲府城である。
  笹子隧道記念碑は昭和初期に甲府城内に移設され、現在は所縁の地である中央本線笹子駅前に移設されている。
  



【現在の同位置】
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  甲府駅前の山交百貨店の南側、現在、山交タクシーのりばの位置周辺が、かつて記念碑が建てられていた場所と考えられます。




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by kaz794889 | 2013-08-18 15:20 | 石碑 | Comments(0)
2013年 08月 17日

重川橋

【新重川橋】
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  中央本線 山梨市駅前と国道411号線(旧国道20号線:甲州街道)を結ぶ県道山梨市停車場線の重川橋が新たに建設され、本年6月18日に開通式が行われた。
  新たな重川橋は長さ156m、車道の幅員が2車線合わせて6.6m、両側に付設された歩道を含めると14m前後の橋梁であり、親柱は旧橋の親柱を改修したものを使用している。




【旧重川橋と新重川橋】
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  新たな橋梁とともに、橋の北側の重川橋北交差点と南側の市道西条松畑線交差部間、約520mの新道が付設されたため、当該区間におけるこれまでの県道も新たに付け替えられている。
  写真に写る軽自動車に向かう道路が旧重川橋南側の旧道部分であり、軽自動車の先が旧重川橋である。




【旧重川橋 ①】
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  旧重川橋は架橋から77年が経過し老朽化が著しく。また、旧重川橋と旧道の車道は幅員4.5mであり、大型車同士の擦れ違いも困難であったことから、平成18年度から事業が着手されていたものである。




【旧重川橋 ②】
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  旧重川橋の架橋については、昭和9年11月の通常県会に「重川橋ハ腐朽甚ダシク架替ノ急ヲ要スルコトハ県当局ニ於テ認定セラレタルモ・・・」を理由に複数の県会議員から至急の架替を要望する旨の「重川橋架替ニ関スル件」との意見書が提出されており、こうした経緯を経て、昭和11年11月13日に竣工し同年11月27日に渡初式が行われている。




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by kaz794889 | 2013-08-17 17:00 | | Comments(0)
2013年 08月 16日

旧山梨県庁舎と旧徳島県庁舎に関わる建築家

【旧山梨県庁舎】
f0191673_1543113.jpg  旧山梨県庁舎は昭和2年10月1日起工、同5年3月31日に竣工し、平成21年12月24日には山梨県文化財に指定されており、平成27年3月には「山梨県庁舎別館展示施設整備基本計画」に基づき旧正庁及び旧知事室等を創建時の姿に修復した上、2階東側部分に「山梨近代人物館(仮称)」が開館する予定である。




【旧山梨県庁舎 正面】
f0191673_1552236.jpg  旧庁舎は2年6か月の歳月と総工費100万円、清水組等15業者延べ6,500余人により建設された鉄筋コンクリート造一部鉄骨造で地下1階地上3階建ての建物であり、『山梨県近代化遺産総合調査報告書』(山梨県教育委員会編 平成9年3月発行)によれば「設計者については記録が残存していないので不明であるが、東京大学教授佐野利器博士がしばしば建設現場を視察したとの当時の新聞記事から、同博士が設計ら何らかの関与をした可能性が考えられる。」とある。
  佐野利器が山梨県庁舎の設計に関与したことが裏付けられる建物として、その外観が酷似する旧徳島県庁舎が残されている。




【徳島県立文書館の案内パンフレット】
f0191673_15433444.jpg  旧徳島県庁舎は徳島市八万町向寺山の文化の森総合公園内にその一部が移築(外観と一階エントラスホールが復元)され徳島県立文書館となっている。
  旧徳島県庁舎の概要と佐野利器の関わりについては、徳島県立文書館の1階エントラスホールに掲げられた銘板に次のとおり記されている(一部省略)。
  「 徳島県立文書館の建物は、旧徳島県庁の正面玄関部分を中心に、形式、材料とも可能な限り生かして  建設されました。外枠部分の石材、玄関ドア、階段の手すり、テラコット(陶器製の屋上装飾)、丸形屋根   瓦、外壁タイルの一部などは、旧庁舎の建材をそのまま使用しています。旧県庁舎は昭和5年3月、徳島  市富田浦町字東富田20番地の1(現県庁の西側駐車場一帯)に鉄筋コンクリート三階建て、2年4か月の  歳月、延べ52,400人、86万4千余円の費用を費やして建設されました。建設の指揮に当たった佐野利器  博士は、旧国技館、明治神宮外苑競技場、学士会館などの設計を手掛けられた建築構造学の権威者で   あり、この県庁舎は日本の初期鉄筋コンクリート建築の代表作の一つとされていました。昭和58年の新庁  舎建設着手に伴い、伝統的な旧県庁舎の一部を文化の森総合公園内の文書館として移築・保存すること  になり、平成元年10月に完成しました。」




【旧徳島県庁舎】
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【旧徳島県庁舎 側面】
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【佐野利器の墓所】
f0191673_15454898.jpg  佐野 利器(さの としかた)(明治13年4月1日~昭和31年12月5日)は山形県西置賜郡荒砥村に生まれ、旧制第二高等学校、東京帝国大学建築科を卒業(在学中に建築学を辰野金吾に学んでいる)している。  東大建築学科の教授を任期中途で退官し、日本大学の工学部長を務めるなどした後、1929年(昭和4年)~1932年(昭和7年)に清水組の副社長を務め、建設会社組織の近代化を図る等した建築家、構造学者である。
  佐野利器が旧山梨県庁舎の建設に深く関与したのは、同庁舎が清水組を中核とした業者により建設され、建設時期に清水組の副社長を務めていたことが、その理由の一つではないだろうか。




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by kaz794889 | 2013-08-16 16:03 | 山梨の近代建築 | Comments(0)
2013年 08月 15日

戦時期の山梨 14「学徒勤労報国隊の8月15日」

【学徒勤労報国隊 指導日誌(第2号)】
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【最終ページの記述】
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学徒勤労令(昭和19年勅令第518号)が昭和19年8月23日に施行され、同令第二条「学徒勤労ハ教職員及学徒ヲ以テスル隊組織(以下学校報国隊ト称ス)ニ依ルモノトス但シ命令ヲ以テ定ムル特別ノ場合ニ於テハ命令ノ定ムル所ニ依リ学校報国隊ニ依ラザルコトヲ得」に基づき、学徒勤労は学校報国隊の組織をもって実施されることとなった。
このため、昭和19年9月8日付を以て山梨県立山梨高等女学校(現在の山梨県立山梨高校)に対して発せられた学徒報国隊出動令書に基づき、「山梨県立山梨高等女学校学徒勤労報国隊」は東山梨郡加納岩町上神内川112番地の中央工業株式会社山梨工場に動員されている。



写真は同報国隊の指導日誌であり、昭和19年9月21日の入所式から昭和20年8月16日までの状況が二冊の日誌に渡って記録されている。
昭和20年8月15日水曜日、天候は晴れ、当日は出勤者77名、欠勤者86名。悲痛なる感慨を以て玉音を拝聴したこと、早退証所持者を所定の時刻に帰宅させたことが記録されている。
昭和20年8月16日木曜日、天候は晴れ、当日の出勤者等の人数については未記載である。一時間半に亘る同工場の山口工場長の講話は多大の感銘を与えた旨が記載され、指導日誌の記述は終わっている。
なお、『山梨学徒勤労動員の記録』(同編集委員会編 平成12年7月31日発行)所載の「山梨高等女学校学徒動員の回想」に「山口工場長が壇上に立ち戦争が終わったことを告げた。そして「風と共に去りぬ」から引用し南北戦争のことを話され「戦争は絶対にしてはならない」と結んだ。私達は呆然としてただ立ち尽くすのみだった。」と記されている。



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by kaz794889 | 2013-08-15 20:25 | 戦時期の山梨 | Comments(0)
2013年 08月 14日

甲州紀行 7 「貨物ホームの名残り」

【貨物ホーム跡(武田信玄銅像の西側)】
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  武田信玄の銅像が建つ場所は、かつて甲府駅の貨物ホームの入口があった場所である。
  昭和59年に甲府駅の貨物取扱が廃止されるまで、1面2線の貨物ホームや貨物の仕分け線が西側に向けて広がっており、写真に写る送迎用の駐車場附近も、貨物ホーム時代はその先の盛土部分と同じ高さであったが、現在の駅ビルが建設された昭和61年頃の駅ビル西側への駐車場建設時の造成により現在の状況となっている。




【貨物ホーム跡(甲府駅ビル西側の駐車場)】
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  甲府駅の中央本線南側、駅ビルの西側の駐車場となっている場所が貨物ホーム等の跡である。
  写真中央の山梨労働局庁舎(白い建物)が建つ場所を含めた、その先も貨物ホームであった。



【貨物ホーム跡(名残りの敷石)】
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  貨物ホームに関する全ての建物は撤去され、駐車場開設に伴い全面アスファルト化となったが、レンタカー会社の専用駐車スペースとなっている場所の一部に、貨物ホーム時代に敷かれていた敷石が僅かに残っている、貨物ホーム時代の唯一の名残りである。




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by kaz794889 | 2013-08-14 22:16 | 甲州紀行 | Comments(0)
2013年 08月 13日

旧中牧村役場

【旧中牧村役場正面】
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  中牧村は明治8年1月に倉科村と西保下村が合併して成立した村であり、昭和29年5月17日には諏訪町及び西保村の1町2村が合併して牧丘町となり現在は山梨市となっている。
  和風二階建ての旧中牧村役場は明治33年11月の建築であるが、相当改修され倉科公民館として現在も使用されている。
  



【旧中牧村役場側面】
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  建物の西側脇には村役場時代に文書庫などとして使用された土蔵が現在も残されている。





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by kaz794889 | 2013-08-13 09:37 | 役場 | Comments(0)
2013年 08月 11日

旧西保郵便局

【旧西保郵便局庁舎の正面】
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  西保(にしぶ)郵便局は大正15年12月16日に東山梨郡西保村(現在の山梨市)に無集配郵便局として開局している。
  写真の旧庁舎は開局時の初代庁舎であり、庁舎前の道路よりも一段程低い位置に建てられている。




【旧西保郵便局庁舎の側面】
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  旧庁舎側面や大屋根は民家の趣を呈していることなどから、開局以前から建てられていた建物を郵便局の開局に合わせて改修したものと考えられる。




【旧西保郵便局庁舎の正面細部】
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  一見しただけではこの建物が郵便局であったことを把握しにくいが、正面入口の切妻部分の上に配された鬼瓦風の飾りや、正面右側の小窓のデザインに「〒」マークが配されているなど、建物の細部に郵便局としての主張が認められる。
  西保郵便局は開局64年を迎えた昭和63年3月26日に、現在も残る二代目庁舎時代に廃局となり、同年3月28日には西保簡易郵便局として新たなスタートをきったが、平成23年2月1日に一時閉鎖となって現在に至っている。
  




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by kaz794889 | 2013-08-11 15:16 | 郵便局・逓信 | Comments(0)