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2013年 07月 28日

甲府 仲見世

【昭和16年頃の甲府仲見世附近の地図】
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  甲府市柳町の十一屋野口酒造店が大正13年に甲府市横沢町に移転し、大正13年10月17日にその跡地に開業したのが、三日町見附の甲府仲見世(地図の黄色で囲んだ概ねの場所)である。
  「甲府銀ぶら三日町見附ヨ ネオンサインは恋の色」と、西條八十作詞、中山晋平作曲の甲府夜曲にあるように、柳町通りと甲府銀座の東側入口付近を中心とした当時の三日町見附は甲府市街の中心地の一つであった。
  当時の仲見世は、映画館である中央館を中心として、東側(柳町通り)、西側(桜町通り)、南側(甲府銀座)の三方向に入口が設けられていた。
  昭和16年頃の地図ではあるが、そこに記されているとおり、衣料品、文具、玩具などの生活用品を中心とした商店街であり、飲食店街となっている現在の仲見世とはその趣が異なっている。  




【甲府・中央館】
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  中央館は仲見世の中心として、大正14年8月1日に柳町16番地に開館した。
  その後、昭和4年8月に火災により全焼し、昭和5年1月に再建している。
  写真は再建後の中央館である。



【(甲府名所) 仲見世】
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  甲府銀座に面した南側入口(上記地図の緑色矢印の方向)から見た、昭和10年代の甲府仲見世である。
  中央の建物が中央館、右側の店舗がスギヤ洋品店である。



【甲府 仲見せ スギヤ洋品店の包装紙】
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 前記の写真に写る、スギヤ洋品店の包装紙である。




【現在の仲見世 ①】
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  上記の地図に記した緑色矢印方向の現在である。
  仲見世を含む三日町見附周辺は甲府空襲で焼失しており、仲見世は戦後復興したものの、戦前期の区画とは異なっている。
  中央館に替わり、昭和29年3月には柳町通りに面し(甲府ワシントンプラザホテルの位置)、甲府武蔵野館が開館したが、現在は閉館している。
 



【現在の仲見世 ②】
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【現在の仲見世 ③】
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  現在は飲食店街となっている仲見世の中心から眺めた、桜町通り(西側入口)側の入口。




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by kaz794889 | 2013-07-28 10:30 | 甲府細見 | Comments(0)
2013年 07月 27日

甲州紀行 6 「名残りの石積」

【旧甲府刑務所跡の「朝気ふれあい公園」】
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  公園を囲む亀甲型の石積みは、現在地に移転する前の旧甲府刑務所で使用されていた石材である。
  刑務所の敷地は数メートルの高い塀に囲まれていたが、正門の置かれた敷地東側は、敷地を囲む高塀を隔て30m程の空間が確保され、正門前の道路とその空間の境界に1.5m程の塀が築かれており、道路に面した側は亀甲型の石を用いたものであった。




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  刑務所移転後跡地の一画に開設された公園には、前記石材の他にも旧刑務所敷地内の敷石が、同公園の敷石として使用されている。




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by kaz794889 | 2013-07-27 23:56 | 甲州紀行 | Comments(0)
2013年 07月 21日

昭和20年代後期の甲府市街全景

【(観光都市甲府) 市街全景】
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  昭和20年代に発行された、「(観光都市甲府) 市街全景」と題する絵葉書である。
  市街の70%が焼失した甲府空襲から復興した甲府市街を、愛宕山中腹から眺めたものである。
  荒川の南側には田畑が広がり、市街化はまだ進んでいない。





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  前記の写真に写る市街の建物で、甲府空襲による被災を免れた建物は、甲府警察署、甲府郵便局である。
  岡島は建物の外郭は残ったものの内部は焼失している。また、甲府市役所は相生町の本庁舎が焼失したことから、被災を免れた錦町の甲府市水道部の庁舎を市役所としていた。
  山梨県病院、山梨中央銀行本店、山梨県立甲府第二高校(被災時は甲府高等女学校)は甲府空襲で被災したため、終戦後に再建された建物である。なお、戦後甲府地方裁判所検事局から独立した組織である甲府地方検察庁は、終戦後に建設された庁舎である。




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by kaz794889 | 2013-07-21 21:56 | 甲府市街点描 | Comments(0)
2013年 07月 20日

北口本宮冨士浅間神社

【『冨士山北口全図』の冨士浅間神社】
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  大正14年7月に富士吉田の大正堂が発行した「冨士山北口全図」の一部に掲載された冨士浅間神社である。神社前の軌道は船津から籠坂峠を結ぶ鉄道馬車のものであり、参道入口には「浅間前停車場」が置かれている。



【北口本宮冨士浅間神社境内案内図】
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  富士吉田市上吉田5558番地に鎮座する北口本宮冨士浅間神社は、木花開那姫命、天孫彦火瓊々杵尊、大山祇神を祭神とした神社であり、景行天皇40年(西暦110年)の日本武尊御東征の際に箱根足柄から甲斐国酒折宮に向かう途次、この地を御通過し大塚山に御立ちになられ、親しく富士山の神霊を御遥拝され、大鳥居を建立され勅され祠を建てて祀られたのが始まりとされている。
  明治12年6月には郷社から県社に昇格し、戦後は別表神社に加列されている。

  本図に記載した次の赤字表示は後述の写真表題番号とリンクしている。  
  ① 参道入口
  ② 大鳥居と随神門
  ③ 冨士浅間神社拝殿
  ④ 冨士浅間神社手水舎





【① 参道入口】
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  参道入口の大鳥居は、高さ33尺、明き23尺、題字の「富士山」の文字は梨本宮守正王の御染筆であり、昭和5年8月に東京蕎麦商組合の奉献によるものである。
  また、社号標は花崗岩の方柱、台石による高さ16尺、1尺4寸、1尺5寸角であり、「冨士浅間神社」の文字は秋元興朝子爵の筆によるもので、大正15年6月に船津村(現在:冨士河口湖町)の渡辺兵次郎が奉献している。
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【②大鳥居と隋神門】
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  北口本宮冨士浅間神社は富士山を遥拝する神聖な場所であり、この大鳥居は神社の鳥居ではなく、富士山の鳥居とされ、文明12年(1480)に建立されたのがその始まりとされている。
  江戸後期以降は凡そ60年周期で立て替えが行われており、木造としては日本最大とされている現在の大鳥居は昭和25年に建立工事が起工され同29年に竣工したものである。
  大鳥居は再興の時期を迎えており、現在は式年大修理事業が進められている。

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【③ 冨士浅間神社拝殿】
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  享保18年に建築された北口本宮冨士浅間神社の拝殿は、平成21年2月16日に山梨県文化財として指定されている。

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【④ 冨士浅間神社手水舎】
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  石柱4本に支えられた入母屋造りとして元文4年に建築された北口本宮冨士浅間神社の手水舎は、平成16年3月25日に富士吉田市文化財として指定されている。

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by kaz794889 | 2013-07-20 21:54 | 神社 | Comments(0)
2013年 07月 15日

富士山・吉田口登山門

【吉田口登山門の全景】
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  北口本宮富士浅間神社境内の西宮本殿脇に位置する吉田口登山門は、富士山頂への吉田口登山道の起点である。
  例年、富士山の御山開きの前日にあたる6月30日に登山門に張られた注連縄を手力男命(たぢからおのみこと)に扮した氏子が木槌で断ち切る「御道開き」の神事が執り行われている。




【登山門前の石標】
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  登山門の石段下に建立されている「富士北口登山本道」と刻まれた石標である。  




【登山門奥の祖霊社】
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  登山門の石段を上がった鳥居の先、登山道正面に建つ北口本宮富士浅間神社の境内社の一つである「祖霊社」である。
  当社は一間社流造、桁九尺六寸、梁間八尺四寸、檜皮葺の社殿として文政3年に建立され、大正15年10月に現在の亜鉛鉄皮に葺き替えられ、昭和14年6月に社殿の補修工事がなされるとともに、社殿の周囲に石材による玉垣を巡らせている。
  祖霊社の後方奥に続く道が吉田口登山道である。  




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by kaz794889 | 2013-07-15 19:12 | 富士山と北麓地域 | Comments(0)
2013年 07月 14日

戦時期の山梨 13 「陸軍航空戦記特別試写会」

【陸軍航空戦記特別試写会の案内】

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  昭和18年2月26日の午後6時から山梨県会議事堂において、毎日新聞社、日本映画社主催、山梨県、甲府連隊区司令部を後援として開催された「陸軍航空戦記特別試写会」の開催案内である。
  同年3月4日からの甲府宝塚劇場における独占封切に先立って特別試写会が行われた「陸軍航空戦記」は、イギリスに占領されたビルマ各地に幾度も繰り返される陸軍航空隊の爆撃など、ビルマ作戦における陸軍の活躍を決死の撮影によって映し出した大迫力の空中戦が話題となった航空記録映画であり、当時の航空記録映画の代表作であるという。




【「陸軍航空戦記」梗概】

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  「番組」と題する囲みに記されている日本ニュース141号は、昭和18年2月16日公開されたニュース映画であり、昭和14年の映画法制定により、映画館における映画の上映前後にニュース映画の必須上映が義務付けられることとなった。
 ニュース映画は、昭和15年4月に朝日新聞社、大阪毎日新聞社(東京日日新聞・大阪毎日新聞)、読売新聞社の新聞3社と同盟通信社のニュース映画部門が国策により統合された「社団法人日本ニュース映画社」が昭和16年に東宝、松竹の文化映画部門と各文化映画製作会社を吸収改組した「社団法人日本映画社」により、週1本製作され、映画法に基づき毎週映画館で封じられていた。
  なお、試写会で上映されたニュース映画141号は「産業戦士に輝く勤労顕功章」、「航空決戦の秋 学童一日 空の入営」、「敗残の敵国俘虜」、「米英の盲爆下ビルマの憤激昴まる」を内容としたものであった。



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by kaz794889 | 2013-07-14 18:14 | 戦時期の山梨 | Comments(0)
2013年 07月 12日

甲州紀行 5 「玉垣の寄進者」

【玉垣の寄進者】
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  世界遺産に登録された富士山の構成四散の一つである北口本宮富士浅間神社の社殿を囲む玉垣である。
  寄進者の一人としてそこに刻まれた若尾璋八と若尾謹之助は、いわゆる甲州財閥の若尾家3代目にあたる義兄弟である。
  初代若尾逸平、2代目若尾民造と続く若尾家の3代目にあたる若尾謹之助は民造の三男として明治15年10月24日に生まれ、大正6年に家督を相続している。また、若尾璋八は東山梨郡七里村の広瀬久政の弟として明治6年7月27日に生まれ、若尾民造の娘であり謹之助の姉である若尾きよのと明治29年に結婚し若尾民造の養子となり、その後、若尾謹之助が家督を相続するとともに分家している。






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by kaz794889 | 2013-07-12 23:23 | 甲州紀行 | Comments(0)
2013年 07月 07日

山梨開發協會 2

【観光の山梨 名所温泉交通案内】

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  昭和2年6月に発足した開發協会が発行した「観光の山梨 名所温泉交通案内」である。
  この案内には「甲斐名所大観」と題し「霊峰富士と水晶と葡萄でお馴染みの甲州でありますが、交通文化の発達は急激に距離を短縮し今や「景勝の山梨」は近県からの好個の探勝コースとして又帝都の郊外保健地として短時間で富士国立公園、奇勝昇仙峡霊蹟身延山を始めとして、県下到る処の景観名所を親しく御観賞願へるようになりましたことは私共の限りなき光栄と歓びで御座います。」と記されている。
  なお、案内図の原画は内田一郎の筆によるものである。




【開發協会の案内】

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【開發協会の営業所等】

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  山梨県内の複数のバス会社が合併して発足したため、山梨県内の国中地方を中心に営業所が配置されていた。
  また、相生町の峡西南方面待合所は相生町47番地に、八日町の峡東方面待合所は八日町25番地に置かれていた。




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by kaz794889 | 2013-07-07 22:41 | 交通 | Comments(0)
2013年 07月 06日

戦時期の山梨 12「甲府空襲 2」

【戦災殉難者無縁供養碑】
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  昭和20年7月6日の23時53分、駿河湾を北上し静岡附近から東北進して山梨県域に侵入した138機のB29編隊により、翌7日の午前2時20分の空襲警報解除までの2時間30分の間、甲府市及び当時の周辺12町村に波状的な攻撃がなされた甲府空襲から本日は68年目にあたる。
  この甲府空襲により、甲府市街地の74%が被災し、1,127名が犠牲となっている。こうした犠牲者の方々については、戦災後、直ちに警察及び甲府市厚生課、警防課の職員が立ち会い検死の上、警防団、義勇隊に引き継がれたが、その対応については夏の暑さからの腐乱による臭気など、対応は困難を極めたという。
 7月7日からの4日間で犠牲者の対応は終わり、遺族に引き渡されたものが267体、一蓮寺に仮埋葬されたものが366体、同寺で荼毘にふされたものが47体、光沢寺に仮埋葬されたものが119体、長禅寺に仮埋葬されたものが31体、その他の寺院には3体が仮埋葬された。
 その後、一蓮寺境内に仮埋葬された遺体の改葬事業が昭和25年3月になされ、仮埋葬された遺体は火葬され、その内の213柱は遺族に引き渡され、140柱は大泉寺に安置されたという。

  写真の「戦災殉難者無縁供養碑」は、無縁となり大泉寺に安置された140柱の供養碑として、昭和34年8月に甲府市により市営躑躅ヶ崎霊園内に建立されたものであり、現在も供養碑前において、毎年供養祭が営まれている。


【戦災死者慰霊 礎(いしずえ)地蔵尊】
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  昭和25年3月の一蓮寺境内の改装事業に伴い、仮埋葬された犠牲者が大泉寺に改葬された際、一蓮寺の仮埋葬地の一画に供養の地蔵像建立された。
  平成11年10月には、その地蔵像を祀る堂宇が改築されるとともに、その地蔵像は「礎地蔵尊」と命名されている。




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by kaz794889 | 2013-07-06 21:36 | 戦時期の山梨 | Comments(0)
2013年 07月 02日

甲州紀行 4 「元材木商の事務所」

【事務所の正面】
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  山梨県東部の山村地区。いわゆる昭和の大合併により合併した旧村の中心地の道路沿いに残るこの建物は、既に廃業した元材木商の事務所である。
  切妻側の一階部分に事務所の玄関を設けたこの建物を見かけた際は、公共機関の旧庁舎ではと思い、家主の奥さまに建物の経緯について確認したところ、元材木商の建物ということであった。




【事務所の側面】
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  建物側面側はサッシ等に改修されているものの、正面は建築当初の状況を残しており、正面二階部分の左側に残る洋風の窓が印象的な建物である。
  一階入口部分で使用されている戸は、材木商を営んでいた当家のこだわり部分であったようであり、各部に使われた木の種類と、その木が植えられていた場所がどこであったかは、詳細に伝わっているとのことであった。




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by kaz794889 | 2013-07-02 23:21 | 甲州紀行 | Comments(0)