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2013年 06月 30日

勝沼葡萄郷  祝橋

【祝橋をモチーフとした絵葉書のタトウ】
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  中央本線が甲府駅まで開通した明治36年から10年後、大正2年に勝沼駅(現在:勝沼ぶどう郷駅)の新設された翌年、大正3年に勝沼駅と祝村を結ぶための大動脈として架けられたのが祝橋である。
  昭和5年に3代目として架橋された祝橋は、絵葉書のタトウとして描かれているように、美しいアーチ橋であり、メガネ橋の愛称で親しまれた観光名所でもあった。




【現在の祝橋】
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  大正3年に架橋された2代目祝橋の老朽化に伴い、橋長58.6m、幅員5m、路肩1mのコンクリートアーチ橋は、総工費40,458円をかけて昭和5年に竣工し、半世紀以上に渡って使用され、平成9年5月29日に国の登録文化財として登録されている。




【現在の祝橋】
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  交通量の増加、大型化、重量化等の要因により、昭和60年に橋長153m、幅員12m、高さ20mの新祝橋が、祝橋の下流脇に架けられたため、祝橋の道路橋としての役割は終わり、現在は歩行者専用橋となっている。




【(甲州 祝村) 祝橋ヨリ岩崎葡萄園ヲ望ム】f0191673_1532055.jpg
  写真は2代目の橋として大正3年に架けられた吊り橋の祝橋であり、この架橋により祝村と勝沼駅が直結している。
  明治初年に架けられた初代祝橋も木造吊り橋であったという。




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by kaz794889 | 2013-06-30 15:56 | | Comments(0)
2013年 06月 29日

小菅村・銀嶺座

【小菅村に残る銀嶺座の正面】
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  過日の山梨日日新聞紙上に、かつて北都留郡小菅村で営業していた映画館である「銀嶺座」について、「「銀嶺座」の記憶よみがえる」との記事が掲載され、その内容は次のとおりであった。
 「小菅村に半世紀前、映画館「銀嶺座」があった。村唯一の娯楽施設で、映画が上映される週末には多くの人でごった返した。テレビの普及で来館者か減り、開館していたのはわずか5年間。地域で親しまれた映画館を知ってもらおうと、現在、当時の映画ポスターなどを紹介する企画展が村内で開かれている。(以下略)」
 
  また、記事には昭和38年に銀嶺座は閉館し、その建物は現在も他の用途で使用されているとのことから、かつて小菅村で唯一の映画館であった「銀嶺座」を訪ねたものである。




【小菅村に残る銀嶺座 ②】
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  新聞記事によれば、銀嶺座の開館は昭和33年であり、1階、2階と合わせて約200席の映画館であったとのことであるが、人口の減少(現在(平成24年度末)の小菅村の人口は757人、昭和29年発行の「小菅村勢一覧」によれば同年の人口は2,247人)や娯楽の多様化といった社会の趨勢などから閉館に至ったとのことである。
  村役場などが面する旧青梅街道から入った道沿いに残る銀嶺座は、写真のとおり現在は正面入口側が塀に閉ざされ、1階入口部分をうかがい知ることは無理であるが、旧観をそのまま維持し現在も建物は残されている。



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by kaz794889 | 2013-06-29 21:15 | 劇場・映画館 | Comments(2)
2013年 06月 23日

旧北都留郡甲斐絹同業組合上野原支部事務所

【旧北都留郡甲斐絹同業組合上野原支部事務所】f0191673_13324022.jpg 「重要物産同業組合法」(明治33年法律第35号)の公布に基づき、明治38年8月に北都留郡甲斐絹同業組合が発足し、その本部は北都留郡大原村猿橋137番地(現在の大月市猿橋町)に置かれ、上野原支部は北都留郡甲斐絹業組合時代(重要物産同業組合法施行前は、「甲斐絹同業組合規則(明治28年山梨県令第28号)」に基づく北都留郡甲斐絹業組合及び南都留郡甲斐絹業組合が設立され、大原村、谷村町にその本部が置かれ、上野原支部も設置されていた。)の建物をそのまま使用していた。
  その後、北都留郡内の東部地区一帯は当時の上野原町を中心に機業情勢が年ごとに進展し、その生産量が非常増加したことから上野原支部事務所も狭隘となり、新たな支部事務所の設置が必要となり、その際に建設された事務所が写真の建物である。  




【旧北都留郡甲斐絹同業組合上野原支部事務所②】f0191673_13332075.jpg 北都留郡甲斐絹同業組合の発足後27年が経過した大正11年9月21日に起工され、同年11月30日に木造スレート葺き洋風二階建て、総建坪86坪、敷地246坪の支部事務所として竣工している。
  昭和21年12月に新たな組合法である「商工協同組合法」が施行され、同22年3月13日に上野原織物工業協同組合に改組され、現在も同組合事務局として使用されている。
  また、下見板張で、ハーフティンバーの特長を有していた新築時の様式も、建築後90年を経過する中で改修がなされ現在の姿となっている。  






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by kaz794889 | 2013-06-23 14:37 | 山梨の近代建築 | Comments(0)
2013年 06月 22日

旧丹波山郵便局

【旧丹波山郵便局庁舎】
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  丹波山郵便局(北都留郡丹波山村)は、守岡弥兵衛を初代局長として、明治7年7月10日に開局した郵便局である。
  旧庁舎は大正12年頃の建築といわれている木造二階建ての建物であり、青梅街道(国道411号線)に面して残されている。



【旧丹波山郵便局庁舎②】
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  旧庁舎前の青梅街道の拡幅に伴い、当該庁舎は北側奥に曳家されたということである。




【現在の丹波山郵便局】
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  旧庁舎が面する青梅街道の南側筋沿いに建てられている、現在の丹波山郵便局である。




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by kaz794889 | 2013-06-22 22:02 | 郵便局・逓信 | Comments(0)
2013年 06月 16日

太宰治と甲府 3 【甲府市竪町 寿館】

【甲府市朝日5丁目 寿館跡附近の地図】
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  昭和13年11月16日、石原美知子と婚約した太宰治は、これまでの滞在先であった御坂峠の天下茶屋から甲府市竪町93番地の「御下宿 壽館」に転居している。
  なお、竪町93番地は、昭和37年の住居表示変更により朝日5丁目と変更されている。



【昭和10年代の甲府市竪町寿館附近の地籍図】
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  太宰治の下宿先である寿館は竪町の西側の端にあり、小路を挟んだ北側は白木町、西側は元三日町、南側は朝日町といった場所に位置していた。




【昭和10年代の清運寺】
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  清運寺は寿館の西側にある日蓮宗の寺院であり、写真は上記地籍図の①の位置附近を北側から写したものである。
  左側に写る人物の前に建つ建物が寿館と思われる。




【現在の同位置】
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  清運寺は昭和20年7月の甲府空襲で堂宇を焼失しているものの、道筋は当時の景観が残されている。




【昭和10年代の妙詮寺山門】
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 寿館の北側にも、日蓮宗寺院妙詮寺がある。写真は昭和10年代の同時の山門であり、当時は上記地籍図の②の位置にあった。




【現在の同位置】
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 同寺も甲府空襲で堂宇を焼失している。終戦後、本堂の再建にあたり、工事車両の出入りの関係から、境内への入り口は東側に移動している。




【現在の題目塔】
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  上記地籍図の③の位置に境内への出入り口を移動するとともに、山門前にあった題目塔もこの場所に移設している。




【壽館から眺めた清運寺】
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  上記地籍図の④の位置にあった寿館の二階から白矢印方向である北西側を写した写真である。  
  太宰治が下宿した寿館は、石原美知子の母親である石原くらが見つけた下宿先であり、菊島氏が経営していた。
  太宰の書簡などでは寿館の住所は「甲府市西竪町93番地」となっているが、当時の竪町は町域の中間あたりに商店街として発展していた朝日町通りが南北に通っていたため、その通りを境に西側町域を西竪町と通称していた。
  また、番地については、地籍図上においては「竪町95番地」に位置するが、当時の住居表示上は竪町93番地とされていたようである。
  写真に写るいずれの建物も甲府空襲で焼失しているが、名取家墓所は現在も清運寺の墓域内に残されている。





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by kaz794889 | 2013-06-16 16:17 | 太宰治と甲府 | Comments(1)
2013年 06月 15日

御坂峠 太宰治文学碑と山梨桜桃忌

【平成24年 山梨桜桃忌の開催案内】
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 山梨桜桃忌は例年、御坂峠の太宰治文学碑への献花の後、天下茶屋を会場として開催されている。
 本年(平成24年)も、上記の「山梨桜桃忌のご案内」のとおり、明日(6月16日(日)13:00~)開催される、山梨桜桃忌は、太宰治研究家の橘田茂樹氏を中心に企画・開催されており、本年は第36回を数えると聞いている。
  例年、太宰治に関連する人物や研究者等の方々を講師とした講演がなされているが、ここ数年は元大分放送アナウンサーで、三鷹市を拠点に朗読活動を展開する、原きよ氏による朗読が行われており、昨年と引き続き、本年も「富嶽百景」の朗読が予定されているようである。昨年、山梨桜桃忌に出向き、同氏による富嶽百景の朗読を拝聴したが、富嶽百景のゆかりの地である御坂峠の天下茶屋で聴く朗読は素晴らしいものであった。機会があれば、是非お聴きになることをお薦めしたい。

【太宰治文学碑の序幕を伝える山梨日日新聞の紙面】
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  御坂峠の太宰治文学碑は昭和28年10月31日に除幕式が行われており、本年平成24年は建立60年の節目の年にあたる。
  左の紙面は、同碑の序幕式とその後に開催された太宰文学碑記念講演会の開催を伝える、昭和28年11月1日付の山梨日日新聞である。
 




【現在の太宰治文学碑】
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  文学碑の除幕式は昭和28年10月31日12:30から開催され14:30に終了したという。
  建碑以来60年の年月が経過し文学碑にもその年月に比例した時間が刻まれている。山梨桜桃忌には参加者による文学碑への献花が行われる。



【太宰文学碑記念文芸講演会の開催された山梨県議会議事堂】
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  太宰治文学碑の序幕式が開催された日の18:00から伊馬春部、小田嶽夫、村上菊一郎、井伏鱒二、青柳瑞穂、壇一雄、浅見淵(亀井勝一郎は所用のため欠席)による太宰文学碑記念文芸講演会が山梨県議会議事堂で開催されている。
  なお、昭和28年当時の甲府市内には、公会堂的な建物がなく、学校体育館や講堂の収容人員以上の規模による講演会や演劇等の催しは、山梨県議会議事堂の本会議場(昭和40年代に本会議場がせ改修されるまでは、本会議場の議席や議長席等は利用形態に応じた取り外しが可能であった。)で開催されており、当時の山梨県議会議事堂は公会堂としての役割も担っていた。




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by kaz794889 | 2013-06-15 19:10 | 山梨の文学 | Comments(0)
2013年 06月 10日

時の記念日

【六月十日時ノ記念日】
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  写真のチラシは、時の記念日にちなみ、当日の午後5時まで小笠原橋際で長田、飯久保時計店による時計の無料修繕を伝える、中巨摩郡明穂村青年団により発行されたものである。
  なお、明穂村は明治8年に小笠原、桃園、山寺の3村合併により成立した村であり、昭和11年に小笠原町となり、昭和29年には榊村、野之瀬村と合併し櫛形町となった後、現在は南アルプス市となっている。




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by kaz794889 | 2013-06-10 00:30 | 広告・チラシ | Comments(0)
2013年 06月 09日

知足園 山田藍々

【知足園 山田藍々壽碑】
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【壽碑建設礼状】
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  藍々山田弘道は弘化元年8月18日、甲府広庭町の橋本春喜の三男として生まれ、明治2年に実兄である山田玄達の家系が途絶えたため、山田家を継いでいる。
  明治元年に鎮撫府参謀の命により徽典館教職として勤務し、明治5年11月から5年間飯田学校の校長を務めた後、明治9年10月から山梨県史編纂兼官房書記として郷土地理の教科書である『甲斐小史談』等を編集するなどしている。
  明治22年には甲府教会の山中笑牧師から洗礼を受け、県庁退職後の明治30年3月から大正7年までの21年間山梨英和女学校に勤務していた。
  山田藍々は少年時代から俳諧を甲府上府中の六角堂に居住していた鈴木空羅から学んでおり、旧派俳壇の巨匠として山梨英和女学校退職後は、俳人として句作指導に専念していた。
  大正7年10月に「月花や ここ万季(まんねん)の安楽土 知足園 藍々」と刻まれた壽碑が弟子、友人等の関係者により甲府・大泉寺に建碑されている。
  礼状には、建碑披露としての雅会を開催するべきところ、騒憂事件等(大正7年8月15日に発生した若尾家焼討事件(米騒動)のことと考えられる。)により開催されずじまいとなっていること、また、甲府市境町から東京に転居することが記されている。




【『大正年代 甲陽俳人名鑑』】
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【「甲陽俳人名鑑」発刊に係る依頼状】
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  山田藍々を編集兼発行人として大正9年10月15日に発刊された『大正年代 甲陽俳人名鑑』である。




【大正6年の年始状】
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  大正6年に山田藍々が発出した年始状である。
  大正15年5月11日に山田藍々は83歳で没し、甲府市広庭町の西昌院に葬られたが、その後、大泉寺に改葬されている。写真は西昌院墓地に残されている、山田藍々の旧墓跡である。




【山田藍々の旧墓跡】
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by kaz794889 | 2013-06-09 15:16 | 山梨の文学 | Comments(0)
2013年 06月 02日

富士ビューホテル

【昭和30年代の富士ビューホテルの案内】
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【現在のホテル案内】

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 富士ビューホテルは河口湖畔(山梨県南都留郡富士河口湖町勝山511)に昭和11年に開業した今年77年を迎えるホテルである。




【富士ビューホテル敷地内の案内】
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【下記の案内に収載された富士北麓鳥瞰図】
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【昭和10年代の富士ビューホテルの案内】
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  富士ビューホテルは山梨県営ホテルとして建設されたホテルであり、昭和9年5月18日召集の昭和9年5月臨時県会において関屋延之助山梨県知事はホテル建設について次のとおり提案説明を行い、新規事業の特別会計山梨県営ホテル建設計画(ホテル建設費25万円、【内訳】敷地費4万円、建設・設備費21万円)を含む20議案については臨時県会最終日の5月24日に可決確定している。
  「 富士岳麓の開発上、外人を誘致するの方策を講ずるは極めて必要のことでありまして、之が方策の第  一歩としては、適当なる外国人のホテルを建設することに在ると存じます。殊に富士の雄大なる景観は外  人の憧るる所であります。今回神奈川県足柄下郡温泉村富士屋ホテル株式会社に交渉して、尚ホテル建  築資金に就いては鉄道省国際観光局と打合せを致しまして、ホテル建設築資金25万円を利率3分8厘
3か年据置27か年償還を以て借入を為し、河口湖畔に外人向のホテルを建設し、これを右富士屋ホテル
株式会社に貸付けて経営にあたら当らしめ、起債に対する毎年度償還すべき元利金に相当する額は之を
会社より納付せしめ、30か年後、即ち県債償還元利金の金額を会社より完納したときは、ホテルの敷地、
建物、並び設備の所有権を会社へ無償譲渡することとし、県は何も負担しない仕組みであります。従がって
之が収支は特別会計と為すものであります。」

その結果、山梨県はホテル建設費として起債する25万円を以て敷地(26,924坪)購入、ホテル建設及び
必要な設備を行い、神奈川県足柄下郡温泉村底倉359番地富士屋ホテル株式会社に貸付けて経営を行わ
せ、償還すべき元利金に相当する額は毎年会社が山梨県に納付し、その納付金が完了した時点で、ホテル
の敷地・建物・設備一切の所有権を富士屋ホテル株式会社に山梨県が無償譲渡するものとして、昭和10年
7月16日の地鎮祭の後、7月25日に起工、翌11年6月12日に竣工している。
その後、昭和19年12月に富士ビューホテルはドイツ人協会に借り上げられ、終戦後の昭和20年12月28
日にはGHQにより接収され、昭和27年6月末の接収解除後もアメリカ軍との自由契約により施設貸与が継
続され、昭和33年3月20日よりようやく終戦後の一般営業を再開している。なお、創業時の建物はその後
新築され、昭和60年に現在の建物により新規開業している




【創業時の富士ビューホテル】
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【現在の富士ビューホテル】
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【創業時のホテルへのアプローチ】
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【現在の同位置】
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by kaz794889 | 2013-06-02 17:56 | 旅館・ホテル | Comments(0)